第47話 エロマンガ媚薬
(エロマンガ媚薬……まさか本当に実在したなんて……ッ!!)
ラーラマリアは脚をがくがくと震わせながらも剣を支えに何とか立っている状態である。
ここで解説が必要であろう。エロマンガ媚薬とは一服盛られるだけで腰は抜け、理性は飛び、感度は数千倍。タンスの角に足の小指でもぶつけようものなら悶絶してショック死しかねない、男にとって何とも都合のいい催淫剤の事である。
実際に存在する媚薬というものはせいぜい体温を少し上げて、カフェイン程度の興奮作用があるだけなのに対し、エロマンガの世界ではこれを飲ませることさえできれば勝利確定、いくらでもみだらな命令を聞かせることが可能となる、処刑用BGMが脳内で流れてくること確実な卑怯な代物である。それがまさか実在するとは。
すでにラーラマリアには目の前にいる卑劣な暗黒騎士がとても魅力的な男に見え始めていた。それでも何が支えとなっているのか、彼女の強い意志はなんとか自我を保っているようだが。
「頑張るねぇ、操を誓っている相手でもいるのか? とうに限界のはずなんだがな……とりあえず、俺の剣を返してくれるか? 愛しいラーラマリア」
ダンダルクの言葉にラーラマリアは右手に持っていたロングソードを彼の足元に投げつけた。ダンダルクは少し驚きながらそれを拾い上げて肩にトン、と担いだ。
「まだそんな反抗的な態度がとれるとはねぇ。さすがは勇者様ってところか。そろそろ俺の女になってくれる決心がつく頃じゃねぇのか?」
「俺の女になってくれ」、この言葉を聞くなりラーラマリアの口からは思わずよだれが垂れてしまった。今の彼女にとってその言葉はそれほどまでに甘美な響きを持って聞こえたのだ。だが、まだ彼女の心は折れてはいない。
(グリムナ……私は、グリムナのお嫁さんになるんだ……)
戦闘が始まってからどれほどの時間がたったのだろうか、ダンダルクが切りかかってきてからまだ数分しかたっていなかったのだが、耐え難い苦痛、いや快楽に耐えているラーラマリアはもう一時間以上も耐え続けているように感じられた。食堂にはもう人はおらず、気を失ったシルミラとレニオだけが転がっている。厨房の奥からは人の気配がする。おそらく戦闘が始まったことに気づいて従業員が避難しているのだろう。
絶望的な状況に見えたが、ラーラマリアは動かない。煙から逃げようとするでもなく、観念するでもなく、その場で両腕を抱え込むように固まってしまった。右ひじを左手の掌で支えるように持ち、右手は顎に当てる。まるで考え込むような姿勢、いや、実際考え込んでいるのだ、ラーラマリアは。
「ラーラマリア流闘術奥義、沈思黙考の構え」
そう言葉を発したきり、そのまま微動だにせず動かない。声も出さない。まるで自分を無視したようなその異様な彼女の態度にダンダルクはイラつき気味に言葉を発する。
「なんだ? もう諦めたのか? 諦めたなら諦めたらしく尻をこっちに向けて懇願のポーズをとりな! メス豚に情けを下さいってよぉ!」
しかしラーラマリアはまるで彼の声が聞こえないかのように動きを見せない。ダンダルクの表情は見る見るうちに怒りに染まっていった。
ラーラマリアにとってはグリムナ以外の男に好意を寄せるなど今まで考えたこともないし、それ以上に気位の高い彼女にとっては軽薄で邪悪な目の前にいる男に寵愛をを懇願するなど耐え難い、それこそ死んだほうがマシ、という状況である。
しかしもう大脳皮質が悲鳴を上げている。もう彼女には死のうとする気を起こすことすら許されないのだ。それでも何か手がないか、小脳でも脳幹でもいい、なんなら神経に走る微弱電流でもいい。どこかに反撃の糸口がないかと彼女は思考を走らせようとするが考えがまとまらない。
ラーラマリアは苦し紛れに左手で右腕に爪を食いこませ、痛みで正気を戻そうと試みる。しかしその痛みですら刺激が心地よいのだ。
必死で、自分でも分からない何かを模索しているラーラマリアにダンダルクは怒りを押し殺した笑みを浮かべながら話しかけ、左手で再び輪を作って口元に持っていった。
「ダメ押しって奴だ……俺を楽しませな、ラーラマリア」
(グリムナ……)
再び菫色の煙がラーラマリアを襲う。しかし、その寸前ラーラマリアがカッと両目を開いた。
「整いました」
ラーラマリアは相変わらずつらそうな顔で額に汗を浮かべていたが、腰のポーチから何か布切れを取り出して、それを鼻と口に押し当てた。
「間抜けが! そんなぼろきれで防げるようなぬるい魔法だとでも思ったのかよ!! さんざん考えた結果がそれか!!」
ダンダルクはそう言うと、ゆっくりとラーラマリアとの間合いを詰め始めた。さらに肩に担いでいたロングソードを振り上げながら宣告をする。
「遊んでやろうと思ったがヤメだ。てめぇのその目が気に食わねぇ。やはり確実に首を落として終わりにするとしよう。動くなよ。せめて一刀で葬ってやるからな」
そう言って剣を振り下ろしたが、剣はむなしく空を切った。ラーラマリアが一瞬で間合いを詰め、縦拳をダンダルクの鼻っ柱に叩きこんだのだ。ぐえっと無様な悲鳴とも呼吸ともつかない音を漏らしながらダンダルクは吹っ飛んでいき、食堂の外につながるドアを破壊して止まり、食堂に充満していた紫煙はドアから外へすぅ、と逃げて行った。
「んぐ……なぜ……?」
恐怖と困惑に顔をゆがめながら、ダンダルクは焦点を見失った瞳でラーラマリアを探す。
「危ない……ところだった。こんな雑魚にここまで追いつめられるとは思わなかったわよ……」
ラーラマリアは布切れを口と鼻にあてたままそう静かに呟いた。
「なぜ……? 俺の魔法は、そんな布切れじゃ防げないはず……それに、ここまでに吸った分だけでも……十分自由を奪える量なのに……?」
「なぜかわからない?……秘密は、コレよ……」
そういうとラーラマリアは口に当てていた布を広げて見せた。
「ぱ……パンツ?」
それは、男物のパンツであった。
ラーラマリアは戻っていた顔色を再び紅潮させ、にやにやと笑いながらぶつぶつ呟く。もはやダンダルクと話しているのか独り言を言っているのかも判然としない。
「うふふ……一昨日新調してて助かったわ。やはり私とグリムナは天に祝福されている関係なのね……これが愛の力、よ。あんな偽りの魅了なんて、真の愛の前では無力……私がグリムナ以外の男に抱かれるなんてあり得ないのよ……それは未来の歴史を変えてしまうことになるんだから。そんなことをしたら因果律が崩れ、この世界は大いなる闇の中に……」
「付き合いきれん、ド変態め……」
この間に軽い脳震盪の状態から回復していたダンダルクは起き上がって走って逃げて行った。
「あ、待て! あ……」
ラーラマリアがそれに気づいて追おうとしたが、彼女も催淫状態からまだ完全に回復したわけではない。膝が笑っていることに気づいて食堂の中で立ち止まった。
「ああ……くそ、行っちゃったか……話はまだ終わってなかったのに……」
ラーラマリアはそう言ってため息をつきながら振り返って席に着き、まだ食べられる状態の夕食を何事もなかったかのように食べ始めた。なんとも豪胆な女である。
ふと気づくと、シルミラとレニオも脳震盪から回復して意識を取り戻しており、逃げるダンダルクを目で追っていた。そうこうしているうちに厨房の奥へと避難していた食堂の従業員たちも「終わったのか?」と戻ってきた。
「店内で暴れて悪かったわね。壊れたものの弁償なら、逃げてったあの男にしてもらってちょうだい」
ラーラマリアがもはや他人事のような言い方でそう話すと、ようやく立ち上がって席に着くことのできたシルミラが右手で自身の頭を押さえながら彼女に話しかけた。どうやらまだ脳震盪の後遺症で頭が痛いようだ。
「めずらしいわね。ラーラマリアが一対一で戦った相手を生かして逃がすなんて……そこまで手ごわい相手だったの?」
ラーラマリアは皿の上に残っていた夕食を全て食べ終えて、ナプキンで口拭ってから水をこくっと飲んだ。しかし、シルミラの問いには答えずに何やら宙を見つめてボーっとして、考え事でもしているような感じであった。しかしその問いには答えなかったものの、しばらくしてから独り言をつぶやいた。
「教えてほしかった……」
「え? なにか言った?」
そう言ったラーラマリアにシルミラは慌てて聞き返したが、ラーラマリアはまた何もない空中を見つめるだけでそれきりもう何もしゃべらなかった。
(あのエロマンガ媚薬の魔法の使い方……私にも教えてほしかった……)
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