第393話 死神の行進

 動き出した。


 始まりにして終わりなる者。


 それはまさしく死の象徴であり、人にとっては絶望の具現化した姿のようでもあった。


 ゴゴゴゴ、と唸り声のような音が聞こえるが、これは竜の鳴き声ではない。


 体が、きしんでいるのだ。その、余りにも大きすぎる体のため。おおよそ地上にては存在しえない質量のため。崩壊しつつ、再生しつつ。脚を上げ、運び、下ろす。そのたびに体の周りには煙のようなものが溢れ、地に足が着くたびに大地は割れ、陥没し、湖が枯れ、また別の場所では水があふれだす。


 その咆哮は、空気が歪み見えるほどに重く、深く、世界の全てを震わせる。空を逃げようとするヒヨドリの群れが、衝撃波に気を失い、落下してゆく。


 森に棲む獣たちも必死で走り、はしり、逃げようとするが、竜の歩みの方がやはりはるかに速い。割れた大地に飲み込まれ、溢れた水に溺れ、命を失ってゆく。


 それはまさしく、死が歩いているようであった。


 その姿はまさしく竜である。四つの脚に一つの頭、一対の翼を持っているが、まさかそれで飛ぶとは到底思えない。

 頭には片側に四つずつ、合計八つのドーム状の複眼が連なってついている。


 この大陸にも竜……巨大なトカゲはいる。コントラ族が砂漠での移動に使っているものや、山の奥深くに住む獣がそうであるが、しかしそれらは大きくとも象ほどの大きさ。


 一つの山程度の大きさのある、死の竜ウニアとは比べるべくもない。


 哀しみの咆哮を上げながら竜は進みゆく。町が、村が、一つ、二つと踏みつぶされ、瓦礫の山と化してゆくが、止まらない。竜は、この周辺で最も大きな街、ローゼンロットへと導かれるように歩んでいく。


 竜の通った後にはただ一本の太い尾の跡と、足跡だけが残る。それはまさしく死のわだちである。



――――――――――――――――



 グリムナは懐からナイフを取り出し、村長に突き付けた。


「た、短絡はよしたまえ、そんなことをして何になる……」


 グリムナははあはあと荒い呼吸をしながら村長の腕を後ろ手に拘束する。


「アムネスティ、リカウス。コイツの命が惜しかったら村民を避難させろ!」


「なんてことを、グリムナ、あなたが暴力を……」

「理解できない、なぜそんなことまで!」


 アムネスティとリカウスも唐突なグリムナの行動に狼狽えている。特にリカウスはなんだかスポーツ漫画の敵チームに出てくる秀才キャラのようである。


 その時、グリムナの後方にいた村人の一人が気づかれないように彼を取り押さえようとしたが、一瞬早くヒッテが村人の腕を取り、巻き込むように引っ張ったかと思うと、腕が伸びた瞬間反転させ、仰向けに転ばせた。小手返しである。


「グリムナさんの言うとおりにしてください!」


「おい! 傭兵ども!」


 ヒッテがグリムナの背中を守る様に後ろ側に立つとグリムナは先ほどの傭兵団のボスを呼びつけた。それと同時に村長は目つきが厳しくなる。


 実を言うと村長が避難に難色を示したのは何も言葉に出した、村を放棄して生きていけない、という事だけが理由ではない。


 この、傭兵団と、それが襲い来る前日に『たまたま』訪ねてきた旅人。この二者が結託しているのではないかと疑っていたからだ。


 つまり、村を放棄させて、その間に財産を根こそぎ奪う算段ではないかと。


 その、村長の疑いの眼差しにも気づかず、グリムナは傭兵に話しかける。


「村人達を避難させてくれ! 暴力をふるいさえしなければ、脅迫してでも、無理やりでもいい、頼む!」


 傭兵団のボスは先ほどまでの惚けていた表情をあらため、真剣な表情になってこれを了承し、部下たちに指示を飛ばす。


 傭兵団の男たちは現在半数ほどがグリムナの魔法のキスを受け、戦えない状態、賢者モードになっている。それでもグリムナの指示に従ってくれるかどうかは賭けであったが、しかしそれはうまく行った。


 ように見えた。


「貴様ら! やはりグルだったのか!!」


 村長が怒りの声を上げた。グリムナとヒッテは驚愕の表情を見せる。彼らからすればあまりにも突拍子のない発言であった。


「グル……? いったい、何を言って……」

「とぼけるな! おぬしら、傭兵共とグルになって村の財産を奪う気だろう!」


 まともな判断力とは思えない。そもそもこんなさびれた寒村にどんな大層な財産があるというのだ。それ以前に、仮に傭兵とグリムナ達が結託していたとしても、竜の出現とは何の関係もない。


 あまりの事態に、冷静な判断力を失っているのだとしか思えない。


「グルでもなんでもいい! とにかく避難するんだ!! 言うとおりにしろ!」


 しかし正常な判断力ができていないのはグリムナも同じである。理によって説くことができない。何はなくとも避難しなければ、その思いが先走って思わず村長を怒鳴りつけてしまう。


 こうなると村長の方もますます頑なになってしまう。先ほどまでは何とか傭兵たちと交渉して丸く収めようとしていたが、もはや恐慌状態と言ってもよい。


「落ち着いてください、村長、グリムナさん」


 ようやく『理解者』リカウスが口を挟んだ。グリムナは彼が状況を正しく『理解』していてくれることを祈るのみである。


「全員の避難には、全員の『理解』が必要です。ここは一旦お開きにして、集会を開いて避難するかどうか、全員で協議を……」

「このトンチキがああぁぁ!!」


 平時ならばそれでも良い。正論である。しかし竜はもう目前にまで迫っているのだ。


 その時、隕石の如く人の頭ほどの大きさの岩が飛んできて、グリムナの脚元に落ちた。「誰が投げたのか」まず頭に浮かんだのはその考えであったが、これだけの重量の岩を投げつけられる者など心当たりがない。グリムナは顔を上げた。


 もう、目と鼻の先まで竜が迫っていたのだ。それでもまだ数キロはあるが、全くスケール感の狂うサイズである。竜の姿が、空を埋め尽くしていると言ってもよいくらいだ。


 そのは竜がただ歩き、巻き上げたに過ぎないのだと、一瞬遅れて誰もが理解した。


「たのむ! 逃げてくれ! もうなんでもいい! 逃げてくれる人だけでもいい! 命を! 守ってくれ!!」


 グリムナは村長の拘束を解き、そして涙を流しながら訴えた。


 もう全員は守れない。


 村を守れなかった。


 ただその無力感と絶望が、グリムナに涙を流させた。村人たちも、傭兵たちも、取る物もとらず、まとまりなく、三々五々に逃げ出す。それはまさしく『蜘蛛の子を散らすように』という表現がぴったりときた。


 グリムナももう村人や傭兵を気遣う余裕はない。


ただ一つ。


 絶対に失いたくないもの。


 ヒッテの手を握り、駆け出す。秋の落日の如きおそるべく速度で来たる竜から逃げるべく。


 ヒッテも涙を流していた。


 人とは、こうも無力なものなのかと。


 もし人にもう少し分かり合う力があれば、もっと早く逃げられたのに。


 竜の方をちらりと振り返り、それから走る。恐怖と絶望からか、冷え切ったグリムナの手をぎゅっと握って。


 死にたくない。


 生きていたい。


 自分が愚かにも過去に願った、世界の崩壊とはこんなにも無慈悲で、恐ろしいものなのかと絶望した。


 このまま愛する人の手を握ったまま、どこまでも逃げ出したい。


 そして彼女は走りながら、必死に逃げ惑う村人たちを見る。誰もがそうなのだ。愛する人がいて、守るものがあって。


 逃げて。みんな、生きて。


 祈りは、誰かに届いただろうか。

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