第383話 開戦の報せ

「戦争が……?」

「ああそうだ。ターヤ王国が攻めてきたのさ」


 グリムナは唖然とした表情になった。


「ベアリス様が……いや、違う。あの人はまた追放されたから、今政権を握ってるのはヒェンタープーフだったか……?」


「そんな名前だったかな? まあいずれにしろ宿はいっぱいだし、治安も悪くなってる。こんな時期に旅だなんてついてないな、あんたら。まさかローゼンロットに行くのか?」


 村人は肩をすくめてそう言った。ローゼンロットはヤーベ教国の首都でありベルアメール教会の総本山。まさにグリムナの現在の目的地である。


「ローゼンロットじゃ議会が停止して大司教メザンザの緊急事態宣言で戒厳令ロックダウンが敷かれてる状態だ。ここよりひどいぜ。悪いこと言わないから不要不急の用事なら行かない方が賢明だな」


 グリムナとヒッテは思わず顔を見合わせる。議会が停止。戒厳令。一体ローゼンロットで何が起こっているのか。


「どんどん物騒な情勢になっていくな、こりゃ竜の復活も近そうだぜ」


 そう言い残して村人はどこぞへと歩いて行った。見上げてみれば、今にも泣きだしそうな曇天。あの空の向こうで、いったい何が起きているのか。


 グリムナ達は結局宿をとることは出来ず、仕方ないので宿屋にはした金を払ってうまやで寝ることにした。匂いは気になるが自分達の汗臭さを消してくれるからちょうどよいかもしれない。


 それに屋根があるというだけで随分上等だし、村人の話では治安も悪化してるとのこと。そこいらで野宿するよりはずっとましである。


 藁の上で寝転がっていると、ヒッテが話しかけてきた。「教会は、いったい何を考えているのか」と。


 それへの答えはグリムナは持っているとも言えるし、持っていない、とも言える。


 5年前、グリムナは大司教メザンザと対峙しているのだ。その時メザンザは一度この世界を滅ぼし、新たに作り変える、と言っていた。その時点でヴァロークとつながりがあったのかは分からないが、しかし奴らとほぼ同じ考え方と言って差し支えない。だが、それが教会全ての考えなのかどうかは、分からない。


「世界が、悪い方向へ、悪い方向へと動いていっているように感じます」


 寒いのか、ヒッテは毛布にくるまるようにしながら不安そうな表情でそう言った。


「そうだな……コルッピクラーニの森の外、あそこでも何かあったみたいだしな……」


 グリムナ達が森を出た時、そこには死体はなかったものの、しかし明らかに戦闘の形跡、おびただしい量の血が流れた跡が見て取れた。他の痕跡は残っていなかったためそれが何かを断定することは出来なかったが、何者かが自分達を襲おうとしたのではないか、そう思えてならなかった。


 そしてもう一つ、彼にとっては今一番気がかりなことがある。それを察してかそれとも察せずが、ヒッテは口を開いた。


「ラーラマリアさん……どこに行ってしまったんでしょう……」


 目には涙を浮かべている。いつの間に彼女とそんなに親密になっていたのか、少しグリムナは驚いた。


 ヒッテは少し興奮したような様子で毛布を除けて、グリムナに縋りつくように話しかけた。


「グリムナさん、ラーラマリアさんを助けてください! あの人はきっと今も、たった一人で苦しんでるんだと思います……自分の弱みを素直に人に打ち明けて、助けを求められる人じゃないから……あの人は悪い人じゃありません」


 グリムナは思わず眉間に皺を寄せてしまう。確かに彼女が素直な性格ではないことは彼もよく知っている。だが「悪い人じゃない」と言われるとどうか。


 自分が『悪』と断ずれば容赦なく殺し、ローゼンロットの近くの山中では追いはぎをしようと画策し、トゥーレトンでは目の前で顔見知りが襲われているにもかかわらず助けようとしなかった。


 確かに二人で旅をするうちに大分常識が備わってきたような気はするのだが、しかしヒッテが断言するほどだろうか。グリムナは首をひねったが、しかしヒッテは言葉を曲げない。


「確かに人の気持ちを察するのが苦手で、極端な行動をとるきらいがありますけど、それでも……」


 そこまで言ってヒッテは言葉を飲み込み、恥ずかしそうに目を逸らした。


(グリムナの事を好きになる人が、悪人だとは思えない……)


 なぜラーラマリアはグリムナの事を好きになったのか。その経緯をヒッテは当然知らないが、しかし彼のような心優しい人間に惹かれる彼女が、簡単に悪人と断じることのできる人間ではないように思えて仕方なかった。


 しばし気まずいような沈黙の時間が流れたが、ヒッテは毛布についた藁を払ってからその場に座り、静かに呟いた。


「少し冷えますね……グリムナさん」


 日中に比べ、秋の夜は随分と冷える。グリムナも毛布に身を包みながら「そうだな」答える。


「しかし、ラーラマリアは一体どこで、何をしてるのか……」


「このまま厩で一人寝なんかしたら、風邪ひきそうですね」


「ああ? あ、うん……」


 思わず間抜けな声を上げてしまうグリムナ。ヒッテはじっとこちらを見つめている。


「らっ……ラーラマリアは……小さいころから、親子関係がうまくいってなかったみたいなところはあるみたいだったけど……もしかしたら、パーティーを家族みたいに思って」


「雪山で遭難した時は、体温を逃がさないように抱き合ってからだを暖めるそうですね」


「…………」


(ラーラマリアの話は……終わったのか……?)


 グリムナは、こほん、と咳ばらいを一つしてから、改めてヒッテに話しかけた。


「その……一緒に、寝る?」


 そう言ってくる待っていた毛布の端をひらりとめくって入り口を作ると、ヒッテは無言で滑り込むように毛布に入って来た。


 十二歳の頃の子供の身体とは違う。成長した柔らかさと膨らみのはっきりと分かる女性のそれである。しかしグリムナは情欲とは全く別の事を考えていた。


 以前にもこんなことがあった。


 ヒッテは満足そうに目を細めて毛布にくるまっているが、グリムナは二人が出会ったばかりの事を思い出していた。


 二人が初めて出会った日の夜。ヒッテはちょうど今夜のように体をゆだねるような態度を見せ、油断させて、荷物を持ち逃げしたのだった。しかも後々そのせいで児童への性的虐待疑惑をかけられて裁判にかけられた、苦い思い出である。


 思えばあれから随分長い時間が経ったように感じられるし、実際経っている。あの時の子供は立派な淑女に成長したが、しかし彼にとってはいつまでも妹のようにも感じられる。


 グリムナは優しく彼女の頬を撫でた。まるで磨き上げられた家具のような柔らかく、なめらかな肌触りだった。


 ヒッテは少しだけ目を開けて、グリムナに問いかけた。


「グリムナさんは……私のことは、置いていったりしませんよね……?」


 少し、寂しそうな表情を見せる。『置いていく』と、彼女は言った。


(……え? 俺が荷物持ち逃げするんじゃないかってこと? お前じゃねえんだからしねえよそんな事)


 グリムナはヒッテの肩をぎゅっと抱き寄せた。


「俺は……お前を置いて、行ったりはしない。だからお前も、俺を置いて行かないでくれ。」


 荷物の持ち逃げはしない、だからお前も二度と荷物の持ち逃げしないでね。という意味である。


 ヒッテは体が熱くなるのを感じた。顔が上気し、鼓動が早まる。心臓が締め付けられるように痛む。

 だが緊張よりも安らぎをより多く感じていた。たとえ記憶がなくとも、やはりここが自分の帰る場所なのだと。


「お前にいなくなられたら……俺は旅を続けることなんて、きっとできない」


 お前に今路銀を持ち逃げされたら旅はできない、という意味である。


「グリムナさん……」


 ヒッテはグリムナの体を抱きしめ、いつの間にか静かに眠りについていた。

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