第151話 ビショップ空手十段
『根比べの儀』
ベルアメール教会において、前任の大司教が逝去するか、もしくは辞任した場合に行われる新たな大司教を選ぶ儀式である。これを『根比べの儀』と呼称する。
根比べの儀は外界と隔絶された山の中で行い、大司教の候補となる数人の司教が集まり、山の中で過ごし、それが決定されるまで延々と続けられる。
その内容は話し合いであるとも、何かの競技であるとも、有力者の投票であるとも、はたまた最後の一人になるまでのバトルロワイアルであるとも言われているが、実際に何が行われているのかは、一部の関係者しか知られていない。
通常1週間から十日ほどをかけて行われるこの儀式をたった一日で全て終わらせて大司教となり、山を下りてきた人物がいる。それこそが聖剣エメラルドソードを備えたアルトゥームの前に立ちはだかっている人物、大司教メザンザである。2メートルほどもある巨躯に丸太の如き手足、両の手の
「ビショップ空手十段の業前、とくと
そう言いながらメザンザは帽子を脱ぎ捨てると、腰を深く落とし、重心を後ろに引き、後屈手刀受けの構えをとった。
(なんだ……何を言ってるんだこいつは?)
国境なき騎士団の副団長アルトゥームは困惑の色を隠せない。対峙していたヤー・バニシが一撃のもとに屠られたと思いきや突如現れた大男。それが大司教メザンザであることは彼もさすがに知っているが、彼が何をしているのかは分からない。だが半身に立っているその立ち姿は『構え』のようにも感じられる、というか、そうとしか見えない。
しかしその『構え』でまさか自分と戦うというのだろうか。メザンザは手に得物を何も持っていない。剣を持つ相手に素手で……? あり得ない話である。武器を持つ者と持たないものの戦闘力の差というものは歴然だ。
第一にそのリーチ。武器を持つものは相手の制空圏に入ることなく一方的に相手を蹂躙できる。敵は攻撃できず、こちらからの攻撃だけが届く。圧倒的なアドバンテージである。
第二にその攻撃力。素手の攻撃が鎧を切り裂くことはないが、剣は敵の体も拳足も容易く切り刻む。それゆえに深く踏み込む必要もなくなる。対して相手は斃そうと思えばただでさえ短いリーチでさらに深く踏み込んで強い一撃を加える必要がある。攻撃力の差がリーチの有利をさらに確固たるものにするのだ。
第三にその速さ。円の周長は2×半径×πで表される。すなわち仮に腕の振る速度が同じと仮定すると、剣でリーチが二倍になればその切っ先の速度はそのまま二倍になるということである。
武器を持った聖堂騎士団の男たちがエメラルドソードを持ったアルトゥームに為す術もなく蹴散らされてきた様を今この男は目の前で見ていたはずなのに、素手で戦う、そんな愚かなことを仕掛けるはずがないのだ。
しかし、アルトゥームは知っている。多勢に無勢でありながら、無手でありながら、イェヴァンを含め武器を持った自分達に果敢に挑んできた男の存在を。
グリムナ……奇っ怪な技を使い、あっという間に自分たちを無力化した、その男の存在を。
(この男、魔導士か……? 魔法の気配は感じないが……『カラテ』って単語も今初めて聞いた……とにかく油断だけはできねぇな)
アルトゥームは慎重に正眼に構えて間合いをじりじりと詰める。
「ほぅ……出来ておるのう……」
素手の相手にもおごり高ぶることなく慎重に構えるアルトゥームにメザンザは思わず感嘆の声を漏らした。
先ずは様子見、アルトゥームは敵の拳の届かない間合いで自分だけの斬撃を放つ。いや、放とうとしたが、それを止めた。メザンザが半歩間合いを外し、剣の制空圏から出たからだ。体がでかいだけの勘違いした素人ではない。当然のことであるが、アルトゥームはそれを理解した。
しかし勝負は呆気ないほど簡単についた。次の攻防で決着がついたからである。
無造作に間合いを詰めるメザンザに対し、一瞬反応が遅れたアルトゥームが横薙ぎの斬撃を放つ。腰の高さの横薙ぎの斬撃である。素手であればこれを躱す方法など存在しない。そう考えての自信に満ちた攻撃であったが、結果から言えばこれはメザンザに止められた。
もちろん刃をつかんで止めたのではない。剣に対し素手でそんなことはできないし、相手がエメラルドソードともなればなおさらそうである。しかしそれでもエメラルドソードはメザンザの胴体にめり込む前にその動きを止めた。下からはメザンザの膝、上からは彼の肘、それが同時に剣の峰を挟み込んだのだ。
蹴り足ハサミ殺し。メザンザの左膝と左肘によってその攻撃の威力は見事に止められたし、その次の左拳が彼の人中に叩き込まれたのはほぼその受けと同時に見えた。しかしそれでも腰の入っていない手打ちの拳である。アルトゥームはそれを食らうと同時にフリーになったエメラルドソードで切りつけようと思った。たとえ致命傷でなくとも、この剣なら『命を吸い取れる』、そう思ったのだが甘かった。
左拳が人中に浅く入るのと同時に、いや実際にはその数瞬後であったが、体のひねりを使って十分に『溜め』を作っていた右拳が彼の鳩尾をとらえていた。メザンザは両の手を前に出している状態になる。その一撃で意識を失ったアルトゥームはエメラルドソードを手放し、糸の切れた操り人形のように後ろに吹っ飛んだ
「
そう小さく呟いた後、メザンザは取り落とされた聖剣に気を払うことなく、今度は猫足立ちになって小さく構えた。先ほどの後屈立ちの悠々とした構えとは対照出来である。両の足の踵は地面から大きく浮いている。彼がどんな状況にも対応できるこの構えをとったのは、『次』に備えてのことである。
聖剣が地に落ちると、辺りにいた聖堂騎士団の男たちが我先にとそれに手を伸ばすが、目視できないほどの速さの『何か』がその男たちを次々に捉え、辺りには血と肉片が飛び散り、次いで力なく人の体がドサドサと倒れてきた。
「悪りぃね、それはアタシらのもんなんだよ!」
そう言いながらサガリスを鞭のようにしならせ、悠々と歩を進めるのは、大柄な女戦士であった。
「ようやっと現れよったか、女傑イェヴァン……」
「フンッ、混戦で始まったこの戦いがまさか大将同士の一騎打ちで幕を閉じるとはね……古風なことね」
メザンザはこの言葉には返さず、手刀にしていた前方の左手を少し上げ、手のひらを相手に見える形に、丹田の辺りにあった右手は少し前に出して構えを変えた。
この両の手で、サガリスのすべての攻撃を捌く心づもりである。
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