第112話 妄想族

「一時期よりは、だいぶ暖かくなってきたな……」


 そう言ってグリムナが宿に併設されている食堂の開け放たれた窓をぼうっと見やった。確かに冬の一番寒い時期はとうに過ぎて、この大陸の中部から北寄りにあるアンキリキリウムの町にも少しずつ暖かさが取り戻されつつある。道の脇にはタンポポが力強く咲いて、椿の花は、もう落ちている。

 だからといってこの時期にプールで泳ぐのは正気の沙汰ではないが。


 グリムナ一行はネクロゴブリコンとの情報の聞き取りを終えて、一旦落ち着いて作戦を立てるため、近くの町であるここ、アンキリキリウムで宿泊していた。

 昼食を食べ終えて一息着きながらグリムナは外を眺めていたが、彼にはある一つの悩みがあった。


「いや~さすがに救世主様ともなると、そう言った下々の生活にも目を向けることも必要なのねぇ」


 ニヤニヤと笑いながら話しかける褐色耳長女の存在。そう、フィーによるウザ絡みである。


(ウザい……)


「とりあえず南に向かうのはいいですけど、それ以外に何も情報がありませんね……」


「ああ。とりあえず昨日のうちに代官のゴルコークにヤーンという人物を見つけたら保護しておいてくれとお願いはしたが、そもそもあの男自体が信用できるかどうかわからんしな」


 ヒッテの言葉に、グリムナが昨日のうちに片づけておいたゴルコークへの相談を報告しながら答えたが……


「さすが救世主ともなると顔が広いわよね。なんたってこの町の代官ともホモだちなんだから」


 即座にフィーが絡んでくる。グリムナはテーブルを軽くドン、と叩いて威嚇したが、フィーは一瞬ビクッとして「な、何?」と怯むものの、しばらくするとまたウザ絡みをし始める。そんなパターンがネクロゴブリコンとの会談の後ずっと続いている。


(ウザい……フィーの母親、メルさんも相当にウザかったが、やはり血は争えないな……)


 彼は世界樹の守り人である彼女の母、メルエルテの前でうっかり世界樹を「ちっちゃ」などと揶揄してしまったため、即座に説教され、しかもそれで満足できなかったのか夜にも襲撃を受けたのだった。

 それに比べればニヤニヤ笑いながら茶々を入れてくるフィーはまだかわいい方なのだが、しかしそれでもやはりウザいものはウザい。


 正直に言えばフィーは友達がいないので、人との距離感がうまく掴めなくてこんな絡み方になってしまうのだが、そんなことは当然グリムナは知る由もない。

 元々あまり他人に干渉しない性分のエルフという種族ではあるが、その上に彼女は他人との関わりというと、BL小説を書いていたサークルの仲間と、後は出版関係者くらいしかいないのだ。要は自分のことを持ち上げてくれる人間としかつきあったことがないので、対等な人間関係というものがよくわからないのである。


「おかしいな……」


 そう小さい声で呟いたのはフィーであったが、一体何がおかしいというのか。


 フィーとしては、軽い冗談を言いながら気の置けない友達と談笑している。そのはずだったのだが、なぜかグリムナは不機嫌になってしまっていた。こんなはずでは……

 もしかして、散々否定しているにも関わらずホモ扱いしていることに腹を立てたのだろうか、フィーはそう危惧した。グリムナは、といえば、それももちろんそうなのだが異常に救世主として持ち上げてくるフィーの話し方が『煽っている』ようにしか感じられなかったのだ。


 当然そのことにヒッテとバッソーは気付いているが、彼女自身はそんなこともわからないほどのコミュ障なのである。もはや救いがたいトンチキ女であるが、そんなところにまで配慮してやるほどグリムナの心は広くはない。


(もしかしてグリムナ……私のこと好きなのかな……)


 どこの回路がどう繋がってそうなってしまうのか。フィーの妄想にも近い思考力が火を噴いた。


(まあ、確かに贔屓目を抜きにしても私ってすごい美人だし、胸も大きいし。お母さんに結婚相手と勘違いされたから意識しちゃうってのも分かるんだけど……でもダメよ! あなたは腐女子の期待を一身に背負って生きるホモなんだから。ダメダメ! 百万の私の小説の愛読者から怒られちゃうわ!)


 なんとこの腐女子のホモ小説、100万部も売れてるらしい。さらにフィーは高まったテンションを処理できなくなったのか、パチン、とグリムナにウィンクをした。


 それを受けてグリムナの表情は一層険しくなり、さらに意味不明なフィーの行動にヒッテとバッソーも眉をひそめた。煽り気味な口調を続ける女に机を叩いて威嚇したらウィンクしてきた。確かに意味不明である。


(いけない私ったら! こんな人目に付くところで彼を誘惑しちゃうなんて! そりゃこんな皆の見てる前で誘ったりしたら怒りもするわよね! はしたない女だと思われたら一大事だわ。まだ一本も男を知らない純情な乙女だって言うのに!)


 純情な乙女は男を『本』という単位で数えたりしない。


 グリムナ達は小さめの丸テーブルを囲んで座っており、グリムナとフィーは隣であったが、今度はフィーは他の二人に見えないようにテーブルの下でグリムナの方にスッと手を伸ばした。


(いいのよ……手を握っても……こんな、皆に隠れて手を繋ぐなんて、それはもう性行為といっても過言ではないエロス行為に当たるけど……)


 過言である。


 しかし当然グリムナから見ればこの行為は意味不明である。自分はこの女に怒りの態度を見せたはずなのだが、なぜかその直後にウィンクをし、さらにテーブルの下で手をぷらぷらと振っている。一体何がしたいのか。


 悩んだ末、グリムナはフォークでフィーの掌を刺した。


 即座にビクッと驚いてフィーは手を引っ込める。


(ええ? なに? そういうプレイなの? ちょっと過激すぎるわ。これはつまり、俺のアレで串刺しにして、膜を傷つけてやるぜ、ってことね?)


 オタクというものは人間関係をゼロか100かで考え、その中間が存在しないことが多い。声をかけられただけで自分のことを好きだと勘違いしたり、少し叱られただけで容易に敵認定したりする。もちろんこのフィーもそうである。


「あの……さっきから何やってるんですか……?」


 ヒッテがおずおずとフィーに訪ねる。先ほどからの異常な行動、そしてテーブルの下でなにやらしていたことにも彼女は当然気付いている。気付いてはいるが、意味が分からないのだ。

 フィーはこの問いにフッと鼻で笑って答えた。


「ヒッテちゃんには……ちょっとまだ早いかな……」


 早かろうが遅かろうがおそらく誰にも理解できないであろう。結局この日の話し合いでは『南に向かう』事以外何も決まらず、移動の疲れもあって一日ゆっくり休むことになった。


 その日の夜、フィーが妙にうきうきした足取りで宿の廊下を歩いていると、偶然バッソーと出くわした。バッソーは作戦会議の時の彼女の動きがまだ引っかかっていたようで、彼女にその真意を尋ねてきた。


「あの……昼間のアレはマジでなんだったの……?」


 フィーは鼻で笑いながらさっと髪をかきあげ、余裕の表情でそれに答えた。


「ま、グリムナもとうとう私の魅力に抗えなくなってきたってことね……」


 結局昼のアレがなんだったのか、彼女の答えではそれが全く分からなかったが「どうやら色恋の話である」、それだけはバッソーにも理解できた。

 しかしフィーは一転、少し表情を暗くして言葉を続ける。


「でも正直、あんまり経験がないからここから先がどうアクションを起こしたらいいのか分からないのよね……ホラ、彼って奥手なところあるじゃない?」


 やはり未だ意味不明ではあるものの、この言葉にバッソーの眼光がギラリ、と光った。


「そんなもん簡単じゃ。いいか、あのくらいの年の男なんぞ、ちん○んで考え、ちん○んで行動しとるようなもんじゃ! 二人きりになって、ちょいとセクシーに誘惑してやればコロリ、じゃ!」


 何物にも代え難いほど的確なアドバイスである。


「でも……二人きりになる機会なんて……」


 戸惑いながら難色を示すフィーであるが、バッソーは彼女の肩をポン、と叩いてさらにアドバイスを送る。


「安心せい、今日は男女二組に分かれて部屋とをっておる。つまり儂がどこかで時間を潰せばグリムナは今は部屋に一人。機会はワシが作ってやろう……」


 いい笑顔でそう言うバッソーにフィーは感謝しきりであったが、実際のところこのスケベ爺はうまくすればエルフとヒューマンの濃厚ファックが覗ける、その一点のみしか考えていない。


 しかしそんな考えに気付かないフィーはバッソーと別れるとすぐにグリムナの部屋に向かい、ノックをしてから部屋のドアを開け、中に入った。


「フィーか……何?」


 若干不機嫌な口調でグリムナが答える。彼はイスに腰掛けて何やらメモを見ながら明日以降の行動について考え事をしていたようである。


「あ、いや……ナニって……えへへ、そのぅ……ナニがね……」


 フィーは一瞬頭の中が真っ白になってしまったがすぐに自分のすべき事、バッソーのアドバイスの内容を思い出す。


(誘惑……誘惑……セクシーに誘惑……自分が今出来る、最高に誘惑なセクシーを……)


 若干混乱しつつも、フィーは一旦深呼吸をしてから、静かに目を伏せ、ゆっくりと自身の掌を口元に持ってきた。


「チュッ……」



 投げキッスである



「だから! なに!?」


 迎え撃つは、グリムナの、憤怒の表情

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