第379話 もぅマヂ無理

 森の入り口周辺に散らばる、おびただしい数の人の死体と、肉片、そして血。


 松明の炎は血液によって消され、吐き気すら催させるその臭気で辺りを包んでいた。この数分間ですでに百人以上の騎士、兵士が切り伏せられている。


 怒気をはらむ、その騒動の中心にいる金髪の女性の怒りの呼び声に呼応し、ようやくこの軍事作戦の中心人物がその姿を現した。


「なんのつもりだ、ウルク……」


 その怒りを隠さぬ獣の咆哮の如き声に、もはや戦意を失っている兵士たちは縮み上がる。ウルクは努めて恐怖心を悟られぬよう、冷静に答える。


「そちらこそ何のつもりだ。我らの軍事行動を妨害しおって……」


 その瞬間、ラーラマリアは一気に間合いを詰めてウルクに横薙ぎの斬撃を放った。10メートル以上の距離があったにもかかわらず一瞬で攻勢に移るラーラマリアにウルクは腰を抜かすようにしゃがんでそれを躱すのが精いっぱいであった。


「あんたたちの邪魔をする気はない。協力してやるって言ってんのよ……その代わりグリムナ達に手を出すなとも言ったはずよ……次はないわ」


 情けない姿をさらして尻餅をついているウルクに、ラーラマリアは反論の余地を残さず、そう一方的に言い残して、その場を去っていった。


「ま、待て! ラーラマリア!! 待ってくれ……」


 ベルドが彼女を呼び止めようとしたが、しかし彼女は一顧だにしない。


「クソッ、行っちまったか……だが、あのエメラルドソードの力……あれがもし本当に『竜の遺骸』から作られたっていうなら……

 ……エメラルドソードの力は、本当ならあんなもんじゃないはずだ……」


 ベルドはしばし呆然と立ち尽くしていたが、やがて早足に歩き始め、その場を去った。事態が落ち着けばまた攻撃を仕掛けてくるものがいるかもしれないし、何より後から来るグリムナ達と鉢合わせするのも気まずい。


 ウルクは暫く気持ちを落ち着けようと座ったまま深呼吸していたが、やがて一人の兵士が馬に乗って彼の近くまで走ってきて下馬し、彼に話しかけた。どうやら伝令のようだ。


「なに!? ターヤ王国が?」



――――――――――――――――



「して、此は如何なることか」


 メザンザは何の抑揚もない口調でそう尋ねた。


「しばらくはこの部屋から出ることはなりません」


 メザンザに目を合わせずにそう言い放ったのは国務長官ウェンケー・スホー。


「議事会場では現在重要な取り決めの採決をしておりますゆえ、1時間ほどはここでお待ちを」


 座っているメザンザの隣で彼の椅子の背もたれに手をかけながら余裕の表情で呟いたのは財務長官アズ・フーヤフーヨ。


「アズ長官、斯様な場所におっては議会に参加できぬ。貴公らも重要な採決を取っている時に斯様かようなところで油を売っているわけにもいくまい」


「その必要はないじゃろう。採決を取っておるのは猊下の不信任決議案ですゆえ」


 そう言っていやらしい笑みを浮かべるのはメザンザの対面で椅子に座っている老人、この中の最年長、ヨッコ・ベルウルソン翁。


 ガタリ、とメザンザが椅子から立ち上がった。


 さすがに2メートルを超える巨躯が急に立ち上がるとその威圧感に周りの者が後ずさりする。


 『クーデター』……メザンザの脳裏に浮かんだのはその言葉であった。本来であるならば行政府の最高長官であるメザンザと、各政府機関のトップである閣僚がここにいるのに議会が開かれているなど言語道断の状況である。


 ましてや自分への不信任案。本人へ情報を入れず、軟禁をした上での解任、それは武力を使ってはいないものの、法に則っているように見せかけたうえでの無法、緩やかなクーデターそのものである。


 メザンザが立ち上がったのが合図だったかのように廊下への扉が開き、数名の騎士が部屋に押し入ってきた。


「ほっほっほ、動くなよ、大司教猊下。廊下にも騎士共が控えておる。……もう、『詰み』じゃ」


 ヨッコ翁が笑いながら言葉をかける。他の男どもは立ち上がったメザンザに戦々恐々だが、この男だけは余裕を見せている。それにコントラストを見せるように、メザンザの表情はみるみるうちに怒りの色をあらわにしてゆく。


「なにゆえか」


「わかりませぬか」


 答えたのは国務長官ウェンケー。


 彼が言うには聖堂騎士団率いる5千の兵士をオクタストリウムに議会の承認を得ずして派遣したことが引き金のようである。


「しかも理由が『コルヴス・コラックスの捕囚』などという訳の分からないもの。今回の遠征、我が国に『利』があることを見越してのものだったのか、甚だ怪しい。その上……」


 財務長官アズは一旦言葉を止め、ヨッコ翁をちらりと見た。老人は静かに微笑んでいる。


「その上です。そこに戦力を割いている間にターヤ王国からの侵攻を受けるという、国を預かる者にあるまじき失態」


 言葉を続け、メザンザを叱責する財務長官の言葉が区切られると、メザンザは鋭くヨッコ翁を睨んだ。


「左様か」


「『左様か』ではない!」


 他人事のような言い方をするメザンザに財務長官は怒りの声を上げた。


「すでに国境近くの村々では多くの被害者が出て、国内難民がこのローゼンロットに押し寄せておる! 民草が被害を受けているのですぞ! その上……」


 財務長官アズはちらりと国務長官ウェンケーに視線をやった。


「第三聖堂騎士団を率いていたレニ・ヴェッレ・アイオイテリが戦死したと聞きます。彼は現在ターヤ王国を実効支配しているヒェンタープーフ家と昵懇の間柄のアイオイテリ家が末子。彼奴が生きていればそのパイプを利用してターヤ王国と交渉ができましょうものを」


「左様か」


 同じ言葉をメザンザが吐いた。その折れない態度に周りの人間は歯噛みする。ヨッコ翁を除いて。


「ヨッコ翁も元を辿ればターヤ王国にゆかりがあったな……ヒェンタープーフ家とも近かったはず」


 この言葉に閣僚たちは怒号をあげる。


「それがどうかしたか!!」

「何が言いたい! 翁がターヤ王国を引き入れたとでもいうつもりか!?」

「自分の責任を棚上げして! それが一国の元首の態度か!」

「そーり! そーり!」


 もはや動物園状態である。それぞれが口汚くメザンザを罵り、その奥でヨッコ翁がにやにやと笑っている。


 メザンザには此度の絵図を描いた者が誰かはおおよそ見当がついている。その男にも、付和雷同に付き従い、まるで道理が通っているかのように無理を通す者にも、吐き気を催すほどの怒りを覚えた。


 何よりも、自らの利益を導くために平気で辺境の民草を犠牲にするその傲慢さに怒りを覚えた。


「もぅマヂ、無理」


「は?」


 メザンザは被っていたイスラムワッチのような帽子を掴んで脱ぎ、床に投げ捨てた。閣僚たちのメザンザを責める言葉が止まった。


 別室で不信任案の決議をとっている以上、この部屋で行われている糾弾会にはさほど意味はない。ただ、あの泰然自若に構えている大司教メザンザがしおらしくなって一言わびでも入れれば大層爽快であろう。そんな軽い気持ちでいたのだが。


「もぅマヂ無理。議会とかチョー意味ゎかんない……

 ゥチはマヂメにやってきたのに。

 自分勝手なヤツばっかでマヂ卍」


 ワッチ帽を脱いだメザンザの額には緑色の宝石のようなものがめり込むように輝いている。以前からこんなものがあっただろうか。


 メザンザは続いてローブの襟首に指をかけると、紙でも破くかのようにそれを容易く引き千切って上半身裸になった。


 とても還暦を過ぎたとは思えないような筋骨隆々の体が現れる。


「ゥチわ、節理も無く禍殃かおうを語る人に心を許さぬ。

ひとしく、れを辯疏べんそする事にも」


「め、メザンザ殿……何を……?」


「猊下……?」


 困惑の色を隠せない閣僚たちを前に、メザンザは深く腰を落とし、構えをとった。

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