第427話 衝撃のG

「ふっ、ふっ……」


 浅い呼吸。


 もはや瓦礫しかないフェラーラ同盟の首都、ベルシスアーレにてラーラマリアは竜と戦い続けている。竜の背に登ると、無数の触手が彼女を取り囲んでいた。


 触手による攻撃は無限に続くかのように襲い掛かり続ける。もはやラーラマリアはそれを躱すこともなく聖剣エメラルドソードでなぎ倒し、両断し続ける。


 面倒だから躱さないのではない。余りにも多すぎて躱すだけのスペースがないのだ。竜の尾から背中に乗り、触手を切断しながら走り、すでに2時間ほども経っている。


 触手は竜のスケールを考えれば程度の大きさであるが、実際に彼女を取り囲んでいるものは長さ5メートル程度の、人の腕ほども太さのある巨大なものである。


 幸いにしてエメラルドソードの効果によって疲労は少ないものの、しかし精神的な疲れは隠せないし、全ての攻撃を受けきることは出来ず、何カ所かは攻撃を受けている。基本、敵の攻撃は受けずに躱す彼女は身を守るものは簡素な胸当てと籠手くらいしか身に着けていない。


(このまま戦い続ければ、いつかは力尽きる……少し見通しが甘すぎたか)


 触手を切り刻みながら進む。しかしいったいどこへ進もうというのか。さっきの謎の声の言うことが確かなら、竜には核などない。ならばそもそも竜を倒す方法などないのではないか。


 ラーラマリアがそんなことを考えながら脚を進めていると、だんだんと触手の密度が低くなってきていることに気付いた。いや、低くなった、のではない。密度の低い場所に彼女が移動しているのだ。


「ここは……!?」


 竜の背にうねが何段にも重なってできていた。いや、ただの畝ではない。よく見ればそれらは波紋のように同心円状に広がっていた。それが何なのかは分からないが、これは一息つける、とラーラマリアは畝を越えてその中心に近づいていく、と目の前に一人の少女が現れた。


 いや、『現れた』と言ってよい物かどうか。というのも確かに目の前に現れてはいるのだが、足は宙に浮いているし、影もない。まるで立体ホログラムのようなその姿にはひどく現実感が感じられない。


「何者?」


 そう問いかけながらラーラマリアは足元の竜の表皮をちぎって少女の方に放ると、欠片は彼女を透き通って飛んで行った。やはり実体ではない。


『預言者ベルアメール……』


 ラーラマリアの表情が変わる。あまり他人に興味を持たず、浮世離れした彼女ではあるが、さすがにその名を知らないわけではない。竜から人々を守ったはずの預言者が何故竜から出てくるのか。


『の、記憶の残滓と言ったところじゃな』


「四百年も昔にくたばった人間の幽霊がこんなとこで何してんのよ」


 ラーラマリアは剣を構えたまま問いかける。ベルアメールは余裕の笑みだ。


『今の儂は竜に食われ、竜の一部となっておる。背中で暴れてるものがおれば出てくるのも当然じゃろう』


「さっきはコアなんかないって言ってたけど、どうやらここがあんたのウィークポイントみたいね」


 ラーラマリアが足元の波紋を見ながらそう言うが、しかしベルアメールは余裕の態度を崩さない。


『コアとは違うがのう、しかしここはの一撃を受けて思う様に動かせんのじゃ』


 ……その言葉だけで誰を差すのかはラーラマリアには分からなかったが、しかし今まで竜と戦って有効な一撃を叩き込んだものと言えば一人くらいしか思い当たらない。


『メザンザ……奴の慈愛の一撃は、効いたぞ』


 核ではない。そんなものはないのだ。しかしメザンザの一撃によって竜の体の組織が変質しているのだ。ベルアメール自身何が起こるか分からないものの、念には念を入れてラーラマリアの前に姿を現したのだ。


(こいつを……切れるか……? 実体じゃないみたいだけど……)


 それを切ったところでどうなるか。それは分からないが事態打開のためなら何でもやってやろうとラーラマリアが考えた時であった。


 スッ、と、ベルアメールが手を上げる。それと同時に地面が、いや、竜の身体がぐぐっと沈み込む。これまでにない浮遊感を受けてバランスを崩すラーラマリア。


 しかしこんな子供だましのためにわざわざ姿を現すはずがない。ラーラマリアが何とか体勢を整えた時、沈み込みは止まり、今度は地面に押し付けられるような感覚。


(この動き……まさか……!!)


 即座にラーラマリアはこの重心の移動に『ある動作の可能性』に思い当たった。そして、えてしてこういう時の『嫌な予感』というのはよく当たるものなのだ。


(まさか、この巨体で!?)


 嫌な予感はやはり的中であった。そのままラーラマリアは下方向に強い重力加速を感じて竜の体に縛り付けられるように這いつくばる。もう少し早く敵の行動に気付いていれば逃げられたか、いや、その背だけでも広大な丘のような広さがある。ここに来た時点でおそらくだったのだ。


 今度は周りの景色がぐんぐんと下に落ちていく。当然ながら大地が沈んでいるのではない。竜が跳躍したのだ。遠くを見れば今まで使われていなかった竜の翼も広げている。まさかこの巨大さで空を飛ぶとは。


 竜の脚が伸び切ると彼女にかかる重力は最大になる。その瞬間、景色から色彩が失せた。


(!? 何が起きてるの!? 目が……いや、脳に異常が? このまま死ぬの!?)


 航空機など存在しない世界。突如として起こった自分の体の異常にラーラマリアはパニック状態になってしまった。世界から色彩が焼失し、グレースケールに全てが映る。視野も狭まり、思考力も落ちる。


 グレイアウトである。


 強力なGが下方向にかかったことにより脳に血液がいきわたらず、視野と判断力に異常が生じる。このままさらにGがかかり続けるとブラックアウトが発生し、視野は完全に消え、昏倒することとなる。


 そうこうしている間もピークは越えたもののGはかかり続け、竜の体は上昇する。すでに雲の高さを越え、成層圏までは達しないものの、数千メートル級の超高地の高さだ。


(いやだっ……死にたくない……!!)


 だいぶ軽くなってきたGの中、上半身を起こし、ラーラマリアはエアロウォールの魔法で自身の周りに空気の層をつくる。


 急激な上昇の中、高山病や酸素の欠乏、気温の低下による低体温を避けるため膜を張ったのだ。大分対応が遅れてしまったが、高山での気圧変化による危険は彼女もよく知っている。


 やがてGは地上にいる時よりも減り、跳躍の頂点付近にいることが見て取れた。混濁する意識の中、とても現実とは思えないその景色に彼女は息を呑んだ。


 空には太陽、地には海。


それが遠く遠くどこまでも。世界の果てまでも続いている。


 世界の果ては丸く、霞んで見えない。



「そう言えば以前……グリムナが言ってたな……世界は大きな、球だって……」


 竜の体に突き刺し、自分を繋ぎとめている聖剣にしがみつきながら、まとまらない思考でそんなことを考えていた。

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