第111話 ゲーニンギルグ戦闘大宮殿

「グリムナ、お主が世界を救うのじゃ。 儂が授けたその術によって!」


 ネクロゴブリコンの言葉にグリムナは若干いやな表情を見せる。正直言ってこの『術』……キスは……(現在では技のバリエーションとして浣腸も追加されたが、いずれにしろ)彼からすればあまり使いたくない手段ではある。


 彼の脳裏には初めて『術』を使ったときのこと、もっと言うとネクロゴブリコンに濃厚接触をぶちかましたときのこと……さらに言うと彼のキス顔が鮮明に思い出されていた。

 とは言うものの、ネクロゴブリコンの言うことはグリムナ自身もそれが一番良い方法だとは思ってはいるのだ。


 実際彼のキスにより、アンキリキリウムの代官ゴルコークは現在はこれまでの圧政を改め、善政を施いているという。国境なき騎士団のイェヴァンも以前のように衝動的には人を殺さなくなった。ホンの少しだけマシになった。


 際限なく現れる悪を片っ端から暴力で誅する事など出来ない。キリがない。しかし人々が少しだけ、昨日よりも今日、今日よりも明日、少しずつだけ優しくなれるならどうだろうか。それでも人の世に無限に湧き出る悲しみを掬いきることなど出来ないだろうが、人の世は少しずつ良い方向に向かうのではないだろうか。


 きっとそのために自分は生まれてきたのだ、グリムナは漠然とではあるが、そう感じていた。自分が無知蒙昧なる人々を導くなどと言う傲慢ではない。ただ少しだけ、ほんの少しだけでいいから自分の言うことに耳を傾けて欲しい。優しさを持って欲しい。そう考えているのだ。


 そのためであるなら、おっさんおばさんにディープキスをぶちかますことも、ケツの穴に指をつっこむことも、やぶさかではない。


「まずは、ヤーンを探すのだ。おそらくヤーンもヴァロークの見張りの目が強い北からはもう離れておるだろう。南に向かうのだ。儂も何か分かることがあればすぐお主等に情報を飛ばす」


 ネクロゴブリコンはそう言うと、洞窟の隅にごちゃごちゃと物の置かれている一画に歩いていき、ごそごそと何かを探し出した。やがて目当ての物を見つけたようで、グリムナの傍に寄って、一枚の古ぼけた紙切れを見せた。


 茶色く変色していたそれはなにやら小さい魔法陣のようなものと短い文章がいくらか描かれている、呪符のようなものであった。


「これを持っておれば儂の使い魔をお主のところまで飛ばすことが出来る。大事に持っておれ」


 そう言って呪符をグリムナに手渡した。しかし受け取ったグリムナは少し困惑しているように見える。


「いいんですか? 師匠……ヴァロークを裏切るような真似をして……」


「なあに、老い先短いゴブリン如きのことを気にする必要などない。 儂はもう十分に生きたわ。生きすぎるほどに生きた。今度はこの世界に恩返しをする番じゃ」


 そう言いきるネクロゴブリコンの表情は話し始めたときのような疲れた顔ではなく、生き生きとした、覚悟を決めた顔をしていた。迷いが消え、する事が決まったことによる清々しさが見て取れた。




 さて、このネクロゴブリコンの住処をグリムナ達が訪ねた時から前後して2週間ほど前になる。ヤーベ教国の首都ローゼンロット、そこにある国家とベルアメール教会の中枢機関を兼ねるゲーニンギルグ戦闘大宮殿。ベルアメール教会の礼拝堂を中心として若い僧達が学ぶ大学、議会などの政治施設、そして国家防衛のための軍事施設と聖堂騎士団の教練場や宿泊施設などがごった煮状態で混在しているが、全体としては戦闘大宮殿と呼ばれるだけあって見る者を威圧するほどの質実剛健で堅牢な作りになっている。

 宮殿と言うよりはその機能は要塞に近く、その大きさは城塞都市に近い。


 その、聖堂騎士団の中枢本部のある石造りの建物の一室で一人の女性がテーブルに突っ伏していた。


 そこは小さい会議室のような部屋で騎士団の連中がちょっとしたミーティングを行ったり、はたまた雑談をするときに使われる部屋であったが、その女性以外には誰も見あたらない。

 しばらくすると、ぎぃ、と年季の入った木戸をあけて一人の金髪の美丈夫が入室してきた。


「こんなところにいたのか、ラーラマリア……いいのかい? 君のお友達二人は聖堂騎士団のメンバーを従えてそれぞれ聖剣エメラルドソードの探索を続けているというのに、勇者一行のリーダーである君がこんなところでサボっていても?」


 その男が話しかけると、ラーラマリアは少しだけ顔を上げてぼそぼそと全く覇気の感じられない声色で喋った。


「ブロッズ・ベプトか……ほっといてよ。私はもうグリムナに嫌われたんだ……もう生きる価値も望みもない。寝て、食って、うんこを製造するだけの古代のオーパーツよ。人々に忘れられて海の底にでも沈んでるのがお似合いだわ……」


 いくら何でも卑下しすぎであるが、目の周りはクマが出来ており、乾いた涙でがさがさと荒れ放題。テーブルの上には酒瓶が所狭しと並んでいる。喋る言葉は自身への侮蔑と絶望に溢れており、聞いているだけで気が滅入ってくる。その上声が小さく、呂律も回っておらず非常に聞き取りづらい。これがあの生命力に溢れた勇者ラーラマリアの姿なのかと目を疑うほどである。


 以前にグリムナ達と会ったとき、国境なき騎士団のイェヴァンと戦闘になり、見事これを討ち果たしたが、とどめを刺そうとするラーラマリアにグリムナが激怒してそれを止めたのだ。ただ怒っているだけでなく、涙まで流していた。彼女の目の前で、別の女を庇いながら。


 その光景に彼女は絶望して自暴自棄になっているのだった。今までにグリムナが怒ったところなど見たことがなかった。自分に逆らうところも見たことがなかった。彼は完全に自分の支配下にある。たとえ一時的に離れることがあっても必ず自分のところにかえってくるはずだ。根拠なくそう確信していた彼女にとってそれは絶望以外の何物でもなかったようだ。


「もう私は人生の目標を失った……ごめんね、私の子供達……お母さん約束された未来を守れなかったよ……きっとそのうち時空警察がやってきて、未来を勝手に改変した私を始末するわ」


 訳の分からないことを口走るラーラマリアへの反論は不可能である。しかしそれでも暗黒騎士ブロッズ・ベプトは何とか彼女に話しかける。


「しかしこうやってまだ生きているんだ。挽回するチャンスはいくらでもあるだろう? このままでいいのかい?」


 しかしこの言葉にラーラマリアは光を見いだせなかったようである。それどころかどこからか取り出した小さな本を彼に投げつけながら怒鳴った。


「あなたはいいわよ! グリムナとよろしくやってたんでしょう!? このホモ野郎が!!」


 意味の分からな罵倒を聞きながらブロッズが投げられた本を拾うと、やたら耽美で意味の分からない長ったらしいタイトルに、著者の名は『フィー・ラ・フーリ』と書かれていた。パラパラと中のページをめくってみると、どうやら内容はBL小説のようである。その小説の中でグリムナとブロッズ・ベプトが愛し合っている描写があるようだった。

 もはや出所不明の怪しい小説を現実と混同してしまうほど精神が弱っているのだ。


「フィクションと現実を混同しないでくれたまえ。私は彼とは一度会って、数十分話をしたことがあるだけだ。ここに書かれている内容は創作だよ」


「ほ……ホントに? 嘘ついてなぁい? グリムナのアナルはまだキツキツなの?」


 あまりにも弱々しい精神状態である。今なら「グリムナのアナルが人を傷つけて賠償金が必要だから金を振り込んでくれ」とか言われたら簡単に騙されそうである。


「私が彼の肛門の状況を把握している訳ないだろう……しかしこのままじゃ……」


「え? ……ゆるゆるなの?」


「いや……」


「どっちなの……」


「…………」


「……キツキツだよ……」


 正直そんな話題を振られても返答に困るだけであったが、話が進みそうにないので仕方なくブロッズは知りもしないグリムナの肛門事情をラーラマリアに説明した。


「とにかくこのままじゃ本当に誰か別の女か……まあ、男かもしれないけど、グリムナを誰か別の人間に取られてしまうぞ? それでもいいのか?」


「い、嫌! それだけは絶対に嫌!! 誰か別の奴に取られるくらいなら私……!!」


「取られるくらいなら……?」


 言葉を止めてしまったラーラマリアにブロッズが聞き返す。


「ふふ……その意気だ。その覚悟があれば何だって出来るさ。さあ、立ち上がるんだ」


 ブロッズにそう促されて、ラーラマリアはおぼつかない足取りで立ち上がり、部屋の外へ出て行こうとする。


「……神よ……彼に艱難辛苦を与え給え……」

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