第18話 職安

 質屋の前でヴァロークに小一時間ほどしこたま説教かまされて、二人はやっと解放された。


「はああぁぁぁぁぁぁぁ………」


 グリムナのでかいため息である。この数日で一体何度目だろうか。疲弊しきっているグリムナを心配してであろうか、ヒッテが声をかけた。


「大丈夫ですか?ご主人様。ほら、あの……ため息をつくと、幸せの妖精が7匹溺死するって言いますし、もうちょっとポジティブに生きましょう。」


 グリムナはヒッテの方をちらりと見る。誰のせいだと思ってんだ。そう考えているのが誰の目からも見て取れる。しかしヒッテはこの程度では動じないが。


 さらに言うなら妖精が7匹死ぬというのも物騒すぎる。7匹は多い。どっから出てきたんだその数字。そして単位が『匹』なのも少し嫌だ。溺死というのも具体的すぎて現実感があって嫌な気持ちになる。グリムナは水たまりの中で死んでる蟻を想像した。ため息程度で死んだり、死ぬ数が多すぎたり、単位が匹だったりと、少し妖精の地位が低すぎる気がする。グリムナはそんな思考が頭の中をぐるぐる回っていたが、元気がなさ過ぎて突っ込む気にもなれなかった。


「ほら、同じため息するなら息吹をしましょう!ヒッテの真似をしてください。」


 そう言うとヒッテは肩幅くらいに足を開き、つま先を内側に向けて膝を軽く曲げた。何が何やらわからないながらも、グリムナも真似をする。


 次にヒッテは握りこぶしを作り掌を自分側に向けた状態でひじを曲げ、強く脇を引き絞った。その状態で右足をいったん左足に寄せてから半歩分前に出して全身に力を込め、息を吐きだす。


「コオオォォォォ………コッッ!!」


 肺の中の空気をすべて押し出すように吐き出す。グリムナも同様にそれをマネする。


「副交感神経が刺激されてリラックスできるでしょう。今度からはため息するくらいならこれをしてください。ため息されると周りの人が嫌な気分になりますから。」


 ヒッテは自慢げな表情でそう言ったが、そもそものため息の原因がヒッテだし、疲弊しきってため息をつくほどに落ち込んでいる状態の時におもむろに今の動作が自然に出てくる者がいたとしたら、そいつは多分そもそも最初っからため息など必要ないのだ。周りの人間もいきなり息吹なんてされたらため息以上にドン引きである。

 しかし、グリムナも少し気が楽になったようでヒッテに話しかける。


「あのね、もう二度としないでね?こんな事。」


 結局グリムナは彼女に折檻することはできなかった。先ほど店でヒッテに触れようとした時、彼女は頭部を庇うような仕草を見せた。おそらくこれまで顔や頭を殴られることが多かったから咄嗟にそんな行動をとったのだろう。無意識にそんな仕草をとってしまう少女に対して折檻などできるグリムナではなかった。


「ここで俺から逃げても隷属の呪法は解けたけど、奴隷契約の書類の原本はこの町の役所にあるんだからね。逃げたところで一生役所から追われる身になっちゃうんだよ?俺は元々君を酷い目に合わせるつもりないんだから、まじめに働いてお金がたまったらそのうち解放してあげるから。だから持ち逃げとか本当にやめてね?お互いの為にならないから。」


 グリムナは彼女の表情を確かめるように顔を覗き込みながら話したが前髪で目が隠れているため表情は良く分からなかった。


「それにしてもあのヴァロークって男は知り合いなの?どういう関係?」


「知り合いだけど、知らない人です。どういう人なのかはわかりませんが、たまにヒッテの前に現れてはよく分からないことを言っていきますね。」


 グリムナは腕を組んで考え込む。ヴァロークが何者なのか、それも気になるのだが、正直言ってヒッテは何を言っても暖簾に腕押し状態でイマイチ伝わったのかどうかが分からない。ヴァロークも苦労してるんだろうなあ、という感想である。グリムナがしばらく微妙な表情で思案しているとヒッテが口を開いた。


「切り替えてきましょ。」


 まさかの、問題を起こした側からの『水に流そう』発言である。この女は自分が何をしたか覚えていないのだろうか。記憶が5分しかもたないメメント体質なのだろうか。


「過ぎたことをくよくよしても仕方ないです。次の事を考えましょう!」


 ヒッテは明るい声でそう言うが、その過ぎたことをまたやらかしそうな空気があるから前向きになれないのである。


「ホラ、あそこに屋台がありますよ。もうお昼も近いし、何か買って食べながら今後の事をお話ししましょう。ご主人様のお金で。」


 最後の一文はなぜ付け加えたのか。もはや煽ってるとしか思えない。しかし二人とも朝飯を食べておらず、腹が減っていたので適当なサンドイッチを屋台で買って食べながら今後の事を話し合うことにした。


「それで、ご主人様、冒険するとか言ってましたけど、何か目的地はあるんですか?適当ぶっこいてるだけじゃなくて何か当てがあるんですよね?」

「ぶっこいて……?」


 やはり若干煽るような口調で話すヒッテに戸惑いながらも、グリムナは自分が冒険者としてギルドに登録してあること、そしてギルドに行けば何か仕事の依頼を受けることができるはずだ、ということを話し、そのまま冒険者ギルドに向かった。





「ろくなのが、ないな……」

「ろくなのがないんですか?」


 ギルドの掲示板を見ながら独り言をつぶやくグリムナにヒッテが問いかける。半ば予想済みではあるが、彼女は字が読めないようだ。


 ギルドの依頼掲示板には下級依頼から上級依頼まで様々なものが掲示してあったが、下級の物は町のドブさらいや清掃など、危険度が低く、しかし安すぎて割に合わないような物件である。こういった依頼はほかに日銭を稼ぐ方法のない半引退の老人冒険者や、働き口のないホームレスが受ける物件で一日働いても600ゴールド程度である。(1ゴールド=1円)

 中級の物は商人の旅の護衛やその他荒事の依頼がメインであった。こういったものは雇い主の審査がある。半端な奴が依頼を受けて失敗されることなど許されないからである。元勇者の仲間とは言え、今は一人のグリムナとがきんちょのヒッテではまず間違いなく書類審査で落とされる案件だ。

 そして上級の物は、今依頼が出ているのは危険なモンスターの討伐の物ばかりであった。こういったものは大抵審査等はなく、達成者に報酬が支払われるものであるが……


(モンスターの討伐はなぁ……正直自信がない。そもそも戦闘は得意じゃないんだ。武器もナイフ一本しかないし。俺の『技』が動物に通じるのか、自信がないんだよなぁ……)


 彼の技術が人間に対しては絶大な威力を誇ることは実証済みではあるが、言葉の通じないモンスターにそれが効くのかは、賭けになる。彼としては盗賊の討伐などの対人戦闘の依頼があれば受けたかったのだが、現在そういったものは出ていなかった。

 落ち込んだ表情で二人はギルドを後にした。



 がっかりした表情でヒッテがグリムナに話しかける。


「期待外れでしたね。さっきから全然計画性というものが感じられないんですけど、何か仕事をもらえる伝手とかないんですか?」


 やはり煽るような口調を変えようとしないヒッテにグリムナは一瞬複雑な表情になったが、彼女の言葉にハッとして呟いた。


「……伝手?そうか、伝手ならあったな……」


  顔を上げてグリムナは力強い足取りで歩きだす。その表情は希望に満ちている。「どこに行くのか」というヒッテの質問に対し「ついてくれば分かる」とだけ答えて意気揚々と歩いていく。やがて、しばらく歩いているとひときわ大きくて豪華な屋敷についた。守衛にグリムナが挨拶すると、なんと顔パスで通ることができた。


「ふふふ、驚いているな、ヒッテ。この町の市民にとって最も強大な伝手があったのを思い出したんだよ……」

「いえ、全然驚いてないし、ここがどこかも分からないです。ヒッテはこの町の市民じゃないですし。」


 よくよく考えたら彼女はこの町の自由市民ではなかったし、表情も前髪で目が隠れていてよく分からない。


「ここはな、この町の代官、ゴルコークの屋敷だ。」


 そう言ってグリムナはゴルコークの部屋を目指して一直線に進んでいく。顔パスなのも『例の一件』以来の事なのである。グリムナはやがて奥にある彼の執務室にたどり着くとノックを教えられた通り3回してから部屋に入った。


「おお!グリムナ殿。よくぞいらっしゃった。今日はどのようなご用向きで?なんでも勇者パーティーを離れたとか聞いたが。」


 ゴルコークはデスクに着席したまま嬉しそうな表情でグリムナを迎えた。グリムナは一瞬「半分てめーのせいだよ」と言いそうになったが、その言葉を飲み込んだ。しかしゴルコークは予想外に朗らかな表情をしていた。『例の件』から1週間ほどが経過したが、少なくともその後彼の悪い噂は聞かない。尤もこういうものは時間がかかるものだから、彼が本当に改心したのかどうかは半年なり1年なりもっと長い期間を持って判断せねばならないが、今日来たのはその後の経過観察も兼ねての事である。


 さて、本題に入ってグリムナは条件に合う割のいい仕事がないか、あれば斡旋してほしい旨伝えたのだが、返答は色よいものではなかった。


「いやね、あるにはあるんスよ?ただねぇ……やっぱりねぇ、個人的な依頼じゃなくて、町として、代官としての依頼ばっかなんでねぇ……」


 あるなら教えてくれ、俺とお前の仲ではないか、という言葉が口をついて出そうになったが、変なことを蒸し返しそうになるのでぐっとそれを堪えるグリムナ。どうやらゴルコークの言いたいこととしては、個人的な依頼ならグリムナを指定して出してもいいが、公共としての依頼は個人的な知人に出す、というのは利益の供与に当たるので控えさせてほしい、ということのようだった。立派である。


 グリムナは上を向いて目頭を押さえる。なんと高潔な人物になったことか。これがあの公私混同甚だしく、自身の欲望にまみれた政治を行っていたゴルコークと同一人物とは。目頭は熱くなったものの、飯は食わねばならぬ。この先どうしよう、と考えていると、いつの間にかゴルコークが席から立ち、グリムナの隣に立っていた。


「まあ、個人としての依頼なら出せるんだよ……」


 そう言いながらゴルコークはグリムナの肩に手を回す。


「今夜……どうだい……?」


 やはり人間そう簡単には変われないのだ。しかし、相手の同意を得ようとする辺り彼も成長しているのかもしれない。グリムナは即座に肩に回された手に合気上げを極めてゴルコークをひっくり返すと走って彼の屋敷を後にした。


「ご主人様は、代官の情夫だったんですか?」


 ヒッテの言葉を無視してグリムナは結局最初の宿に戻り、今日はもう一度そこで泊まることにした。

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