第343話 湿度が高すぎる

 じわり、と汗がにじむ。


 オアシスのほとりであるため多少はマシであるものの、当然ながら砂漠は乾燥している。乾燥しているはずなのだが。


 グリムナは、幼い頃父に言われた言葉を思い出した。


『自称サバサバ系女は、実際には大抵ネチネチ系だ。本当のサバサバ系は自分でサバサバ系だ、なんて宣言しない……』


 イェヴァンが部屋に領域侵入すると、ぐむ、と湿度が一段階上がる感覚があった。


 ばたん、とイェヴァンは蝶番のひん曲がったドアを乱暴に閉めた。砂漠の日差しのせいか小麦色に焼けた肌にはうっすらと赤みを帯びて見える。酒でも飲んでいるのか、それとも……


「ふ……ふふ……あなたとお話ししたくて……来ちゃった……」


 そう言って赤い頬に薄ら笑いを浮かべながらイェヴァンは素焼きの瓶を見せた。おそらく中身は酒だろう。


(発言の湿度が……高い)


 うんざりした表情を浮かべながらもグリムナは小さな丸テーブルの上に広げていたノートを畳んで仕舞った。イェヴァンはそれを「自分が受け入れられた」と理解したのか、嬉しそうにグリムナの反対側に座った。


 丸椅子がぎしりと悲鳴を上げる。


「実を言うとね……ベルドは置手紙を残して消えたんだよ……」


「なんだって?」


 思わず聞き返すグリムナに、イェヴァンは前に会った時と同じように身に着けていたビキニアーマーのブラの内側から紙切れを取り出してぴらぴらと振って見せた。


 グリムナは思わず言葉を失ってしまった。


 手紙がジメジメに湿って皺が寄っていたからだ。


 湿度が、高い。


「まあまあ、飲みながら話そうよ。記憶失ってたって、全く知らない中じゃないんだからさあ」


 そう言いながら二人分のタンブラーに蜂蜜酒ミードを注ぐイェヴァン。グリムナがそれを受け取ると、ぎしぎしとドアを押す音が聞こえた。外から開けようとしているのだろうか。先ほどイェヴァンが蝶番の歪んだドアを無理やり閉めたから動かなくなってしまったに違いない。


「ん……? ドアの外に誰か……?」

「いやー、それにしても竜の謎を解き明かして世界を救うために旅してるんだって? なかなかできる事じゃないよ。さすがアタシのグリムナだねえ!」


 グリムナの言葉を遮りながらそう言って、じわじわと丸椅子ごと距離を縮めてくるイェヴァン。


 不快指数が、ジワリと、上がる。


(何をしに来たんだ……この高密度熱源体は)


 そうこうしていると今度はドアがドンドンと強く叩かれた。


「ちょっと! 団長! 抜け駆けしてないッスか!? 俺だってグリムナにキスしてほしくって……」

「それでねグリムナ!」


 アルトゥームの声であったが、それをやはり覆い隠すような声でイェヴァンが会話を続ける。まさかそれで誤魔化したつもりなのか。


「あんた、この手紙が欲しいだろう? ほらぁ、たとえば、もっとアタシとアンタが仲良くなったら見せてあげる気にもなるかなぁ~? って……」


 そう言いながらイェヴァンはしわしわの手紙を両胸の谷間に、より湿度の高い領域に収めた。くさそう。


 グリムナは眉間にしわを寄せ、目をつぶった。彼の心のうちは如何様か。


 しかしイェヴァンはそんなことに気を払ったりはしない。「おやおや、目なんかつぶっちゃって。コイツはちょっと刺激が強すぎたかな」程度にしか考えていない。まさか自分の加齢臭にグリムナが怯えているなどとは考えないのだ。


 その時、彼女の後ろの方でドアがごりごりと破壊される音がした。見れば、剣の先端をドアの向こう側から何度も突き刺して、えぐる様に蝶番を破壊しようとしているらしい。


 だが、これもおそらくグリムナを助け出しに来ているわけではない。むしろ逆だ。


「独り占めはっ! ずるいッスよっ! 団長ぅッ!!」


 アルトゥームの声が聞こえる。前門のクマ、後門のホモ。


「ちっ、もう時間がないか! こうなりゃ実力行使で既成事実を作るしか!」


 そう言ってイェヴァンはグリムナの首根っこを引っ掴んでベッドに投げ飛ばし、両手首を掴んで組み敷いた。


「ぐへへ、天井の染みを数えているうちに終わるよ。おとなしく観念しな」


 グリムナの頬を一筋の涙が流れた。なんなのだ、これは。グリムナは心の中で問いかける。グリムナのキスで改心したように見えても、結局のところ人は自分の欲望しか考えられないのか。


 そんな乙女思考をしていると、ギィン、と鈍い金属音がして一瞬壁が光ったような気がした。


 ずず……と壁の一部がせり出したかと思うと、ごとり、とその壁が床に落ち、くりぬかれた穴からラーラマリアが入って来た。


「私のグリムナに何してくれてんのよ、おばさん!」


 憤怒の表情である。と、同時に掛け声とともにドアの方も破壊され、蹴破られた。


「抜け駆けはダメッスよ、団長!」


 アルトゥームの後ろには他の幹部達も控えており、同時にラーラマリアの空けた穴からはフィーやメルエルテ達も部屋に入って来た。大渋滞である。そしてすごく湿度が高い。


「いきなり出てきて搔っ攫おうったってそうはいかないわよ! この小動物野郎はうちの娘に種付けする運命なんだから!」

「ちょっと! お母さん、わけわかんないこと言わないで!」

「俺達は別にグリムナを独り占めしようってんじゃないんだ! ただ、俺達にもその愛を分けてもらいたいと……」

「アタシにゃもう時間が残されてないのよ! これ以上は間違いなく高齢出産に……」


 イェヴァンの発言はやはり頭一つ抜きんでて湿度が高い。


 グリムナは絶望した。 


「ああ……

 なんてことだ、自分をめぐって、無益な争いが争いが起きている」


 結局、自分の『魔法のキス』なんかでは人々から争いをなくすことなどできなかったという事実と、そして「自分をめぐって争いが起きている」という自分で言ったセリフのあまりの気持ち悪さに絶望していた。


「落ち着け馬鹿ども!」


 みっともなく荒れた場を納めたのは少しハスキーな、年取ったエルフの言葉であった。


「全員いい年してみっともない。生き物が一つのものに群がる姿って獣でも虫でも人でも同じように気持ち悪いわね」


 メルエルテによる率直な気持ち悪さの表明に一同は思わずうめき声をあげて、そのまま二の句を告げられぬようにされてしまった。自分の姿が冷静に見えてしまったのだ。


「まあ……お母さんの言う通りよ」


 そしてフィーもみなをなだめる様に前に出てきた。正直彼女はこういったギスギスした空気が苦手で、何か問題が起これば丸く収めようとしゃしゃり出てくる。


 自分がトラブルを持ち込むことも多いが。


「グリムナのアナルは皆のものよ。独占しようとするんじゃなく……」

「俺のアナルは俺のものじゃい!!」


 とうとうブチ切れたグリムナが涙目でベッドを叩きながらそう叫んだ。


「おかしいやろがい! なんで俺がアナルやらキスやら提供してやらないかんのじゃ! ベルドの手紙はよ寄越せ! お前が持ってても仕方ないやろがい!!」


 一番みっともないキレ方をしたグリムナに一同が押し黙ってしまう。


「まあ……うん……」


 さすがに気まずいと思ったのか、それともグリムナに対して申し訳なく思ったのか、それは分からないが、イェヴァンが一歩前に出て……そして両胸をぎゅっと寄せた。


 その双丘の間にはベルドからの手紙が顔を見せている。


「……どうぞ」


 懲りていない。メルエルテやグリムナに怒鳴られた程度ではイェヴァンの湿度は下がらなかったのだ。


「……クソが」


 毒づきながら、イェヴァンの目を睨み、しかしそれでもおずおずと右手を、彼女の谷間の間に挟まれた手紙に少しずつ伸ばす。


 あと30センチほど、という距離になると、湿気フィールドに侵入した感覚があった。ジワリと空気が重くなる。


「ふふん」


 妙に自慢げなイェヴァンの笑顔を見ないようにして、ゆっくりとグリムナはその手紙に触れるようにして、それを引き抜いた。


「……すごく、湿ってる……」

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