第431話 記憶の中へ

「むおおおお! なんちゅうデカい木じゃ!!」


 妙な浮遊感。


 そこから落ちていくようであった。辺りには真っ暗な空間が広がり、遠くにはキラキラと星が輝いている。


 その中でただ一つ認識できるもの。巨大な樹木らしきものにバッソーは必死の思いでしがみついた。


「これが、世界樹なのか……!?」


 試しにしがみついたまま木を登ってみる。


 リウマチでひどく痛んでいた膝に異常はない。少し無理をすると稲妻のような激痛が走ることがあった腰にも、そんな気配がない。


「動ける! 潜在意識の中だからかのう、こんな快調な気分は何年振りか!」


 バッソーはなんだか楽しくなってきて力の限り振り絞って木を登り始めた。まるで猫にでもなったかのようにするすると気を登ることができる。妙な万能感に支配されていた。


「む、なんとなく、できる気がするぞい」


 体は好調だ。では魔力はどうだろうか。若い頃ですらめったなことが無ければ使わなかった浮遊魔法を試しに使ってみた。


「おお、こりゃ便利じゃ」


 魔法特有の頭が重くなるような疲労感もなくバッソーの体は浮遊した。以前ならでなければ自分の体を持ち上げることなどできなかったのだが。


 そのままむん、と気合を入れて樹木の上を目指してバッソーはカッとんでいく。間違いない。これが集合的無意識下の世界樹なのだ。バッソーは確信した。


 しばらく進んでいくと幹の領域を過ぎて枝が増え始める。当然その先には数多の葉も備えている。だがそれだけだ。世界樹にはたどり着いたが、しかしどこがヒッテの意識に繋がっているのかが分からない。


 「まいったな」と独り言を呟きながらぽりぽりと禿げ頭を掻いていると誰かが後ろから声をかけた。


「念ずれば、おのずと道は開かれましょう」


 振り向くと、そこにいたのは自分と同じく浮遊しているレイス状態のニブルタであった。ニブルタは実体ではこのエルフの里には来ておらず、儀式も受けていないのに何故? と思ったが、その考えを察して彼は応えた。


「そもそも私がここへ来たのは竜を倒すのに自分のレイスになる術が役立つのではないかと思ったからです。あなた達の手助けをするために来たんですよ」


 そう言ってニブルタは右手を差し出した。その手が『なにか』を掴む。


「モノから記憶を読み取ることができるのなら、その逆、記憶を手掛かりにモノに入り込むこともできる。私のサイコアクティヴの力……」


 ニブルタは掴んだ何かをぐるりと回す。


「イメージするんです。ここは。どこへでも、あなたの望む場所へ」


 ガチャリ、と音がしてニブルタが掴んだ付近の空間から光の線が走り、その光は扉の形を作った。開けると、眩いばかりの閃光だけが見える。


 バッソーは小さく「むぅ」と呻いてから勇気を振り絞って開けられたドアの向こうに入っていった。


「む? ここは……?」


 そこはどこか、山の中であった。夜なのか、辺りは暗い。しかし少し遠くで焚火でもしているのかちらちらとオレンジ色の光が見える。楽しそうな歌い声も聞こえる。


「見覚えがある様な……ヒッテの記憶の中なのか……?」


「さあ? ニブルタには分かりません。多分そうだとは思いますが」


 考えていても答えは出ないので二人は歌声のする方に近づいて行った。


 だんだんとバッソーにも記憶が蘇ってくる。ここは確か、ピアレスト王国の森の中。少し進むと方形に掘られた大きな穴の中、数名の男女が焚火を囲んで宴をしているようであった。そこには5年前のバッソーの姿もあった。


「これは……ベアリス様と偶然山の中で会って、宴会をしたときの記憶じゃな……しかし……」


 歌っているのはヒッテであった。右手に持っているのはおそらくベアリス謹製の蜂蜜酒ミード、フィーが笑顔でリズムをとるように手を叩いており、ベアリスとバッソーも笑顔で飲み食いしている。だが。


「グリムナだけがおらんな……」


そこにいるはずの、ヒッテの大切な人。グリムナだけが欠落していた。何かもやがかかったように不自然に歪んでいる部分だけがあるが。


「まいったのう……どうやらやはりグリムナの記憶だけが欠落しておる様じゃが、どうすればその記憶を蘇らせられるのか……」


 ちらりとニブルタの方を見るが彼も首をすくめる。人を生き返らせる秘法。それ自体がコルヴス・コラックスの里でも珍しい能力であるし、使われることも、ほぼない。


 ましてやそれによって封じられた記憶を呼び覚ますことなど、ニブルタも経験があるはずがないのだ。


「おそらくもっと奥深いところにあるでしょうね……あるとしたら、こんな楽し気で、いつでも思い出したいような、浅い領域ではないはずです」


「むぅ、しかし本当にグリムナの記憶だけきれいさっぱり消えておるんじゃな。これでもしついでにワシの存在も消えてたりしたら泣いちゃうとこじゃったけど」


 バッソーは少し集中して右手に力を込める。そのまま先ほどニブルタがやったように虚空を掴むと、ぐりっと捻り、何もない空間にドアを出現させた。


「さすがは賢者殿、もうコツをつかみましたね」


 また光の扉の向こうに移動する二人。そこもまた森の中であったが、今度はバッソーもはっきりと覚えている場所であった。


「これは、エルルの村の近く……ワシとグリムナ達が初めて会った場所じゃな」


 スライムローションや、なんやかんやあって、グリムナに救出されたバッソー。洞窟の外に出てようやくヒッテ達と合流できた時の記憶のようである。国境なき騎士団の仲間割れか、遠くにまで戦闘音が聞こえてきた。


 バッソーとニブルタは駆け足でヒッテを探す。すぐに彼女は見つかった。少し離れたところでフィーがぶつぶつと怒った表情で独り言を呟いている。実際にはグリムナと言い争いをしていたはず。やはりここでもグリムナの記憶が消えているようだ。


 少し離れた場所で四つん這いのバッソーとヒッテが何やら話していた。


「ぐひ、ぐひひひ……ヒッテちゃん、ワシの……ワシのケツをその可愛い脚で蹴ってくれんかのう……♡」


「えっ?」


 バッソー(本物)が思わず首を傾げる。


 おかしい。何かおかしい。こんな変態くさい言い方だっただろうか。それとも自分では普通に言ったつもりだったのだが実際にはこんな言い方をしていたのだろうか。どうも彼の中のこの場面の記憶と食い違う。


 確かにもう七十歳近い老齢であり大分物忘れが激しくなっては来ているものの、しかしここまで記憶と違うものだろうか。戸惑いながらもバッソー(本物)はバッソー(記憶)とヒッテのやり取りを見守る。


「ふひ、ふひひひ……ロリっ娘、ロリっ娘にケツを蹴ってもらえるなんてぇぇ♡♡」


 ニチャア、とバッソー(記憶)は笑みをこぼす。その口からは乱杭の歯が見える。モンスターのような醜い牙からは粘性の唾液がとろりと垂れている。


「いやおかしい! これはどう考えてもおかしいぞい! ワシの歯、あんなに乱杭じゃないし! あんなキモいセリフも言っとらんし! こりゃいったいどういうことなんじゃ!?」


「おそらくですが……」


 取り乱しているバッソー(本物)にニブルタが声をかける。


「人の記憶は常に正しいとは限りません。ヒッテさんは、この時の場面を、こう記憶しているということでしょう……」


「つ、つまり……この時のヒッテちゃんには、ワシはこう見えていたってこと……?」


 バッソーはがくりと項垂れ、大地に膝をついた。


「こっ……」


 そのまま両手を地面につく。


「これは……ないじゃろう……」


 しかし、確かにキモかったのだ。

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