第351話 それぞれの思惑

 ぽたりぽたりとしずくが垂れる。


 水も湿気もない砂漠の下の遺跡の中。


 そのしずくは、フィーの鼻から垂れる鼻血であった。


「冷静になった?」


「……ハイ……スミマセンデシタ」


 すでに魔力の気配のなくなった呪符を前に、フィーとグリムナは立ち尽くす。フィーは小さく破った布切れを鼻に詰めて佇まいを正した。


「いやほんと……取り乱しました。少し、冷静じゃなかった、というか」

「分かってくれればいいよ……もうあのババアの口車に乗っちゃだめだよ」


 本当に、人の心の弱みに付け込むのが上手い女である。フィーの著作の小説まで引き合いに出して、子作りするよう揺さぶりをかけてきたメルエルテ。


 まんまと言葉尻に乗ってしまってグリムナに襲い掛かったところを鉄拳制裁で返り討ちにあった、というのが事のあらましである。


「フィー、飲み水はどのくらい残ってる?」

「もう、一口くらいしかないわね……」


 グリムナはあえて小説の事にも、彼女が襲い掛かってきたことにも、もう触れようとしない。その優しさが、今の彼女には幸いであった。二人の水筒の残りが少ないことを気にしてはいるが、それ以上の事は彼は聞かない。


「よし、早いとこ調べるだけ調べて、脱出の方法を探すんだ。いいな?」

「え? うん……その、もし、出る方法が無かったら……その時は……」


 顔を真っ赤にしながら、言葉に詰まりつつも、それでも言葉を絞り出すフィー。


「そっ、その時は……ここだけ! ここだけのことにして、墓までもってくから!!」


「ああうん、そやね」(たとえそうでもやらねーよ)


おざなりな即答をして、グリムナは棺に指をかける。


「えっ? ちょっと、やっぱりそれ開けるの!?」

「当たり前だろ、ほら、お前も手伝え!」


 グリムナはフィーの手を取って棺の蓋の隙間に指を無理やりかけさせる。そのまま自分も隙間に指を入れ、棺の入り口側から二人で力の限り蓋を上に引っ張り、力ずくで開けようとする。


「ふぎぎぎぎ……重っ! 本当に開くの、これ!?」

「開くはずだ! ホラ、少し浮いた!! あだっ!?」


 棺の蓋は少しだけ浮いたが、しかしその瞬間グリムナの指が外れて落ち、フィーは指を挟んでしまった。


「痛ったぁ! 挟ん……あっ、血が出てる……!!」

「もう一回やるぞ、後で回復してやるから!」


 フィーは指先の血を気にしながらも、渋々また棺に指をかける。



――――――――――――――――



「落ち着きましたか? ラーラマリアさん……」


 岩陰に移動して、ラーラマリアの背中をずっと撫でていたヒッテが優しく声をかける。ここまで彼女が観察した限り、ラーラマリアの心は常に不安定で、飴細工のように頼りない。


彼女の記憶の中にある、5年前のラーラマリア。常に自信に満ち溢れ、強固な要塞のように堅牢だった強さ。それが実は砂上の楼閣のように儚げな、弱々しいハリボテに過ぎないということに気付いたのは、一緒に旅をするようになってからだったか、しかしやはり5年前にもその片鱗を見せていたような気もする。


 今の彼女はまるで迷子になった幼子のように頼りない。一体どれが彼女の本性なのか、それとも全てが本性なのか。それは測りかねるが、しかしその支えとなっているものがグリムナなのだけは確かだ。


 彼女の異常な憔悴ぶりにリズも少し離れたところから様子を窺っている。それにしてもメルエルテはどこに行ったのか。ヒッテは少しキョロキョロと辺りを見回してから立ち上がる。ラーラマリアは不安そうな表情で涙を浮かべながら彼女を見上げた。


「リズさん、ラーラマリアさん、こうしていても仕方ないです。遺跡の入り口を探しましょう。どこかに必ずはあるはずです」


 ラーラマリアもよろよろと立ち上がり、そして弱々しい声でヒッテに話しかけた。


「ヒッテちゃんは……グリムナの事が、好きなの?」


 唐突な質問であった。


 少なくともヒッテにとっては、今このタイミングでそんな質問が飛んでくるとは思わなかった。ヒッテは頬を赤く染め、しかし自分ではそのことには気づかずに、自分は、彼の事をどう思っているのだろう、と心の中で自問自答する。


 初めて会った時の衝撃。しかしその衝撃にもかかわらず、何も思い出せず、感情も動かなかった。これが、フィーの言っていた『コルヴス・コラックスの秘術による記憶喪失』なのだろうか。だとすれば、5年前、やはり自分とグリムナは深い関係だったのか。


 しかしそんなものとは関係なしに、本当に人間としてかなわない、尊敬できる人間だと、トゥーレトンの一件で深く感じた。


 彼と一緒にいると、深い安心感が得られる。過去がどうだろうと、自分が何者であろうと、やはり自分は彼の事が好きなのだろうな、と感じて、ラーラマリアの問いかけに、静かに頷いた。


 ラーラマリアは、グリムナとヒッテの仲に横恋慕しているのだと思われていた彼女は、意外にもヒッテのその答えに、笑顔を見せた。


「素直な子ね。……あなたはやっぱり、信用できるわ。グリムナと、きっとお似合いよ……遺跡の入り口を、探しましょう」


 そう言って岩陰から出てきて、先ほどまでグリムナとリズが調べていたオオガラスのレリーフの辺りまで歩いてきた。そこにはすでにリズがいて、やはり丹念にレリーフを調べている。

 リズが口を開く。


「ここは、遺跡の、どこだと思う……?」


「どこって……遺跡は砂に埋まっているから……天井、ですか?」


 ヒッテがそう答えると、リズは空を見上げた。日は少し西の方に傾いてきている。


「このオオガラスはどこを向いているか……遺跡の正面はどこにあたるのか……」


 そのリズの言葉にヒッテは何か思いついたようであった。岩陰で休んでいる走竜の方を見る。何かの役に立つだろうと、走竜にはスコップなどの工具がいくつか括り付けられている。


「リズさん……遺跡を発掘、しましょう」

「俺も、同じこと、考えてた。あと、3時間ほどで、日が沈む。作業をするなら、その後の方がいい。今は、体力、温存する。まずは、食事と、休息だ」


 そう言ってリズが岩陰の方に戻っていくと、ヒッテもその後をついていき、少し戸惑うようにラーラマリアは迷っていたが、しかし彼女もおとなしくその言葉に従った。



――――――――――――――――



「そろそろヒッテちゃんたちも私がいないことに気付くころね……」

「え?」


 メルエルテのその言葉にレイティが聞き返す。


「あんたと私が一緒にいるところを見られるのはまずいでしょう? あんたはもう戻りなさい。約束を忘れないでよ?」


「そ……そうッスね……」


 二人の目的はある部分で一致している。メルエルテはグリムナの事をフィーの婿に欲しい。レイティはグリムナとラーラマリアを引き離して、再びラーラマリアに『この世界に絶望させたい』のだ。


「後は私が何とかするわ。もうあんたみたいな役立たずの出る幕はない。下がってなさい」


 そんな言い方はないだろう、とレイティは思ったが、しかしメルエルテの言うことには一理ある。レイティは立ち上がり、後ろ髪惹かれつつも、遺跡から距離をとるように歩いて、離れていった。


「とはいえ、悔しいけど、あとは成るように任せるしかないわね……」


 メルエルテはいらつきを押さえるように爪を噛んでいた。

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