第426話 アヘン戦争

「やっぱり……グリムナは今、危険な状態なんですね」


 ヒッテの言葉にネクロゴブリコンが「むぅ」と唸った。実際に彼に何が起こっており、これから何が起こるのか。それは誰にも分からない。だが最悪の場合自意識の消失、そして自我の崩壊を招く恐れもあるのだ。


「グリムナ自身を助けることも必要だし、世界樹から集合的無意識を通じてこの大陸の全ての人間の助力を得ることもできるかもしれん。おそらくはこの精神潜行サイコダイブに全てがかかっておるじゃろう」


 バッソーがそう言うと作業に戻っているフィーの方に振り向く。


 大分西日も強くなってきており、森の中も暗くなってきている中、世界樹のもとではかがり火が煌々とたかれている。もうそろそろ陽も沈む。


 フィーの方はあらかた準備も終わったようで何やら紙を見ながらブツブツと呟いている。おそらく必要なものが全て揃っているかチェックしているのだろう。


 普段は様々な服装をしているが、割と露出度の高い、派手な格好をしていることの多い彼女も今日に限っては粗末なワンピースというか、貫頭衣というか、ホームレス時代のベアリスのような粗末な服装をしているし、以前つけていたピアスもしていない。


「準備が出来たわ、ヒッテちゃん」


 そう言ってフィーが手招きする。


 ヒッテが近づいていくと、フィーはヒッテのつけているペンダントを首から外した。ネクロゴブリコンから貰った、というか、借りパクした真実のペンダントである。それをネクロゴブリコンに渡しながらフィーが口を開く。


「かなり難しい呪式になるからね。少しでも魔法の効率をよくするためにヒッテちゃんも身に着けてる金属を外してね。金属は魔法の効果に干渉することが……あら?」


 ヒッテの全身をチェックしていたフィーがあることに気付く。


「こんな指輪してたっけ? これも外し……」


「あっ、これは……!!」


 フィーが見つけた指輪。それは山の中の崩れかけの教会、そこで執り行った結婚式。その時に交換した……


「ん? 左手の……薬指……? え? これ、まさか!? え? ええ!?」


「こっ、これは……大事なものなので……これも外さないとまずいですか?」


 そしてどうやらその意味に如何にアホエルフのフィーと言えども気づいたようである。


「い、いやぁ……どうしても大事な……その、グリムナとの繋がりになるものなら、仕方ない……むしろつけといた方がいいんだけど……」


 そう言いながら後ずさりする。膝がかくかくと笑って頼りない千鳥足になっていることからも相当なショックを受けていることが見て取れる。フィーはすぐ後ろにあった世界樹の幹に手をついてようやく自分の体を支えた。


(こんな精神状態でちゃんと儀式できるのかな)


 ヒッテはかなり不安になったが、フィーは二度、三度と深呼吸をして気持ちを落ち着けた。


「だっ、大丈夫。ちょっと、その……全然関係ないけど『ひょっとして私このままずっと処女なのかな』って考えが頭をよぎっただけだから……」

「ホントにこのままじゃ一生処女ですよ」

「うるさい!」


 身体チェックが終わり、様々な呪具を目の前にヒッテが立つ。様々な魔法陣や薬草の類。乾燥して干からびているものもあれば花や実をそのまま摘んだものもあり、土くれにしか見えないようなものもある。そのほとんどはヒッテにはどう使うのか分からなかったが、しかし一つ気になることがあった。


「えっと、術者はフィーさんで、被術者は私……それは分かるんですが、精神潜航サイコダイブはいったい誰がするんですか?」


 問われてフィーは眉間にしわを寄せてから小首を傾げ、それからバッソー達の方を見る。


「誰がいい?」

「だっ……」


 誰がいい、とかは特にないのだが。強いて言うなら全員嫌だ。


 要は心の中を覗かれるようなものなのだ。ならばせめて同性のメルエルテか。ちらりと彼女の方をヒッテが見るとフィーがすぐに声を上げた。


「あ、お母さんとネクロゴブリコンのおじいちゃんはダメよ? 人間としての集団的無意識を共有していないと失敗する可能性あるからヒューマンじゃないと。ああっと、ニブルタも微妙ね。レイスだし」


 視線は送ったものの、正直言ってメルエルテを精神世界には入れたくない。この女の事だから弱みでも握られたりしたら後々どんな面倒なことになるか知れないからだ。


 すると、候補者はバッソー、ベルド、ブロッズの三人である。外見だけでいうなら爽やか耽美系イケメンのブロッズ・ベプトなのだが、正直この中で一番頭おかしい奴だし、何より彼はヒッテの前でうんこを漏らしたことがある。こんな奴を精神世界に招き入れたら思い出を(物理的に)汚されそうで嫌だ。


 そして賢者バッソー。こいつも嫌だ。五年前の旅でさんざんおかずにされた白くて苦い思い出がある。精神の中をイカ臭くされそうである。となると、消去法でベルドになるのかもしれないが……最近妙に真面目ぶっているが、初対面でアヘ顔トコロテンかましていた男である。


(しかし、こうやって改めて見てみると……)


ろくな奴がいない。


 よくもまあこんな奴らに囲まれて冒険などできていたな、と少しグリムナが不憫に感じられた。


「ワシに、やらせてくれんかの?」


 ヒッテが決定的な答えを出せないでいると、バッソーの方から立候補をしてきた。


「まあ、五年前の旅を一緒にした仲じゃしな。ブロッズやベルドよりは二人の事をよく知ってるつもりじゃ。それに、ワシはもう十分生きた。世界に対し、恩返しをしなきゃならん年齢じゃ……」


「バッソーさん……」


 バッソーは思わず漏れ出たヒッテの呼びかけに笑って答える。


「ハハハ、もし危険なことがあっても老い先短いじじいなら惜しくもないしのぅ」


「そんな危険な術なんですか? フィーさん」


 不安になったヒッテがフィーに尋ねる。フィーが答えるにはよほどのことがない限り命の危険はないはずだ、とのことだった。

 但し……


「但し、術の最中に寿命が来て死んだりしたら話は別よ。精神潜航中にダイバーが死んだ場合何が起こるかは分からないわ。最悪、被術者とダイバーの精神が混ざり合って一つの人格に統合されちゃうかも……」


「すいません、チェンジで!」


「なぁ~んでじゃ!! じじいがせっかく男らしい決意を見せたのに何が気に入らんのじゃぁ!!」


 ヒッテのにべもない拒否の言葉にバッソーが半泣きで反論する。ここでごねられても面倒だ、一撃で昏倒させてやろうと、ヒッテが身構えた時であった。


「あれ?」


 ぐらりと視界が揺れて思わずヒッテは膝をついてしまった。何か妙な匂いがする。いや、随分前からこの香りが鼻をくすぐっていたような気もするが、とにかく足元がふらついて、思考がまとまらない。


 フィーがにやりと笑みを見せた。


「術の前に興奮して暴れちゃだめよ、ヒッテちゃん。こんなこともあろうかと先に護摩焚きだけやっててよかったわ」


「護摩……? なにを……もやして?」


「芥子の実よ!」


 朗らかに答える。正確に言うと芥子の実にナイフで傷をつけて溢れてきた、アルカロイドと呼ばれる樹脂を乾燥させた物である。


 別の言い方をすると、アヘン。

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