第402話 スケープゴート

「さわらないで!!」


 けがの治療をしようとしたグリムナの手をパシン、とアムネスティは跳ね除けた。片腕には、動かなくなった我が子を抱いたまま。


 八つ当たりか。誰もがそう思った。仕方あるまい、結局あれは天災の如きもの。多くの命が失われ、自身もケガをし、大切な人を失った、その誰もが怒りのぶつけどころを探しているのだ。


 だが、アムネスティは違った。明確にグリムナを睨みつけて、怒りの言葉を吐いた。


「あんたは……疫病神よ!」


 涙を流したまま、目を見開いてアムネスティは言葉を続ける。


「あんたが来るまではみんなうまくいったのに…… 愛する夫と可愛い子供、貧しいながらも穏やかな生活……子供のころ私が望んだ、全てが手に入ったと思ったのに……あなたが来た途端これよ……!!」


 横でそれを見ていたリカウスにもこの言い分が無茶苦茶なことは分かる。しかし彼が止めようとしてもアムネスティの火はもう簡単には消えそうにない。


「そうよ、5年前のあの時だってそう。あなたがローゼンロットに現れて、それからすぐに竜が現れたわ……今回も同じ……あなたが、竜を呼び覚ましたのよ……」


 それはもはや、妄執ともいえるような何の根拠もない気の迷いに過ぎない発想であったが、しかし周りの人間も口には出さないものの、グリムナに対していぶかしげな眼を向け始めていた。


「見てよ、このありさま……ここにはね、村があったのよ……?」


 左手を広げ、未だ赤子を右腕に抱いたまま、アムネスティはもはや瓦礫すら残っていない、竜に擦り潰された、村のあった場所を指し示す。


「もう、終わりよ……全部なくなっちゃった。麦畑の収穫はこれからだったのに、何もなくなった。たとえ生き残ったからって、もう冬は越せないわ……この子だって」


 アムネスティは腕の中の息子だったものを両手で抱きしめながら寂しそうに呟く。


「そうね、この子だって怪我なんかしてなくても、どちらにしろ冬を越すのは無理だったのよ。食べ物も無いのに……これから……これからだったのに。

 ごめんね……お母さんが守ってあげられなくて……」


 アムネスティは天を仰ぎ、神に祈るように独り言を呟く。


「これからきっと……いろんなことを経験するはずだったのに。辛いことも嬉しいことも。幸せな未来があるはずだったのに……守ってあげられなかった……」


 彼女の涙に、グリムナは自分が責められている気がしたし、実際彼にとってはまさしくそうであった。竜の危険性をこの村の中で最も把握していたのは自分であったのに、結局誰も助けることができなかったからだ。


「アムネスティ……せめて怪我の手当てを……」


「行って……」


 グリムナが思わず聞き返すと、今度は怒鳴るように応えた。


「もうどこかへ行って!! こんな怪我大したことないわよ! そうやって恩を売る気なの!?」


 その怒りの言葉に、もはやグリムナは返す言葉を持たなかった。リカウスは申し訳なさそうな表情でグリムナに語り掛ける。


「すいません、グリムナさん。今みんな、冷静でいられる状況ではないのです」


 そう言うリカウスとて本来は冷静でいられる状態ではない筈なのだ。彼の息子が亡くなってしまったのだから。グリムナはその内心を慮り、口をつぐもうとしたが、しかしこれだけは言わずにはいられなかった。


「分かります……しかし、重症の方だけでも治療させてください……それが終わったら、俺はもう、ここを離れますから……」


 リカウスの了承を得て、グリムナはけが人の治療を始める。そうしている間にも、ぽつりぽつりと村人たちは帰ってきたが、しかし傭兵達と合わせてもその数は三十人ほど。大半の人間は竜の進撃に巻き込まれて、死んでしまったのだ。


「グリムナさん……無理をしないで」


 ヒッテが悲し気に声をかけた。グリムナ自身は怪我を負ってはいなかったが、しかし彼の心が、もう限界だと言っているような気がしたからだ。

 その言葉を聞いても、グリムナは力ない笑みを浮かべ、ゆっくりと首を横に振るだけだった。


 やがて村人たちの治療が終わり、グリムナはゆっくりと立ち上がって、ヒッテの手を引き、その場を後にしようとした。


 そこへ、まだ息子の亡骸を抱いたまま、アムネスティが話しかける。


「こんな状況で、他人に情けをかけて、自分が上等な人間になったつもり……? あなたのやっていることは偽善よ」


 アムネスティは片手を広げ、叫ぶように言う。


「見てよ! この有様を! 世界が竜に滅ぼされようとしているのよ! あんたが何をしようと焼け石に水でしかないわ! あんたがやってるのはただの自己満足よ!! この偽善者が!!」


 グリムナは、ゆっくりと振り返って、弱々しい笑顔で応えた。


「そうだ……偽善だ……これは、俺が好きでやっていることだ。何の意味もないのに……

 だから、俺に感謝なんかしなくってもいい。

 その代わり、もし、あんたに本当に余裕があるときだけでいいんだ……あんたも、同じように、誰か他の人を助けてやって欲しい……お願いだ……」


 グリムナは、それだけ言うと、ローゼンロットの方向に向き直り、幽鬼の如く力ない足取りで、ヒッテと二人、歩き出した。


 その背中を黙って見つめるアムネスティ。その前に、小さな人影が遮るように立ちはだかった。


「なんでそんなひどいこと言うの、お母さん」


 その人影は、彼女の娘、ミシティであった。


「ひどいよ、グリムナさんはみんなに『逃げろ』って言って、今もみんなの怪我を直してくれたのに! なんでそんなにひどいこと言うの!」


 アムネスティは雷にでも打たれたかのように愕然と、立ちすくんでしまった。それは、まだ物心もつかない小さな子供だと思っていた娘が放った言葉が、確かに『正しい言葉』だと感じ、八つ当たりをする自分の方が間違っていると、心の中で理解できていたからである。


 ミシティは走ってグリムナの正面に回り込み、そして彼の手を両手で握って、グリムナの目を見ながら言った。


「あの、グリムナのおじさん、ありがとう。みんなを助けてくれて!」


「お兄さん、な」


「あの……グリムナさんは、悪くないです! 悪いのはみんなあの竜です。

 みんな、ことばでは言わなくても、ありがとうって思ってます」


 ミシティの飾らない感謝の言葉に、グリムナの瞳に涙が溢れそうになった。


「こちらこそ、ありがとう……」


 その言葉が何に対しての感謝だったのか、それは誰にも分らなかったが、二人は歩いていく。


 竜の足跡を追って。


 その先で何が待っているのか。その先で自分が何をしようというのか。それすらも分からずに。


 こうして聖者は、人々の諸々の罪と咎を担って荒野に赴かねばならないのだ。

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