第341話 水分補給

「激アツね……」

 

 皆の先頭に立ったメルエルテが額の汗をハンカチで拭きながらそう呟いた。

 

 季節はまだ夏を過ぎて秋の入り口辺り。日中であれば砂漠はまだまだ暑い。とはいえ夜になるとまた氷点下近くにまで下がるのだが。

 

 グリムナ達のいるウニアムル砂漠は南北を高山に阻まれている地形のため湿度の高い空気があまり入ってこず、発生した砂漠である。

 

 緯度も海抜も高いため、当然の如く、夏は暑く、冬は寒い。だが、それ以上に昼は暑く、夜は寒い。水分がないせいだ。熱伝導率の高い固体は、熱しやすく、冷めやすい。冬になると世にも珍しい砂丘に降りしきる雪というものが見られることもある。

 

 熱しやすく冷めやすい。

 

 ヒッテの目の前にいる二人のエルフ、フィーとメルエルテ。この二人こそまさしくその言葉がぴったりとあてはまる人間だった。

 

 いまいち何をするか分からない二人。特にメルエルテの方は要注意人物である。なんせこの女は自分の娘……フィーを孕ませるのが目的なのだ。そして……

 

「ええっと、これどう見ればいいのかしら……? 太陽の見える方が南だっけ?」

 

 くるくるとラーラマリアが地図を回す。それに合わせてフィーとメルエルテが首をかしげるように回す。

 

 「これはアカンわ」、そう思ってヒッテが駆けて行った。このラーラマリアが一番の危険人物だ。だが、何がどう危険だったのか、それがいまいち思い出せない。

 

 砂漠に入ってすぐ。リーダーのグリムナが地図を持って、行き先の確認をしていたのだが、早速迷った上に、陽が高く上がるにつれて地獄のような暑さになってきたので岩陰に入って目的地の確認をしていたのだが、ヒッテ以外の誰も地図の見方が分からなかった。

 

 ウニアムル砂漠は南側にオクタストリウム共和国の広い山脈地帯とステップがあり、どこからでも入れるが、北側から入ろうとすると、狭く、高い山岳地帯を抜けるため、侵入経路が限られてくる。

 

 国境なき騎士団の支配地域。

 

 そこは『騎士団領』と呼ばれる土地であり、砂漠のオアシスの周りに作られた町。混乱のさなかにあるオクタストリウム共和国に勝手に入り込んで、難民を集め、砂漠の民、コントラ族と共に築いた国家。

 

 そこへ行くには一旦沙漠に入ってから山岳地帯を迂回するため、砂漠を横切って移動し、オアシスに向かわなければならない。

 

 そう、短い区間ではあるが『砂漠越え』をしなければならないのだ。このパーティーの中で『砂漠越え』の記憶をのはヒッテただ一人。

 

「というかラーラマリアさん、勇者として世界中を旅していたんですよね? 地図も読めないのに一体どうやってたんですか?」

 

「ぶっちゃけそう言うのは全部レニオ任せだったし、もっと言うと目的もなくあっちへふらふら、こっちへふらふらしながら悪党をしばいてただけよ。いるかどうかも分からない竜を倒せとか無理ゲーよね」

 

 実も蓋もないことを言い出すラーラマリア。

 

「実際竜なんて所詮伝説でしょ、って思ってたから適当に世界を旅してお茶を濁して、老後は勇者の経歴を生かして講演会とかで食っていこうと思ってたのよね、あの頃は」

 

 ちょっとこの女早く黙らせた方がいいぞ。

 

「だが今度はその竜退治を本気でやろうっていうんだ。伝説じゃないってことも分かったしな」

 

 太陽の方を見つめながらグリムナがそう言う。ヒッテは密かに、前髪で隠れたその眼から、横目でじっとその顔を見ていた。

 

 決して美丈夫というわけではない。特別身長が高いわけでもなければ、回復魔法以外に何か特技があるわけでもない。(キス以外)

 ただただ、ぱっとしない、平凡な容姿の男だった。

 

 しかしヒッテは彼から視線を逸らすことができなかった。

 

 彼には決して曲がらない意思がある。

 

 譲ることのできない法がある。

 

 目的地を睨む彼の眼差しが、そのすべてを物語っていた。

 

「そっちじゃなくてもっと東の方です、グリムナさん」

 

 目的地の向きは違っていたが。

 

 そして、ラーラマリアはいったい何を考えているのだろう。

 

 ベアリスとフィーはヒッテとグリムナが婚約していると言っていたが、話を総合すると、ラーラマリアはそこに横恋慕している女性、という事になる。つまり、彼女にとって、ヒッテは敵のはずなのだ。しかし実際一緒に過ごしてみると、ラーラマリアは驚くほどヒッテに敵意を見せなかった。

 

 それは、最初からヒッテの事が眼中にないということなのか、それとも別に理由があるのか……

 

 密かにヒッテがラーラマリアの方をそれとなく観察していると、彼女は小さい素焼きの瓶を持ってグリムナの方に近づいて行った。

 

「グリムナ……人の体は60%が水分と言われているわ……つまり、ほとんど水と言っても差し支えないの」

 

 唐突な前置き。訝しむグリムナの視線。

 

「対してスライムは99%が水分と言われているわ。つまり、人間は半分以上スライムということね。フフ……」

 

 何が言いたい。と、視線でうったえるグリムナであるが、当然そんな遠回しな意思表示に気付くラーラマリアではない。

 

「2%の水分を失うと人は喉の渇きを感じるけども、それが脱水症状であるという自覚症状が出てくるのは6%ほどを失った時、手足のふるえや頭痛が起こった時よ。8%を失うだけで幻覚を見始める。ここまでくるともう末期症状と言えるような状態だけど、その後、20%まで水分を失うと死に至るわ……」

 

 だから、なに。その小瓶との関連性は。しかしじっとグリムナは我慢する。彼女の意味不明な行動は別に今に始まったことではない。

 

「喉が渇いた、と感じた時には軽度の脱水症状が起こっているの。水分補給の基本は、『早めに』『こまめに』よ」

 

 そこまで言ってラーラマリアはスッと手に持っていた小瓶をグリムナに渡した。

 

「…………」

 

 瓶の口にしてあったコルクを無言でゆっくりと開けるグリムナ。


 言わんとすることは分かる。


 この瓶の中身をどうしろと言うのかは分かる。


 グリムナはその瓶の中身を


 投げ捨てた。


「ちょっ、何するのよ! 水分補給を」

「汚水だろこれ」


「おす……」


 だらだらとラーラマリアの額から汗が流れる。


「おっ、汚水とか! 年頃の女の子のおしっこを汚水呼ばわりするなんて! ちょっとデリカシーないんじゃないの!!」

「年頃のデリカシーのある女の子はおしっこを瓶に入れて男に手渡したりしねえよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る