第362話 New world order
暗く深い意識の底で、大司教メザンザは一人の少女に出会っていた。
『これは夢の中だ』、そう気づくのにあまり時間はかからなかったが、しかしそれでもメザンザはその少女から目を離す事が出来なかった。
会うのがこれで最初ではなかったからだ。二度目である。
少女と自分のいる場所は真っ暗で光も何もなかったが、しかし二人の姿だけははっきりと認識することができた。おそらく辺りは『暗い』のではなく、『認識できない』のであろう。メザンザが即座に夢だと気づいた理由の一つである。
少女は横になって肘で頭を支えたままつまらなそうな表情でメザンザを見つめていた。
「お主には本当に失望した」
「左様に御座るか、ベルアメール殿」
そう、少女の正体は預言者ベルアメール。以前にも二度ほどグリムナの意識の中に語り掛けることをしている。
400年前に竜が現れた際に民を導いて竜から避難した『聖者』である。
その国家、教会の現在の長が大司教メザンザである。
「前にも聞き申したが、なぜ少女の姿を?」
「たわけ、そんな話どうでもよいわ。これは儂の趣味じゃ」
ベルアメールはそう言ってから起き上がり、地べたに胡坐をかいて座り、膝の上に肘をついて頬杖をつく。男物の、大人の服を着ているために胸元が見えそうであるが、メザンザは同性愛者であるのでそれを一瞥もしない。
「それよりもどういうつもりじゃ? 『儂はトゥーレトンに聖者となる素質を持つ者がいる』とお主に預言をした。なのにお主が見つけ出したのは『勇者』だった」
「はて、左様な内容の預言でしたかな?」
メザンザがとぼけるように白々しい言葉を放ち、小首を傾げる。その態度が気に食わないのかベルアメールは眉間にしわを寄せた。
「お主は全てわかっていて、その上であの女を勇者に認定しおったな? お主がそんな破滅思考の持ち主であると分かっておれば預言など与えなかったものを……」
「ふ、預言者ともあろうものが他人の本質も見抜けぬとは、存外に神通力もよわよわ也」
「だまれ。儂とてただの人間が竜に食われてその精神が竜に繋がったにすぎぬ。神通力と言えばせいぜい眠っている人間とお話しするくらいじゃ。
……だからせめて、この無情な世界を最も嘆いているだろう人間に預言を与えたというのに……」
フン、と鼻を鳴らしてメザンザは余裕の笑みを見せる。8年ほど前の事である。メザンザをはじめ教会の上層部の人間数人は夢の中でベルアメールの預言を受け、西の町トゥーレトンに『聖者』を捜索に、少数の騎士を引き連れて旅立った。
『聖者』が何者か、どんな人物か、性別は。其の全ては謎に包まれたままの捜索であったが、現地についてメザンザはラーラマリアを『竜を倒すべく生まれた勇者』として宣言した。
ラーラマリアの人となりを見て、また、村人達から普段の彼女の言動を聞いて、彼女が預言にあった『聖者』ではないことは彼は気づいていた。
全てわかっていた上で『この自分勝手な女なら世界を大混乱に陥れるに違いない』と思って彼女を勇者に認定したのだ。
「お主の真の目的はなんじゃ?」
ベルアメールの質問にメザンザは、岩のような顔を歪めて、笑顔で答える。
「教会の権威の失墜。真に弱きものの救済。
「真に弱き者……お主の事だから同性愛者の事か?」
ベルアメールの問いかけにメザンザはこくりと頷く。
「フン、儂自身は別に教会の信徒でもないから同性愛も異性愛も好きにしろ、と思うがのう。じゃがいくら同性愛者の迫害が気に入らないからと言って、竜を復活させて一旦世界を滅ぼそうなどというのはやりすぎじゃろう。それこそ一番割を食うのは『弱き者』じゃぞ」
「多少の痛みは仕方ありますまい」
はぁ、とため息をついてベルアメールはごろん、と仰向けに寝転んだ。ああ言えばこう言う、もはやこの男に議論は無駄だろうと悟ったのだ。
「あ~あ、せめてネクロゴブリコンと話ができればのう……」
「ゴブリン?」
「ネクロゴブリコンじゃ。なんじゃ、お主、奴の事を知らんのか?」
メザンザにとっては初めて聞く名であった。そのネクロ何とかがどうかしたのかと尋ねると、ベルアメールは横向きに寝転びなおしながらにやにやと笑った。
「なんじゃ、知らんのか? 400年前儂と共に旅をしていた仲間の一人じゃ。そして数少ない竜の惨禍の生き証人でもある」
「生き証人!? 人ではないのか、エルフか何かか。何故私と話すように其奴とは話さぬのか」
メザンザの驚き様にベルアメールは一層笑顔になった。
「簡単な話、儂が『繋がれる』のは人間だけだからじゃ。しかしそうかそうか、お主はネクロゴブリコンを知らぬか。なるほどのう」
そう呟いてベルアメールはくふふ、と笑う。しばらくそうしてごろごろ寝転がりながら笑っていたが、不意に起き上がってメザンザに問いただして来た。
「ところでお主、儂が教えた『聖者』が誰かは分かったのか?」
この問いかけにメザンザは黙して語らず。どうやらそれは分かっていないようだ。そしてその者がまさか、勇者ラーラマリアと共に冒険に出かけているとは思いもよるまい。
自分の前に二度も立ちはだかって拳を交えた、あの男だとは夢にも思うまい。
ベルアメールが『聖者』に期待していた役割、それはもちろん『勇者』として人々を守るために戦う事ではない。
それは『聖者』として人々を導き、行く先を指し示す事。そして共に歩むこと。
グリムナに、その役割を期待していたのだ。
不意に視界に光が入って来た。
メザンザは夢が覚めたことを知る。
ここはいつもの自分の寝室であった。上半身をゆっくりと起こすと、隣で寝ていた妻が声をかけてきた。
「大丈夫ですか? 随分とうなされてましたけど」
妻はそう言った後、ごほごほと咳き込んだ。
「大事ないか、すぐに使用人を呼んで薬を取ってこさせる」
そう言ってメザンザはベッドから飛び降りてドアに手をかけた。部屋から出ようとする彼を妻が呼び止める。
「ごほっ、大丈夫、大丈夫です……それよりも私は、あなたの事が心配なのです」
「この期に及んでまだ我が身を案じてようか……儂は妻に、絶望だけを与える夫であり続けたというのに」
ひとしきり咳を終えて、ようやっと落ち着いてからゆっくりと妻は答えた。
「そう自分を責めないでください。私が自分で選んだ道なのです。……でも、私のこの選択こそが、あなたを一層追い詰めてしまったのかもしれない……お願いですから、自分を責めないで……」
ゆっくりとベッドの方に歩み寄って来たメザンザに、彼の妻は縋るような視線を投げかける。
「無理をしないで……あなたは本当は優しい人なのだから」
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