第26話 強襲

 残り9人。


 三馬鹿はアジトに戻る前、自分たちを除いてアジトにいる山賊は11人と言っていた。その後、グリムナが用を足しに来た山賊を二人無力化したので残りは9人である。そろそろ日も暮れる、洞窟の内部構造についても先ほどの山賊から軽くヒアリングした。もはや突入に迷いはない。


 日が暮れてきて、大分視界も悪くなってきていた。次に人が出てきたら、そのタイミングでグリムナは突入しようと考えていた。


 来た。一人の男が、何の気なしに外に出てきた瞬間、間髪入れずにグリムナが襲い掛かる。男は声を上げることもできずになす術もなく唇を奪われる。これで残り8人。しかし、濃厚な唾液交換をしながらもグリムナは視界の端に人影をとらえた。


「え? ちょ……え?」


 迂闊であった。どうやら一人ではなかったようだ。あと二人、その男のすぐ後ろに控えていたのだ。しかし前にいた男が剣で切り付けられたなら男たちはすぐに大声をあげて切りかかってきただろうが、今その二人はただただ困惑した表情で立ち尽くしているだけである。仕方あるまい。知り合いが目の前を歩いていたら突然男が出てきてその唇を奪ったのだ。これがまさか戦闘行為だとは思うまい。

 実際目の前でそんなことが起きたとしたら作者もきっと困惑するだけだろう。なんなら気まずそうに視線を逸らすかもしれない。見てはいけないものを見てしまった、と。


 とにかくである。困惑して立ち往生しているだけの二人の男に照準を絞り、グリムナがさらに意識を失った前の男を投げ捨てて唇を奪う。唇を奪われた男はくぐもった声で悲鳴を上げるのみであるが、最後の一人がようやくこれが尋常の事態ではないと気付く。この侵入者、情夫と言うわけではなく、男ならだれでもいいのか、と。


 ここで、山賊の中でグリムナが情夫から変質者に格上げとなった。


「変質者だ! 誰か……!!」


 そう言いながら最後の一人が腰の剣を抜きながら叫ぶが、すぐさまその口をグリムナが塞ぐ。もちろん彼の口で。これで、残り6人である。


 ドサッ


 三人目の体をグリムナが投げ捨てると、ようやく異常事態に気づいた残りの山賊達が出てきた。しかしグリムナは臆することなく洞窟の奥に歩みを進める。洞窟は入ってすぐに広間のように大きな空間があり、そこからいくつかの部屋に分かれるような構造になっていた。おそらくはこの大きなスペースが最初にあった天然の洞くつで、その先は彼らか、別のモンスターか動物かは分からないが、何者かが掘り進めたものなのだろう。


「マジか……三馬鹿の言ってたことは本当だったのか……」


 山賊の中でも一際体格の大きな威圧感のある男が呆然とした表情でそう言った。やっと山賊達の中でグリムナの順位が変質者から救出者へど格上げされた。おそらく彼がこの山賊団の元々のリーダーなのだろう。そして彼にも三馬鹿からの話はすでに伝わっているようだ。すぐに攻撃してくる気配はない。あの三馬鹿トリオは意外と有能だったようだ。たとえ残りの6人が敵対的であったとしても、もちろんグリムナはここで退くつもりなどなかったが。


 その時、一番奥の部屋からズン……ズン……と地響きを上げながら何者かが進んできた。


「来たな……」


 グリムナが眉間にしわを寄せながらそう呟く。そう、ついに大本命、敵のボスが来たのだ。山賊達が道を開けると4メートルほどの巨躯に毛むくじゃらの体、でかい鼻と耳を持った緑色の肌の化け物が姿を現した。この山賊団を恐怖で縛るボストロール、リヴフェイダーのお出ましである。全体のシルエットとしては足に比して手が長く、巨大なゴリラ、といった感じだ。武器は右手にある巨大なこん棒だけであり、鎧なども装備していない。


「お、お前……何者……? エ、餌に、なりに来たか!」


 地響きのような低く、響く声でリヴフェイダーが話しかけてくる。すさまじい威圧感にさすがのグリムナも嫌な汗をにじませる。この威圧感に比べたらオークなどかわいいものだ。


「に、逃がすなよ……お前ら」


 リヴフェイダーの指示に山賊達がおずおずと出入り口の辺りに集まってくる。その中には三馬鹿や昼間会った二人の姿もあった。まだキスをしていない奴も含めて、すでにグリムナに対し明確に敵対的ではないものの、やはりリヴフェイダーが恐ろしいのだ。積極的にグリムナを攻撃する意思はないが、悪く言えば日和見、という状態である。


 結局この化け物を単身で倒さねばならないのだ、グリムナは覚悟を決める。


「倒す……? いや違うな……」


 グリムナは自分の脳内の言葉に反論する。それと同時に体から『力み』が抜ける。右足を前に半身に構え重心は左足に置く。しかし両足のかかとは軽く地面から浮かして不意の攻撃にも対応できるように準備をする。その上で右手を軽く上げ、相手との距離を測るように前に出す。


 ブン、という風切り音とともにこん棒の一撃が飛んでくるが、間合いの外側にいたグリムナはこれを難なくかわす。


 頭部が遠い……


 戦い始めてすぐにグリムナは問題点に気付いた。さらに言うならその異様な体型。通常の人間とは当然違うが、獣に近い前傾姿勢で、首の太さはグリムナのウエストほどもある。通常の体術で倒せる相手ではない。ラーラマリアのように魔法が使えて、一撃で大木も切り倒すような剣術も使えるのなら話は別だが、グリムナにはそのどちらも、ない。


 今度はリヴフェイダーは突進しながらこん棒を振ってきた。グリムナは今度もそれを寸前リヴフェイダーの右側に回り込んで避ける。セオリー通りのかわし方であったが、リヴフェイダーは左手をクロスさせるようにグリムナに張り手を食らわせた。グリムナは一撃で吹き飛ばされて、壁に叩きつけられる。


「ふぐ、うっ……」


 背中を強打して息が止まり、一瞬意識が飛びそうになる。


(ラーラマリアやシルミラはこんな奴ら相手にいつも最前線で戦ってたんだな……そりゃあ、俺に対してムカつく気持ちも分からんでもないわ……)


 とりとめもないことが戦闘中の彼の脳裏をよぎったが、次の瞬間凄まじい『圧』が彼を襲った。リヴフェイダーが河馬の如き巨大な口を開けて彼の頭部を噛み砕かんと突進してきたのだ。すんでのところでグリムナはリヴフェイダーの体の下を転がってすり抜け、回復魔法を自身にかけながら距離をとる。


 状態は振出しに戻ったが、グリムナには分かったことがいくつかある。一つは強い衝撃を受けて呼吸が止まると回復魔法もとっさには使えなくなるということ、次に野生動物の攻撃はいかに死角にいようがテイクバックがなかろうが凄まじい威力だということ。そして、自分はあの凶器のような顎部に突っ込んでキスをしなければいけないということである。

 分かったことの中に自分に有利な情報が一つもないというのが随分と絶望的ではある。


「フ、フフ、魔法使い、か……」


 トロールがにやにやと笑いながらそう呟く。今の一瞬で一度も武器を使わなかったのでそう考えるのも当然である。しかし実際にはグリムナは攻撃魔法が使えるわけでもない。トロールもまさか自分に挑んできた命知らずがただの回復術士だとは思うまい。


 グリムナがキスを決めるには何とかして相手を弱らせるか油断させるかして動きを鈍らせるしかないのだが、その手が浮かばない。実力差がありすぎて弱らせることは不可能だ、なら逆に負傷したところを見せて油断させる手か、グリムナは思考をめぐらせながらリヴフェイダーとの間合いを取る。

 しかし、次の瞬間目の前にリヴフェイダーの持っていたこん棒が視界を遮った。リヴフェイダーが自身の獲物を投げたのだ。まずい、直撃だ。そう思って頭部だけを両手でガードしたグリムナに衝撃が走ると思われたが、ドゴッという音だけが彼に聞こえた。


「うっ……ぐぅ……」


 山賊のうちの一人が彼を庇ったのだ。


「大丈夫か!?」


 慌ててグリムナが駆け寄って傷を魔法で治す。


「ぎ、貴様ら~!! 仲間を裏切る気がああ!!」


 しかしこれにリヴフェイダーが激怒した。彼からすれば突然の仲間の裏切りである。激高するのも仕方あるまい。しかし、山賊達はグリムナとの間に立ち塞がるように位置をとった。


「よせ! お前たちは逃げるんだ!! こいつは俺一人で何とかする!!」


 グリムナは山賊達にそう言ったが、その言葉に答えるより早くリヴフェイダーがこぶしを振りかぶって突進してきた。一気に敵の数が増えたため、的が絞り切れずに、幸いにも直撃した者はいなかったが、蜘蛛の子を散らすように山賊達は散開する。


「仲間だと! お、思ってたのにィ!! グオオォォ!!」


 洞窟全体にリヴフェイダーの咆哮が響き渡る。グリムナはその隙をついて山賊達を外に逃げるように促し、次いで自分も洞窟の外に出る。


「みな、皆殺しにィ~ッッ!!」


 怒髪天を抜く、という言葉がぴったりのリヴフェイダーが洞窟から出た来た。どうやら彼は本気で山賊達との間に信頼関係があると思っていたようだ。同族を隣でむしゃむしゃ食べられてそんな感情がわくはずがないが、そういった人間の心の機微には疎い男である。グリムナは次第に彼の事を哀れに思い始めていたが、しかし物理的質量は膨大である。


 グリムナは木の陰に半身を隠しながらリヴフェイダーとの間合いをはかる。しかしリヴフェイダーは木など存在しないかのようにグリムナめがけて横薙ぎに手を払う。グリムナはとっさ間合いを取るが、木くずの散弾を受けて視界が奪われる。それはほんの一瞬であったが、次の瞬間にはリヴフェイダーの反対側の手での張り手が彼をとらえていた。


 グリムナは5メートルほども吹き飛ばされて木に激突した。


「う、……グッ……」

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