第430話 地獄のメルエルテ

 暗くなった森の中、世界樹の下ではかがり火が焚かれている。


 ござが引かれており、その上に一人の少女が仰向けに寝ている。目は開いているようだがどこか虚ろな気配を漂わせており、どうやら正気な状態ではないようだ。そのすぐ隣には老人が胡坐をかいて座っており、やはりこちらも朦朧とした雰囲気を纏っている。


 そして世界樹を背にして儀式を執り行う銀髪に褐色のエルフ、フィー・ラ・フーリ。


 フィーは、ここ数ヶ月で、一番イラついていた。


「ああ~、そういう方法で行くんだ。それどこ流? ねぇそれどこ流?」


 フィーは声を気にせず、ゆっくりと小鉢に分けて入れられている、何かの粉末、木の実か何かを砕いたものを指でつまみ、ぶつぶつと呪文を呟きながら振り撒くように投げた。


「ん~、あれかね? ちょっと若さが前面に出ちゃってる感じかなぁ……」


 声の主をフィーはキッと睨みつける。


 メルエルテは余裕の笑みでそれに返す。


「あっ、いいよいいよ続けて? あとでまとめて指摘するから」


 ぎりぎりと歯噛みしつつもフィーは儀式に戻る。


「あの……メルエルテさん、儀式の最中なんで、あんまり集中を乱すようなことは……言いたいことがあるならはっきり言って貰えませんか?」


 見るに見かねたブロッズ・ベプトが彼女に苦言を呈した。しかしメルエルテはニヤリと口の端を歪めて笑みを見せ、そしてふるふると軽く首を振った。


「ん? 言いたいこと? 言いたいことなんて別にないけど?

 たださあ、こう……この中にさア、ちゃんと俯瞰で見れてる奴いるのかなぁ~? って考えてただけだよ?」


 うぜぇ……


 その場にいる全員の意見が一致した。


 アヘンの煙を大量に吸い込んでしまって意識の混濁しているヒッテですらそう思ったのだ。『こんな状態でやって、儀式成功すんのか』と。


「その、こういう呪術の儀式というのは本人たちがどれだけ没入できるかが大事なところもありますので……なるべく静かにされた方が良いかと」


 『言いたいことなどない』と言いながらもなお口を閉じないメルエルテ。何とか雑音を消すべくブロッズは彼女の機嫌を損ねないようやんわりと注意をする。


 メルエルテはウィンクしながらピッとブロッズを指さした。


「お前、見込みアリ!」


 ウゼェ……


 謎の上から目線。確かにバッソーは以前メルエルテは呪いのスペシャリストのようなことを言っていたし、ネクロゴブリコンを除けばこの中で最年長ではあるのだが、よりにもよってこのタイミングで娘に対して謎のマウントを取りながら茶々を入れてくるとは。


「助言をしないのなら黙っていなさい。今大切な時なのです」


 少しキツ目の態度に出たのはニブルタ。この場にいつつもあまり他の人間と絡んでいなかったレイスの男であるが、メルエルテのあまりにあんまりな態度にとうとう切れたようだ。


「は~出た。出た出た出た。出ましたよコレ」


 それまで余裕の笑みを見せていたメルエルテであったが、ニブルタが出てくると露骨に機嫌が悪くなった。


「なになに? ちょっと昔の記憶を持ってるからって上から目線で!」


 上から目線はお前だ。


「ここに来るのもそんなわざとらしく透け透けのカッコなんかしちゃってさ! 年を考えなさいよ、いやらしいったらないわ」


 確かに少し透けている。体が。


「私が何人呪術師育てたか知ってる? 確かにあんたは古い記憶も持ってるかもしれないけどさあ、私は四百年も生きてんのよ? 大切なのは知識より経験、経験より実践、実践より目的意識。分かるかなぁ~? あ、あの話したっけ? 私の呪術の弟子が結果的に国同士の戦争を止めた話。してなかったかなあ? しようか? 私の弟子が戦争止めた話?」


 メルエルテに詰め寄られながらも、ニブルタはちらりとフィーに視線を送る。


(今だ……ッ!! ニブルタがメルエルテを引き付けている間に……ッ!!)


 フィーは静かに頷くと、儀式を続け、呪文を唱え始めた。


「命を生みたる母なる木よ。今宵あなたの元に二人の小さき者の魂を送ります」


 高く、透き通る、美しい声。


 粗末なワンピースに身を包んで真剣な表情で祝詞を唱えるフィーの姿は、普段の彼女を知らないものが見れば、神々しいと言えるほどに美しく見えたことであろう。


 続いて二度、三度と小さく口笛を吹いてからフィーは歌いだした。


「ストイマラ カスメッ スタメナァ スタメナァ

 マイガイ ボゥナ レグナラ レグナラ

 ボサカラ ノベラ フゥリ フゥリ」


 日との声でありながら、まるで鳥のさえずりのような。鳥のさえずりの様でもありながら、まるで楽器のような。


「地に広がる 愛の平らに 聞き入れ給え 聞き入れ給え

 その海に 進みて 深く沈む 深く沈む

 其は生みたる 森の守る 世界樹よ 世界樹よ」


 フィーの声の他にはかがり火がパチパチと燃える音だけ。


 少し遠くではまだニブルタとメルエルテが何やら言い争っている声も聞こえてきてはいたが。


 ヒッテは、アヘンの煙を吸い込んでからずっと頭にもやがかかったような気がしてきていたが、フィーの歌声を聞きながら横たわっていると、意識がありながらも、さらにもやが濃くなってきたような気がした。


 同時に、賢者バッソーも瞑想状態に落ちてゆく。その姿を見て、メルエルテはニブルタとの口論をやめ、フィー達の方に注目した。ニブルタはまだ、『変な茶々を入れないだろうな』と警戒しているが、彼女は黙ったままであった。


「上手くいった……のか……?」


 ベルドが小さな声で呟いた。フィーはまだ小さな声で歌を続けている。


(まさか本当にうまくいくとはね……てっきりできなくて泣きついてくると思ってたのに)


 メルエルテは無言で世界樹を見上げた。


(フィー……あなたには、謝らなきゃいけないことがあるわ)


 メルエルテはゆっくりと歩いてフィーに近づいていき、しかし無言でフィーを見つめるだけであった。


(この世界樹……)


 再び世界樹に視線を戻す。


(ぶっちゃけただのデカい木なのよね……)


 超今更情報である。


 あれだけバッソーにキレ散らかしておいて今になって『ただのデカい木』ときたもんだ。


 実を言うと、グリムナ達が初めて世界樹に来た後、メルエルテは古い記録を引っ張り出して世界樹の事を色々と調べていた。そこで分かったこと。およそ二千年ほど昔に記録されたと思われる古文書。その記録を調べてみると、どうも、そのころの世界樹は今の世界樹とは別のものの可能性が高いということが分かった。


 グリムナに言われた『古い世界樹の絵がないか』ということが気になっていたのだが、日誌を読むと、どう考えてもエルフの里と世界樹の位置関係が違う気がする。古い日誌ではエルフの里から世界樹までは歩いて一日ほどの距離があるはずなのに、今は里のすぐ近くにある。


 最初は里の位置が世界樹の近くに移動したのかとも思ったが、別の日誌にあるスケッチを見てみると、どうも今の世界樹とは葉の形が違う。


 しかも、世界樹が変更になった経緯については、どの古文書にも全く触れられていなかった。どうやら知られたくはないことらしい。日誌に長い空白期間があり、いつの間にか変わった、という感じだ。


 ここから導かれる答えは一つ。


 おそらくは、里から一日歩いて世界樹に行くのが面倒になって、近くにあったデカい木に変更したのだろう。


 この事実を、メルエルテは、里の者へはもちろんフィーにも言っていない。


 メシの種である世界樹の権威が落ちれば、彼女は職を失ってしまうからだ。


(冗談じゃない……世界樹さえあれば子々孫々食いっぱぐれることはないっていうのに)


 メルエルテは小さな声で呟く。


「鰯の頭も信心から、って……本当なのねぇ……」

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