第342話 騎士団領

 白い石壁の低層の家が立ち並ぶ街並み。相変わらず砂漠の太陽は暴君の如くふるまって大地を焦がしてはいるが、オアシスがある分、いくらかそれはマシに感じられた。


 何しろ夏の熱い盛り、荒野では気温は50℃を越えることもある地獄の世界。不用意に歩き回れば人は数時間で体液が沸騰して焼け死んでしまう。


「ハンパねぇな……これが暗黒騎士の実力か……」


 群衆の中の一人が呟いた。男たちが囲む円の中心には二人の、ともに大柄な男女。男の方は2メートルを越える巨躯に身の丈と同じほどの大きさのバスタードソードを振るっている、暗黒騎士ベルド。もう一人、女の方は190センチに満たないほどではあるが、女としてはこれもやはり巨躯と言って差し支えないし、普通の男と比べてもやはり頭一つ抜けている。騎士団領の長、イェヴァン。


 北方蛮族の血を引く彼女は黄金に輝く髪を振り乱しながら赤黒い剣を振る。


 不思議なのは彼女が剣を振るたびにその得物の大きさが毎回変わっているように見えることだ。いや、『見える』ではない。明らかに変化している。


 時にはベルドの持つ剣よりも大きな鉄塊のような状態になり、重量に任せて叩き潰そうとする。重い一撃をベルドが受け止めると瞬時に今度は細剣のような大きさになって急所を狙い来る。


 対するベルドは剣でそれを打ち払う、というよりは遮蔽物のように自らの剣の後ろに隠れてそれを凌ぐ。しかしイェヴァンも彼の実力を即座に把握し工夫をつくす。


 イェヴァンの剣が鞭のようにしなる。いや、鞭のように、ではない。鞭になったのだ。遮蔽物として使っているベルドの剣を回折して襲い来る。しかしベルドは冷静に、剣をその場に残して、鞭が飛んでくるのと反対側から一気に間合いを詰め、縦拳をイェヴァンに見舞う。


 拳を胸で受けたイェヴァンは間合いを取って呼吸を整えながらベルドに話しかける。


「やるね。さすがは大陸最強と名高い暗黒騎士団だ。サガリスを持ったアタシと互角に立ち会うとはね」


 対するベルドは地面に差していた大剣を引き抜いて、一旦正眼に構えた後、剣を下ろしてから応えた。


「俺はもう暗黒騎士団じゃあない。……だが、サガリスの力は十分に分かった。噂にたがわぬあやかしの剣。もう十分だ」


「ちっ、なんだい。剣が凄いんであってアタシは大したことないって言いたいのかい? つれないねぇ」



「そんなことはない。これだけの特殊な剣でありながら持ち主自信を強化する魔力はない……これを扱うには強大な膂力と技術力が必要だろう」



 イェヴァンは素直にほめるベルドに視線を合わせられず、少し目を逸らした。





――――――――――――――――





「ってのが大体3か月くらい前の出来事ね」


 日差しを避けるため、騎士団領の町の中央。城や砦というには少し、いや、かなり頼りない。せいぜい村の集会所か。そんな建物の中でグリムナ一行はイェヴァン達の歓待を受け、ベルドの足取りを聞いていた。


 歓待、と言っても少々の水とパンが出るだけ。いかにオアシスと言えどもやはり砂漠においては水も食料も貴重品である。


 その限られた物資の中で歓迎してくれたことにグリムナは感謝の言葉を述べた。


「にしても意外ね。前に会った時のキチガイっぷりからもっと無茶苦茶な修羅の国みたいな国家運営してるかと思ってたわ」


 フィーはそう言った後、少し挙動不審になって目が泳いだ。「少し言いすぎたか」と思ったのだ。たしかに以前フィーが出会った時、エルルの村を襲撃した時は、逆らう者は皆殺し。『痛み止め』と称して怪我した仲間の首を刎ねるなど、正直言ってやりたい放題であった。


 怒るのではないか、と戦々恐々としていたのだがイェヴァンと、隣に座っていた副団長のアルトゥームはフッと笑った。


「俺達ゃ生まれ変わったのさ……」


 アルトゥームが口を開き、そして流し目でグリムナの方を見、気恥ずかしそうに鼻の下を人差し指でこすりながら言った。


「お前の……キスでよ……へへっ」


 ぞくり


 アルトゥームと同じようにイェヴァンもまた慈しむ目でグリムナを見る。グリムナの背筋に悪寒がはしり、神聖な時が流れた。


「あんた本当に見境なく盛りのついたサルみたいにキスしまくってるのね。正直ひくわ」


 メルエルテが汚いものでも見るかのように言い捨てると、グリムナは目を伏せ、それでも義務感からか、イェヴァンに問いかける。


「えと、俺はもしかして、あんた達にキスをしたことが……?」


「酷い! 覚えていないっていうのかい!? あの熱い口づけを! 愛し合った二人の証を! アタシの事はほんのお遊びだったっていうのか!!」


 今のやり取りだけで即座に『記憶を失っている』という事に当たりをつけ、どさくさに紛れてイェヴァンがある事ない事吹き込もうとする。


「ちょっと! グリムナの記憶がないからって自分に都合のいい嘘吹き込まないでよ!!」

「あんたが言うなって思うんだけど」


 テーブルを叩きながら怒りをあらわにするラーラマリアにフィーが即ツッコミを入れる。なかなかのチームワークが生まれつつあるようだ。


 イェヴァンは取り繕う様にへらへらと笑いを浮かべてラーラマリアをなだめる。かなり昔のことになるが、何しろイェヴァンは前に彼女に会った時に殺されかけたことがあるのだ。


「そうムキになるなって。軽い冗談じゃないの。正直なところ言えばアタシとアルトゥームだけじゃない。今騎士団の幹部にいる連中はほとんどがあの時グリムナのキスを受けた人間さ。……まあ、いうなれば、この騎士団は、グリムナとのアタシ子供達、ってとこさね……」


「…………」


「いや、今の話のどこにもイェヴァンが絡む要素ないじゃん。グリムナの子供、ならわかるけど」


 珍しくラーラマリアが的確なツッコミを入れるとアルトゥームは半笑いで言い訳するようなな事を言う。


「す、すいません、最近年齢的に焦ってるせいか、団長の発言が妙に湿度が高くって……多分更年期障害かなんかだと思うんで」


 発言した瞬間、アルトゥームの身体が何者かに跳ね飛ばされ、頭部が壁にめり込み、その日のグリムナ一行と『騎士団領』の幹部との会合はお開きとなった。


 イェヴァンの話によれば暗黒騎士ベルドは確かにこの町に来て、魔剣サガリスを持つイェヴァンと戦ったのだという。そして、魔剣を間近で見たことによって何かを得たのか、それとも得なかったのかは分からないが、結局彼はすぐにこの町を後にしたのだという。


「なぜ彼は、バッソーの元に戻らなかったのか……」


 グリムナは一人、部屋の中で羊皮紙のノートに分かったことを書き出しながら呟いた。正直トゥーレトンまでは惰性で旅をしていた彼だったが、ヒッテ達と会ってからは、はっきりと目的意識をもって旅を続けている。


 気づいたことは何でもメモして所感を付け加える。どんな思い付きが、ひらめきが答えにたどり着くかが分からないからだ。


 グリムナは騎士団領についてもメモをまとめていた。


 砂漠のオアシスに建国された、今はまだ集落程度の小さな町。


 元々は砂漠に暮らすコントラ族が中継地として使っていたオアシスである。


 フィーに聞いた話では以前の国境なき騎士団はほとんど野盗同然の振る舞いだったというが、翻って見るに、騎士団領は他の国で食い扶持を失ったり、戦争から逃げてきた人間が多く生活し、傭兵稼業とは明らかに関係のなさそうな市民も多く存在し、普通の村人のように生活していた。


 グリムナ自身、自分の『魔法のキス』の事について分かっていないことが多い。決して好きでやっているわけではないし、出来ればおっさん相手にキスをするような事態は避けたいのだが。


 しかし、その影響によって平和な社会が作れるのなら悪くもないのかな、と考えている時であった。不意に部屋の空気が重くなったような気がして、一瞬おいて、部屋のドアがノックされた。


 部屋は騎士団が用意してくれた客人用のもの。女性陣と男性陣で分けられているのだが、このパーティーに男性はグリムナ一人しかいないので片方の部屋が女性四人、もう片方がグリムナ一人という極端な部屋分けとなっている。


 ノックの音に気付いて、グリムナが答えようとした瞬間、簡素な閂の駆けられていたドアに力がこもり、その閂は砂糖菓子のようにぼろりと割れ、ドアは力づくで開けられた。


 ほとんど力がこもっていないかのように自然に開けられたが、別に閂が腐っていたわけでも安普請だったわけでもない。それほどの規格外の馬鹿力をドアにかけたものが、いるのだ。


「えへ、来ちゃった……」


 そこにいるのは身長190センチ近い雌熊。圧倒的筋肉おばさん。


「イ……イェヴァン……」


 部屋の湿度が、上がった。

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