第89話 お色気大作戦

 古い地母神ヤーベを祀った神殿、そこにはオオカミ、フクロウ、ヘビのレリーフが彫られていた。そのうちの一つ、オオカミの部屋にグリムナ達は閉じ込められ、ヤーンに置き去りにされてしまったのだが……


 オオカミの部屋の通路の奥の祭壇には巨大な竜から仲間を率いて逃げるオオカミのレリーフがあった。おそらく他のフクロウとヘビの部屋にも似たようなものがあるのだろう。


 オオカミ、フクロウ、そしてヘビ。三つとも死を連想させる民間伝承を持っている。そして、特にヘビは竜そのものの象徴でもある。


「三つのレリーフ全てに死が関連していて、その内の一つは竜も意味している……そして、その三つはいずれも害獣を駆除する豊穣神の使いでもある……」


 本格的に豊穣神と死神がつながってきた。しかし『関連がある』程度ではない。古の時代、豊穣神は死神そのものだったのだ。死神の鎌は元々豊穣神が持つ収穫のための鎌、それそのものである。十分に実った麦の穂を刈り取り、冥界へと案内する、それも豊穣神の仕事の内の一つであった。


 そして、ここまでくると、何故ヴァロークがここにいたのか、さらには何故ヤーンがカルケロを遺跡に近づけたくなかったのかも、予想がついてくる。

 おそらく、ヤーンはヴァロークの一員であるのだろう。


「ねぇ、ヘタしたらここにエメラルドソードがあるって可能性もあるんじゃ……」


 フィーが核心に迫る事を言ったが、その時、入ってきた通路の方から声が聞こえた。


「ヒッテだ……誰かきたのか?」


 そう言ってグリムナはヒッテのいた場所まで駆け戻った。見るとヒッテは必死に大声で壁の外に話しかけていた。


「バッソー殿がきたのか?」


 グリムナが話しかけると、ヒッテははぁ、とため息をついて嫌そうに答えた。


「話にならないです、あのじじい」


 ヒッテに交代してグリムナが話しかける。いかに石の通路といえどもそう離れた位置ではないので難なく声を聞くことができる。


「バッソー殿ですか? グリムナです。狼のレリーフのある壁面の向こう側にいます」


 すると、壁の向こう側から返答が聞こえた。確かにバッソーの声である。


「おお! 全員無事なのか? 儂はどうすればいい?」


「壁のそちら側に仕掛けがあるんで、それを作動させてください。そうすればこの壁が跳ね上がって開けられます」


「…………」


 バッソーの声が途絶えてしまった。なんだろうか、何故急に声が聞こえなくなったのか、彼の身に何かあったのだろうか、そうグリムナは心配したが、暫くするとまた彼の声が聞こえてきた。


「……どうやって?」


「いや……その……ガコン、って……」


「ガコン……?」


 そうだった。誰もヤーンが仕掛けを作動させるところを見ていなかったのだ。


「なんかこう……いい感じのがないスか……?」


 グリムナがダメ元でそう言うがそんな物あるはずがない。そもそも素人がそんなに簡単に見つけられるような仕掛けだったらとっくの昔にカルケロが見つけているだろう。バッソーも完全な素人ではないものの、彼は基本的にデスクワークが専門である。遺跡のことはあまりよく分からない。


 手詰まりである。


 全員の眉間にしわが寄る。


 「バッソーがたどり着きさえすれば何とかなる」、何となく漠然とそう考えていたのだが、余りにも見通しが甘すぎた。


「こう……バッソー殿の魔法で壁を跳ね上げられないですかね……」


 苦し紛れにグリムナがそう言うが……


「え……? ワシの魔力で?」


 そうだった。前回騎士団の本陣で見せた魔法が余りにも強力なので忘れていたが、彼は普段使える魔力は微々たる物である。一発抜いて『賢者モード』にならないと強力な魔法は使えないのだ。さらに言うなら加齢により、最近ED気味らしいのだ。つまり、彼にここで救助してもらうにはどうしなければいけないのか……


「あのさ……」


 バッソーが壁の向こうでおずおずと口を開いた。


「なんかオカズになるようなこと言ってくんない……?」


 そう、つまりそう言うことなのだ。性的大喜利大会の開始である。


「どう言うことなの? グリムナ……」


 状況を把握できていないフィーにグリムナがバッソーの魔力の秘密について説明する。ヒッテの表情がとたんに険しくなった。前回意味不明のままケツを蹴るように要求されて、その後一時行方不明になった後戻ってきたら何故か賢者モードになっていた、その意味をヒッテは今理解したのだ。年頃の娘が嫌悪感を示すのも仕方あるまい。


「ヒッテは絶対やりませんからね……」


 彼女はそう言って少し壁から離れたところで口を尖らせたままストン、と腰を下ろして体育座りした。


 危ない危ない、この態度と座り方だけでバッソーの身に何か起きていたかもしれない。


「ここは……官能小説家様にお任せしようと思うんだが……」


 グリムナがフィーの顔を見ながらそう言った。グリムナとフィー、二人共に眉間に皺を寄せて顔をしかめる。しかし誰かがやらねばならない。グリムナからすれば普段散々自分をネタにしてエロ小説を書きやがって、しかもそれで実害まで及んでいるのだからこんなところでくらい役に立て、という気持ちもある。


「いや、まあ無理ならいいよ。あんまり期待してないから……」


「フィー様をお舐めでないよ!!」


 グリムナの気遣いが気に障ったようでフィーはずんずんと壁の方に歩いていった。しかし壁の前まで来ると考え込んでしまう。思えば60年間ホモのことばかり追っていて、まともな男女間の恋愛など考えたこともなかった。従ってどういう態度が男を高ぶらせるのか、それが分からないのだ。


「あ……あはぁん……」


「…………」


 腰をくねらせながら熱い吐息を聞かせるが……腰をくねらせるのは、バッソーからこちらが見えないので意味がないし、「あはぁん」て……感性が古い。


「チェンジで……」


 壁の向こうのバッソーからその声が聞こえると、フィーはその場に崩れ落ちた。これで選択肢はグリムナしかなくなってしまったのだが、しかし彼とて男を誘惑した経験などない。いつも勝手に相手の方からケツを狙ってくるのだ。こう書くとなんだかtwitterで聞いてもいないのにナンパされた自慢してる嫌な女みたいだが、実際そうなのだから仕方ない。


「逆に聞きますが……どういうのがいいんですか……どういうので、バッソー殿は興奮するんですか?」


「あ……今のちょっとピクッと来た……」


「えっ? 今ので!?」


 全員の表情が恐怖に歪む。本当に何がトリガーになるのか分からない。もはや何をしたらいいのかが分からずグリムナがまごまごしていると、スッとヒッテが立ち上がってつかつかと壁に歩み寄っていく。

 そのままドンッと石壁を足の裏で思い切り蹴った。


「いい加減にしてください、このクソじじい……ここはあなたの下半身の面倒を見る介護施設じゃないんですよ……」


「!?」


 ヒッテはいい加減このシチュエーションにマジ切れである。壁の向こうのバッソーは何も言葉を発さなかったが、その緊張感だけはこちら側にも流れてきた。しかしヒッテの怒りはまだ収まらない。


「バッソーさんが何もできないクソザコじじいなのは勝手ですけどね、そのザコさと変態性欲でこっちにまで迷惑かけられるのは我慢ならないんですよ……」


「うう……」


 バッソーのうめき声が聞こえた。グリムナは少し顔をしかめる。いくら何でも齢60過ぎの高齢の人間に少し言い過ぎではないか、歯に衣着せぬ物言いはヒッテの良いところでもあるが、長幼の序にはもう少し留意すべきではないのか、そう考えたのだが、ヒッテの怒りは収まりそうにない。何より、グリムナも今のヒッテの剣幕が少し怖いのだ。


「ここを出る方法はヒッテ達が考えますから、じじいはもう引っ込んでて下さい。ザコはザコらしく隅っこでじっとしてて下さい……」


「うっ……」


 バッソーのうめき声が聞こえて、やがて完全に場は静まり返った。


 ヒッテは少し言い過ぎたと思ったのか、トボトボと元気のない足取りでグリムナとフィーの元に戻ってきて言った。


「何か……別の手を考えましょう……何か、見落としていることがないか……」


 ヒッテがそう言った瞬間である。ゴゴゴ……と、何かが動く音が聞こえ、石の扉がググ……と持ち上がり、通路が現れて、バッソーが姿を見せた。扉が開いたのだ。

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