第158話 謎の女の正体

「ひどいひとねぇ、あの熱い口づけをもう忘れたっていうのぉ?」


 大胆に胸を露出した赤いドレスのセクシーな女性。彼女の発した言葉にヒッテ達がにわかに色めき立つ。「やっぱりお前が誑かした女じゃないか」とグリムナが責められるが、しかしそれでも彼にはこの女の記憶はない。誰が何と言おうと初対面だ。

 基本的な人種の特徴として大陸の北方では金髪や茶髪など髪の色が薄くなり、ここオクタストリウムでは黒い髪が主流だ。フィーが町を歩いていて目立った一番の理由もそれであるが、この女性をそれに当てはめるとどうやら南部出身の女性の様である。グリムナはこの旅を始めてからも、ラーラマリアと共に旅をしていた時もあまり南の方には来ていなかった。全く来ていなかったわけではないが、数えるほどである。その数少ない記憶の中にこんなパンチのきいた女性はいなかったように記憶している。


「ほんとぉに覚えてないのぉ? あなたの熱い口づけを受けてあたしは命を助けられて、こうして生きているっていうのにぃ……」


 セクシーな美女はコツコツとグリムナの傍にまで歩いてきて若干腰を曲げ、グリムナの胸元をトントンと人差し指で叩きながら上目遣いでそう言う。動作の一つ一つが男を性的に挑発するかのようにいちいちセクシーで、思わせぶりだ。やはりそんな女性にグリムナは心当たりがない。それにしてもヒールを履いているからとはいえ、この女も背が高い。グリムナと同じくらいの身長がある。


 グリムナは戸惑いと共に少し嫌な表情をする。彼は正直言うと背の高い女というものにろくな思い出がない。まずラーラマリアが背が高い。グリムナと同じくらいある。さらに、めんどくさい女、イェヴァンも背が高かった。彼女はグリムナよりも10センチくらい大きかった。この間彼を逮捕した最新のめんどくさい女、アムネスティも背が高く170センチくらいあった。

 彼にとって『背の高い女』は少しトラウマになっているのだ。


「傷つくわぁ……ホントに覚えてないのぉ?」


 そう言いながら彼女は少し頬を膨らませてコツコツと歩いて彼と距離をとった。キャットウォークで。その姿があまりにもわざとらしくて、フィーはプッと小さく噴き出してしまった。セクシーな女性は背中を向けたまま後ろ髪をかき上げ、その姿勢のままグリムナに話しかける。ドレスの背中はこれまた深くスリットが入っており、尻の割れ目まで見えるのではないかと思えるほどであった。バッソーは催したのか、いつの間にかどこかに消えている。


「じゃぁヒント、前に会った時はもっと露出度の高い服装、だった……かな?」


 この言葉に一層ヒッテとフィーがざわめくが、それでもやはりグリムナは思い出せない。


「いや……全然思い出せないんですけど……本当に俺の知合いです? 誰かと勘違いしてない?」


「何言ってんのよ、『キス』で助けられたって時点でアンタしかありえないでしょうが! いつまでしらを切りとおすつもりよ、この種付けマシーンが!」


 種付けマシーンとは心外である。しかしいくら考えても彼は女性とはイェヴァンとしかキスをしたことはない。頭を抱えていると、女性が残念そうな声で話しかけた。


「あぁん……もぅ、本当に思い出せないのね。仕方ないわね、前に会った時は、こんな格好だったゎ……」


 女性がそう言うと体から煙を出し、一瞬の発光と共にむくむくと体が大きくなり始める。それは筋肉がパンプアップする、とか言ったレベルではなく、部屋全体に広がるように大きくなり、窮屈そうに腰を折り曲げて、グリムナ達を見下ろす毛むくじゃらの緑色の化け物の姿に変化した。部屋の中央に立っているにもかかわらず丸太のような、いや、丸太よりも太いその腕はグリムナのすぐ横にある。


「お、おでのこと……これで、思い出せた……か?」


「リ……リヴフェイダー……」


 フィーが思わず口を押えながらそう呟いた。


「会いだかったゾ……グリムナ……」


 リヴフェイダーはそう言ってにやりと笑みを見せた。そう、セクシーな美女の正体は以前にグリムナが森林王国ターヤで倒した山賊のボス、巨大なトロールのリヴフェイダーであった。(26話辺り参照)


「お、オイ、宿屋が壊れる……! 元の姿に戻ってくれ!」


 見ると、床と天井がみしみしと悲鳴を上げている。ここは人間の建物、トロールの体を受け入れられるような作りにはなっていないのだ。リヴフェイダーはすぐにまた煙を出しながらシルシルと縮んでいき、元の真っ赤なドレスの女性の姿に戻っていった。先ほど彼女が座っていたイスは粉々に粉砕されていた。変身に巻き込まれたのだろう。


「やっと思い出してくれたわねぇ……でも分からないなんてショックだわぁ。あたしそんなに印象薄かったかしら」


「分かるわけねぇだろ!! てかしゃべり方も全然違うじゃねぇか!!」


「どうしてもしゃべり方とか考え方ってその時の外見に引っ張られちゃうのよねぇ……ホラ、偉い人も精神は肉体のおもちゃであるって言うじゃなぁい?」


 グリムナは異常事態の受け入れが早い。もう彼女の正体がリヴフェイダーであるという事には納得し、お得意のツッコミを始めている。


「お前みたいな個性の塊を忘れるわけないだろう……なんでこの町にいるんだ」


「アラ嬉しい。やっぱり覚えていてくれたのねぇ。あなたからしたら大勢いる敵の一人でしかなかったと思ってたのにぃ」


「お前みたいなやつが大勢いてたまるか。それよりもう一度聞くがなんでこの町にいるんだ?」


 グリムナの問いかけにリヴフェイダーは別の椅子を引いて、それに腰掛けながら答えた。


「なんでって……そりゃトロールフェストがあるからよ? 知らないの? トロールフェスト。おっきぃお祭りなんだけど……」


 この言葉を聞いてグリムナは嫌な予感が頭をよぎった。メキから聞いた話だ。近年のトロールフェストの前後や祭りの最中に人がいなくなったり殺されたりするという。まさかとは思うが、トロールフェストに合わせて本物のトロールがこの町に集まっていたりしたら……そして、殺人がトロールの仕業であるとしたら。さらに言うならそれがリヴフェイダーの仕業であるとしたら。彼はリヴフェイダーにキスをして改心をさせたつもりであったが、やはり魔物を改心させることなどできなかったこととなる。それならば……結局はラーラマリアがしたように、人間を守るのなら魔物は殺すしか、なくなる。

 しかしそのことを彼女に伝えると、それは違うと言う。


「あら失礼ねぇ、人間と友達になりたいなら人間を食べるなって言ったのはあなたじゃなぁい。あたし、そんなにすぐに言われたことを忘れるほど頭悪くないわよぉ……あれからたった三人しか人間を食べてないしぃ……」


 どうやら控えてはいるもののやっぱり少しは人間を食べているようだ。まあ生きるためならばそれも仕方ないのかもしれない。グリムナはベアリスが言ったことを思い出した。(105話参照)『人間はチョロい。襲うには最適だ』……まあ、最低限であれば、それは生きるためには仕方ないのかもしれない。受け入れがたい事実ではあるが。


「でもお前じゃないなら、やっぱり殺人や行方不明とトロールは関係ないのか……」


「他のトロールじゃないかしら? この時期にボスフィンに来るのはあたしだけじゃないしぃ……」


 どうやら彼女の口ぶりからするとトロールフェストの時期、この町には多くのトロールが集まるようだ。トロールとはそんなにたくさんいるものなのか、そう思ってグリムナは思い切って彼女に『お願い』をしてみることにした。


「お前の方からお願いして、人間を襲わないようにすることはできないのか?」


 正直無理筋な事だとは思ってはいたものの口に出してみた『お願い』。リヴフェイダーはこの言葉に顎に手を当てて、首をかしげて少し考えこんでから答えた。


「ん~……確かにあたしはトロールの中じゃボス格だから、『普段なら』聞いてもらえるかもしれないけど……」


「だったら……」


 グリムナは少し表情を明るくして口を開いたが、彼女の言葉の続きは色よいものではなかった。


「でも今回は無理よぉ。だってこの世界、もうすぐ終わるもの」

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