第333話 ホモじゃないです

「この子を頼む、フィー」


 グリムナからまだ意識の戻らないヒッテの身体を受け取って、フィーは不安そうな顔をする。


「大丈夫。もう怪我は治ってる。じきに目を覚ますはずだ」


 彼女を不安にさせないよう、無理に笑顔を作って見せると、フィーも笑顔で返した。


「ねぇ、ホントに私の事思い出してないの?  あなたは、記憶を失っているの?」


 グリムナは傭兵の方に向き直りながら答える。


「ああ。かろうじて名前だけは浮かんできたが、俺はあんたの事も、自分自身の事すら、思い出せていない……」


「ホモだったことも?」


「そうだ。ホモだったことも……ホモ?」


 その刹那、傭兵が切りかかってくる。閃光の如き県の不利に対して半歩下がって最小限の動きで躱すグリムナ。


 さらに切り返しの剣をフトコロに入り込んで、手で止め、さらに間合いを詰める。


 気になったが。


 フィーの言葉が気になったのだが。しかし、戦いの中で体はもう自然に動く。気づいた時には、彼は盗賊の唇の中に、自分の舌を捻じ込んでいた。


「んふぉぉ……♡」


 盗賊は脱力してどさり、とその場に崩れ落ちた。その直後、グリムナの肩をぽん、と叩く者がいた。


「ね?」


 満面の笑顔のフィーである。


「ね……『ね?』じゃねーよ! お……俺は、ホモなんかじゃ、なぃ……」


 語尾が小さくなった。


 ホモだったのか? まさか! 何か自分は特殊な訓練を積んだ人間なのだと思っていた。だからこそあんなゲイ当 ができるのだと。


 しかし実際にはそうではなく、ホモだからキスをしているだけで、盗賊や傭兵達は彼の魅惑のホモパワーに魅了されているのだとしたら……


 だらだらと冷や汗が額から垂れてきたが、時は待ってはくれない。どうやら先ほどの傭兵が仲間を呼んでいたようで……いや、呼んでくれていたようで、次々と敵が集まって来た。


「助かる……ここに集まってくれれば、それだけ村人たちは安全になる……」


「そして、俺はそれだけたくさんの男たちにキスができる……」


「人の声色を使って変なセリフをあてるな!」


 なんて女だ。初対面のはずなのに、こうも的確に人の心をイラつかせる言動をとってくるとは。この女は本当に自分の仲間だったのか。いや、きっと自分の天敵だったに違いない。グリムナはそう思ったし、実際その通りである。


 グリムナは、気を取り直して傭兵達の方に振り向き、そして声を張り上げる。それは敵を威嚇するためであり、そして同時に村にいる傭兵達をここへ集めるためでもある。


「かかってこい三下ども!! 一人残らず、キ……」


 『キスしてやる』…… その言葉が出かけて、思わず飲み込んだ。


(何を言おうとしてるんだ……俺は……俺は、ホモなんかじゃ……)


 先ず一番近くにいた傭兵が攻撃してくる。


 グリムナは、元々、ラーラマリアのように天賦の才に恵まれているわけでもなければ、ベルドやメザンザのように体格がよいわけでもない。争いごとの苦手な、ただの回復術師であった。


 だが彼は一年間、ひたすら自分よりもはるかに強い者とばかり戦い続けた。


 トロールと戦った。暗黒騎士と戦った。魔剣使いと戦った。聖騎士と戦った。裁判所でケツを掘られた。ボスフィンで魔物と戦った。砂漠でケツを掘られた。ビショップ空手と戦った。あと、そいつにケツを掘られそうになった。


 その、どの戦いも、決して楽な戦いではなかった。むしろ敗北だったと言ってもいい戦いばかりだった。


 しかし戦いは確実に、彼とそのケツの穴を強く育てていたのだ。


 攻撃を躱し、死角に入り込む。右の剣ならば向かって右に。左なら左に。相手の背中側に。そして別の脅威との間に敵の体を置く。


 次々とキスをかまし、舌を絡ませ、戦闘不能の人間の山を築く。


「んふぅ……」

「はにゃぁ……」

「ああ♡」


 次々と戦闘不能にされてゆく仲間を目の当たりにして傭兵たちは恐怖した。


「くそっ、ホモ野郎め……ていうかなんでキスだけで戦闘不能になるんだ……?」


「ふぅ、俺は、ホモじゃ……ない! 多分」


「その調子よ、グリムナ! 残りの奴らもホモパワーでやっちゃって!!」


 美しいエルフの女性による応援。尋常であればこれほどに心揺さぶられる強い味方の応援などない筈であるが、しかしグリムナは苦虫をかみつぶしたような表情になってしまう。


 グリムナはたまらずフィーの方に振り返って弁明する。


「あのさあ! 俺はホモじゃ……」

「危ない! 後ろ!!」


 間一髪であった。グリムナを襲った圧倒的質量攻撃、それはオーガの拳。拳を躱したグリムナは即座にステップで距離をとる。


 「ようやく動いてくれた」と、傭兵たちはホッとする。隷属の首輪の効果か、平時はおとなしく従っていたものの、しかし戦闘が始まって興奮状態になると全くいうことを聞かなくなったオーガがようやくターゲットをグリムナに絞ったようである。


「オオオオオオオオ!!」


 地響きのような咆哮を響かせながらやたらめったらに平手でバンバンと叩きまくり、グリムナは何とか距離をとってやり過ごす。


「フィー、距離をとってろ! 巻き込まれるなよ!」


 そう言って注意を促すとグリムナは一気に間合いを詰め、両手を振り下ろすオーガに突っ込んで滑り込みながら股をくぐる。さらに振り向いて立ち上がりざまにオーガのひざ裏に直蹴りを入れるが、しかしオーガはびくともしない。


 ここまでとは。


 ここまで自分とラーラマリアの実力との間に開きがあるとは。


 身体操作能力だけではない。攻撃のタイミング、重心の取り方、相手の重心の読み方。その全てが高いレベルで融合しているからこそ、ラーラマリアは蹴り一撃でオーガの膝をつかせることができたのだが。


 しかしグリムナは退かない。今ここで自分が倒れれば、ヒッテが、フィーが、無辜の村人たちが被害を受ける。彼にとっては全ての戦いが、負けられない戦いなのだ。


 幸いにもグリムナはこの大きさの化け物との戦闘経験がある。トロールのリヴフェイダーである。たとえ記憶はなくとも体はそれを覚えている。


オーガは手が長すぎる。その懐に入り込みグリムナは攻撃をかいくぐる。まるでしつこい蚊にまとわりつかれているかのようにオーガはおよそ知性の感じられないでたらめなコンビネーションでグリムナを叩き潰そうとするが、当然それにつかまる間抜けなグリムナではない。


 逆に振り下ろした腕を駆け上がり、一気に頭部に肉薄する。この距離関係、体格差で出来る攻撃は。キスを入れるにはまだ遠い。オーガの肩を足場にグリムナが逡巡することなく出せる攻撃は目潰しであった。


 左手の人差し指、中指と親指を寄り合わせて蟷螂鈎手の形にし、オーガの左目に叩きこむ。それと同時に彼の魔力、回復魔法を流し込む。「できるのか」……その思いが一瞬頭をよぎったが、しかしもう戻ることは出来ない。


 なぜなら通常の目潰しであればおそらくオーガは痛みに耐えてグリムナの体を掴んでしまうからだ。


 粘膜と粘膜ではない。粘膜と皮膚の接触。


 加えてこの体格差。


 トロールのリヴフェイダーに食らわせた時は粘膜と粘膜であった。さらに、いうならば知能の差もある。人に化けることができ、言葉の分かるトロールに対し、オーガの知能はどちらかというと動物のそれに近いように見える。

果たして効くのか……!?


 一瞬硬直していたオーガであったが、突如として爆発的な動きを見せ、グリムナの胴をがっしりと掴んだ。効いているのか、効いていないのか。左目に傷はない。グリムナが流し込んだ回復魔法で治っている。


「なっ!?」


 グリムナは賭けに負けていた。オーガは空いている方の手でグリムナの左腕を掴み、引きちぎったのだ。

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