第382話 お笑い将軍コーフー

「ふふふふ……ハハハハハッ!

 アーッハッハッハッハッハ!!」


 高らかな三段笑いが天幕の中に響いた。いや、中だけではない。野営地一帯にその笑い声は聞こえたと言っても過言ではなかった。


 天幕の入り口に詰めている衛兵二人は「また始まった」と、うんざりした表情を見せる。


 “激昂のヒェンタープーフ”、父親のオズ・ヒェンタープーフに口を酸っぱくして再三「三段笑いはやめろ、悪役にしか見えない」と言われたにもかかわらずコーフー・ヒェンタープーフはそのオズが死んでからというもの、事あるごとに三段笑いをしている。


 特にターヤ王国がヤーベ教国に侵攻を開始してからはほぼ一日に一回は三段笑いをしている。


 酷い時には緒戦に敗北した時ですら三段笑いを高らかに決めて「私を楽しませてくれる!」などと締めの言葉を吐いて、治療用の天幕内の傷ついた兵士たちが激怒した、という話もあるくらいだ。


 ちなみに今日はすでに三回目である。


 天幕の中でコーフーの横に立っていた大男トットヤークも彼に悟られないように呆れた表情を見せた。親衛隊の騎士も同様に見えないように方眉を上げて周りの騎士を苦笑させる。


「本当にヤーベ教国を敵にまわしちまうとはな……」


 トットヤークがボソッと呟くと


「クククク……」


 また始まった。今日四回目である。


 トットヤークはその巨躯と、髪に繋がった見事な獅子のような顎髭に似合わず臆病な性格から“座敷犬ポメラニアンのトットヤーク”と陰で呼ばれているが、そのあだ名はまだターヤ王国軍には知られていない。


 現在は『情報通のアドバイザー』的な立ち位置でターヤ王国軍に従軍している。


「知っての通りヤーベ教国の聖堂騎士団には諸国の貴族の子弟が多く在籍してる。覚悟はいいか? 国外での戦いに革命軍の兵は貸せねえからな」


 トットヤークが一国の元首に対して不遜ともいえる言動を見せるとコーフーはニヤリと笑みを見せた。一瞬「また始まるのか」と周りの者が嫌な表情をしたが、コーフーは今度はそのまま答えた。


「もちろん手回しは済んでいる。これだけ勝ち戦が続けば国内の不満も逸らせよう」


 トットヤークは「そうかい」と呆れ気味に答えるとそのままのそのそと天幕を出て行った。しばらく歩くと本陣よりは少し小さいが、それでも申し訳程度の刺繍で飾られた別の天幕に入っていった。


「よう、まだ起きてるか? 王子殿下?」


 野卑な言動に中にいた女官は少し眉をひそめたが、しかし衛兵は気に留めることはなかった。中央にいる怯えた表情の青年は小さい声で答える。


「『殿下』はやめてくれ。ヒェンタープーフ家は王族が務まる様な家柄ではない……」


「フン、暫定王陛下はそんなことは露ほども思ってないようだがな。今日もご機嫌だぜ」


 トットヤークがちらりと先ほどの天幕の方向に視線をやるとまた高笑いが聞こえてきた。五回目である。


 あまりに不遜な物言いに青年、バァッツは不満な表情を見せるどころか怯えたような顔をし、女官に「人払いを」と言って女官と衛兵を外に出した。女官たちは慣れたもので、特に異を唱えることなく外に出て、話し声の聞こえないところまで下がっていった。


 それを確認してからトットヤークは少し申し訳なさそうな表情に変えて口を開いた。


「しかし、まさか開戦にまでなるとは思ってなかった。悪いな。俺がコルコス家とヤーベ教国の繋がりを示唆しただけでここまでの事態になるとは……」


 それは、トットヤークが、クーデターを成功させたヒェンタープーフ家に取り入るために持ち寄った『手土産』の情報が元であった。


 以前、南部を治めるコルコス家はヤーベ教国と通じベアリス王女の暗殺を企てていた。その後、日和ひよったコルコス家を見限ってベアリス王女の身柄を革命軍に引き渡した経緯がある。


 その情報をコーフーに知らせると、彼は訝し気に聞いていた表情を一転させて「ヤーベ教国が亡命した王女を擁立して傀儡政権を立てようとしている」と宣言し、開戦まで踏み切ったのである。


「俺のミスだ……に判断を仰ぐべきだった……」


「!! ……やはりベアリス王女は生きて……!!」


 眉間にしわを寄せ、ずっと情けない表情で眉をハの字にしていたバァッツが初めて希望を見出すような表情を見せたが、トットヤークはそれを手で制した。


「今はまだ居場所は教えられん。……だがいつか必ず、彼女の力が必要になる時が来る。俺達が新しい世界を作るにしても、それはあのお笑い将軍の下じゃない。彼女の下でだ」


 トットヤークはバァッツの襟首を掴み、グイ、と持ち上げた。


「その時には、お前にも手伝ってもらうぞ」



――――――――――――――――



 山の中を進んできた青年と少女は、町が見えると自然と早歩きとなり、青年が前に、そしてその青年に手を引かれて少女がついてゆく。


 体格の差もあるが、大きな、そして暖かな手だった。秋も少しずつふかまり、冷えてくるとその暖かさだけで緊張していた心も和らぐ。


 少女……ヒッテは、つないだ手から、まるで心までもが暖められるような感覚を覚えていた。


 大きな手に、手を握られるというのはこれほどまでに安心感を得られるものなのか。ヒッテはまだグリムナの事を思い出すことは出来ないでいたが、しかし以前もこんな風に、手を引かれて旅をしていたような、そんな感覚を思い出す気がする。


 もやもやと。彼自身の事は思い出せないが、しかしその時に感じただけは確かに自分の中にはあるのだと感じた。


 あの時。


 森の中でパーティーの解散を宣言した時、自分の旅はここで終わりなのかと思うと、胸が張り裂けそうになった。自分もフィーと同じように置いて行かれるのではないかと、この人は全てを捨ててたった一人で旅立ってしまうのではないかと、そう思うと、自分の半身が引き千切られるような心の痛みを覚えた。


 だが、グリムナはヒッテと共に歩む道を選んだ。ともすればそれはグリムナが見せたなのかもしれないが。

 しかしヒッテはそれが嬉しかった。この手をもう二度と離したくない、と、そう思った。


 いつかその時が来るとしても、少なくとも自分からはその手を離したくない、と。


「様子がおかしいですね……」


 町に着くとヒッテはそう小さくつぶやいた。


「そうだな……」


 グリムナも町の様子を見回しながら答える。街道沿いとはいえ、山に近い小さい町。しかしそれにしては人が多いし、何やら慌ただしく感じる。


 グリムナが一人の通行人に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。


「知らないのか? ターヤ王国とヤーベ教国が開戦したんだよ。避難民が続々と南部に逃げてきてんのさ」

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