第56話 ベアリスのその後

「昨日はお楽しみでしたね……」


「…………」


 ニヤニヤと笑いながらそう言ったフィーにグリムナは無言の睨みで答えた。非常に嫌そうな表情である。昨日のゴルコークとのやりとりがすべて聞こえていたのか、と。クソ性癖のフィーにどう言われようとも既にもう何とも思わないが、ヒッテに誤解されるのは少し嫌だな、ともグリムナは考えたが、やはり無視することにした。


 それにしてもゴルコークは前に悪事を罰した時は別にゲイではなくバイだったはず。だったらなぜ今回フィーの方ではなくグリムナの方に来たのだろうか。もしやキスの影響で完全なホモになってしまったのだろうか。本人に聞けば分かることではあるものの、グリムナ自身わざわざ聞くほど興味があるわけでもない。


 そんな取り留めもないことを考えながらグリムナ、ヒッテ、フィーの三人は町の中をぶらぶらと歩く。装備の新調のためアパレルショップや雑貨屋をまわっているのである。グリムナはナイフを鉈としても使えるマチェーテに買い換え、ヒッテも寒さ対策で短めのマントなどを購入した。


 ぼーっと考え事をしながら道を歩いているグリムナの顔をのぞき込みながらヒッテが話しかけた。


「……なんでゴルコークがご主人様のところに来たか気になりますか?」


 エスパーかこの女、と思いつつもグリムナもヒッテに視線を合わせた。視線を合わせたといってもヒッテの目は前髪で隠れてるので一方的に見つめてるだけかもしれないが。


「ご主人様チョロそうだからですよ。押せばヤレると思ったんですよ、あのおっさん」


 グリムナは立ち止まって眉間に皺を寄せ、露骨に嫌そうな表情をする。


「ご主人様ちょっと考えを改めた方がいいですよ。優しくするばっかりじゃ他人にいいように使われますよ?」


 そういっても人の心根はそう簡単には変わらない。再び足を動かしながら考え始めるが、見覚えのある人影が見えた気がして足が止まった。


「ん……? 今の……」


 一つ大通りの向こうを横切った影、ストレートの長いプラチナブロンドの髪に小柄で華奢な体。確かに見覚えのある人影であった。


「ベアリスさん……?」

「やっぱりそうだよな!?」


 フィーの発した名前に、戸惑いながらもグリムナも同意した。そんなはずがない、しかしそうとしか見えなかった。グリムナは二人をおいてダッと走り出した。


「あっ、ご主人様、待ってください!」


 あわてて二人も彼を追いかけて走り出す。しかしその人影は別に逃げていたわけではなく、歩幅も小さかったのですぐにグリムナに追いつかれていた。角を曲がって直ぐのところで呼び止められてグリムナと相対しているところをヒッテは見つけることができた。


「あ……あわわ……」


「ベアリス様? やっぱりベアリス様です……よね? 多分……」


「あ、いや~……どうでしょう? ベアリスさんでしょうかねぇ……?」


 追いつめたものの、半笑いでそう答える少女の正体をグリムナはいまいち断定できずにいた。プラチナブロンドの髪に華奢な体、エルフのような整った美しい顔立ち。その辺りの特徴は確かにベアリスのものなのだが、その他の特徴がいまいち一致しない。


 以前に会ったベアリスは白磁のような透き通る白い肌をしていたが目の前にいる少女は日に焼けて小麦色の肌になっているし、衣服も肌も泥だらけで汚れている。服はワンピース、というかほぼボロ布の様なものを身にまとっている。ちょうどヒッテが最初にグリムナと会ったときに着ていたような奴隷の服にそっくりだ。

 甚だしくは彼女は肩にスコップまで担いでおり、何かの作業の帰り、と言った感じである。一体何故斯くなる仕儀と相成ったのか。


「ええと、本当にベアリス様、じゃないんですか……?」


 グリムナは未だに確信が持てないでいる。そもそもよく考えたら彼女の立ち姿を始めてみた気がする。「こいつ……動くぞ……」といった感じである。今まで彼女に会ったときはいつも寝椅子に座っているかベッドに座っているかだった。彼女は体が弱く、肌も弱いため日に当たることができず、いつも薄暗い部屋の中でだるそうにしていたのだから。

 そう言えば弱視とも聞いていたはずであった。


「いや~、人違い、では……?」


「もしベアリス様なら……どうです? もうじき昼ですし、食事でもしながら話をしませんか? おごりますよ」


「ベアリスです!」


 すばらしくはっきりした答えであった。


 グリムナは持っていたハンカチでベアリスの体や顔についていた泥を落としてやると昼飯も食べることができる労働者向けの食堂に連れて行った。ふき取ったとはいえさすがに泥だらけで裸足の小汚いガキを普通の食堂に連れて行くのは気が引けたからである。


 こういった安い食堂は夜の大衆酒場としての顔が本来の姿であり、労働者は普通昼は食べないか、弁当を持っていくので、客が少なく、客層に反してあまり騒がしくはないのが救いだ。

 もし彼女が本当にベアリスなら正直こんな店に王族である彼女を連れて行くのはどうかとも思ったが、ベアリス自身は目を輝かせて「こんなちゃんとした店に入るのは初めてです」などと喜んでいたので、まあいいだろう、と店に入った。本当に彼女に何があったのだろうか。


 とりあえず4人は店内に入って4人掛けのテーブルに着席した。正直言って椅子もテーブルも清掃が行き届いていなくて汚い。ヒッテですら少し嫌そうな顔をして、ごみを払ってから着席したがベアリスは気にも留めずに座って、すぐにメニューを開いて「うわー」とか「えー」とか言っている。当然ここのメニューには挿絵など乗っておらず文字しか書いていないので驚く点など値段くらいしかない。しかし普通に考えれば安すぎて驚いていると思われるのだが、今の彼女には油断ならない何かがある。


「チキンソテーの定食でいいかな、みんな?」

「それでいいです」

「うん」

「えあ!?」


 グリムナの言葉にヒッテとフィーが肯定したが、ベアリスだけが変な声を上げた。


「え? もしかしてチキンとかダメでした? ヴィーガンです?」


 この汚れっぷりを見てよくもヴィーガンなどというお上品な単語が出て来るなとも思うが、以前のベアリスは線が細く、「花の蜜だけ吸って生きてます」と言われれば納得させられてしまいそうな、そんな雰囲気を孕んでいた。しかし今の彼女は、なんというか、そう、肉体労働者にしか見えない。


「ち、チキンソテー定食って、なんと800Gもしますよ? ホントにいいんですか? 王侯貴族かなんかですか」


 王侯貴族はお前だろうが。全員がその言葉を飲み込みながらも、かといってどう答えたらいいのかが分からず、その言葉をスルーするしかなかった。


 定食が運ばれてくるとベアリスはキラキラとした瞳で今にもよだれを垂らしそうになりながらそれを眺めていた。


「ちゃんとした肉なんて、一週間ぶりくらいだ……」


 ちゃんとしてない肉とはなんなのだろうか? と一瞬グリムナが考え込む。爬虫類、魚……それとも虫……? これ以上考えても仕方ないし、ベアリスの食生活をあれこれと詮索しても詮無いこと。それよりも問題なのはなぜ彼女がこんなところにいて、そんな食生活をしているか、である。


「ベアリス様、どうぞ食べてください」


 グリムナが食事を促すとベアリスは恐る恐る聞いてきた。


「ホントに、こんないい物おごってもらっていいんですか? 後から体で払え、とか言いませんよね?」


 思わずグリムナは渋い顔になってしまう。なぜそんな発想が出て来るのか、しかしここでいちいち止まっていては話が進まない。そんなことはしない、とグリムナがさらに食事を促し、ようやくベアリスは食事を食べ始めた。それに合わせてヒッテとフィーも食べ始める。さすがにこの二人も王族よりも先に食べ始めるのはどうかと思っていたのだ。


「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」


 言うなりベアリスはすごい勢いで食べ始めた。まるで何日もろくな食事をとっていなかったような、いや、実際とっていなかったのかもしれない。ベアリスが食べ始めるのを合図にしたように他の三人も食事を始める。しかしあろうことか王族のベアリスが一番がっついているような状態である。


「ベアリス様、本当に大丈夫ですか? ちゃんとご飯食べてます?」


 グリムナが問いかけると、ベアリスは一息ついてカップの水を一口飲んで答えた。


「いやあ、こんなちゃんとした食事は久しぶりですよ。王都を追放されて……あ、いや、王都を出て以来です」


 追放……?


 なんだろうか、追放された者同士というのは引き寄せ合うのだろうか、不穏な単語にグリムナが首を傾げる。


「あ、そう言えばスコップ店の外に置いてきちゃいましたけど、大丈夫ですかね? 盗られたりしませんかね?」


 ベアリスが店の外の方を気にしながらそう言うが、だれもが「あんな汚ねぇスコップ盗らねえよ」という感情がありありと読み取れる表情をする。尤も、ベアリスだけがその表情に気づかないが。


「ゆっくりでいいですから、少し落ち着いたら教えてもらえませんか? なぜ王都を追放されたのかを……」


「んぐっ……」


 ベアリスは思わず息を飲み込んでしまう。

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