第375話 手柄

「大手柄だな、レイティ」


 ウルクは腕を組んだまま、およそ感情の感じ取れない表情で彼女を見下ろしながらそう言った。


「なんスか、その言い方。もっと褒めてくれてもバチは当たんないスよ? 自分の仕事が上手くいって無いからってそんな態度はないスよ」


 見下すような言い方をされてレイティは若干不満げな表情である。


 そう。ウルクの仕事自体は実は上手くいっていないのだ。ウルクはレイティに対し、いつの間にやら復活したグリムナとラーラマリアの監視を言いつけ、自分は竜の事について調べていたのだが、しかしあまり成果は上がっていなかった。


 それどころかグリムナ達を追っていたレイティからの情報……さらに言うならレイティと繋がっていたメルエルテからの情報により、砂漠にあるコルヴス・コラックスの遺跡を発見することができ、さらにグリムナ達がコルヴス・コラックスの居場所を掴んだことまでが分かったのだ。


 その上でラーラマリアをヴァロークに引き込み、エメラルドソードをも手中に収めた。もはや大金星などという言葉すらもかすむほどの大手柄である。

「これで、現在確認されている二つの『竜の魔石』が両方とも我らの手に落ちたことになる」


「え……?」


 その言葉にレイティは驚愕した。


 そう。ウルクとてただ何もせずにぼーっとしていたわけではないのだ。ブロッズを使ってベルドから情報を得ることには失敗したが、しかし同時に別方向で動いていたのだ。


 彼の取っていた作戦、それはベルアメール教会の大司教メザンザの懐柔である。


 竜の魔石


 緑色に怪しく輝くエメラルドのような宝石。現在存在の確認されている竜の魔石は二つ。一つはラーラマリアの持つ聖剣エメラルドソードの柄の中央にはめられている。その剣は刃がかすめるだけで人間の魂を吸い取り、その切れ味は剣の範疇を遥かに超えた『魔剣』ともいえる力を持つ。


 もう一つは元々はマフィアのノウラ・ガラテアが所持していた。人の嘘を見抜き、そしてその輝きで『魂を吸い取る』ことができるという魔石。それは聖騎士ブロッズ・ベプトによって奪われ、最終的にはメザンザがさらに奪い、彼の体内に取り込まれた。


 魔石の力を得たメザンザは竜巻の如き力を発揮し、ローゼンロットの町にがれきの山を築いた。


 そしてローゼンロットの町に二つの魔石が揃うことによって共鳴が起き、街が破壊されたことによる人々の恐怖と絶望によって竜が呼び覚まされたと目されている。


 さらに、ラーラマリアの身柄がヴァロークに引き取られたことによって新たに分かったこともある。


 おそらくは5年前、ウルクが使い方を教えたラーラマリアの持つ魔道具『水底の方舟』によってラーラマリアがエメラルドソードごと異次元世界に滑り込んでしまったことにより、『竜の魔石』の共鳴が収まり、竜もまた消えてしまったのだろうということまでは分かったのだ。


「あの時よりも世界の情勢はより一層悪化している。それこそ竜の魔石に頼らずとも竜の復活は間近だろう。その時魔石が二つとも我らの手にあれば、もはや人には抗うすべはない」


 少し不機嫌そうだったウルクの顔に不気味な笑みが宿った。もはやヴァロークでの己の立ち位置など些末なことに過ぎない。世界が滅びればそんなものは無意味だからだ。


「で、でも、ベルアメール教会と言えば聖剣とラーラマリアを使って竜を倒そうとしてた連中なんじゃないんスか? そのトップの大司教がよくウチらに協力なんかとりつけられたスね……」


「フ……教会は、確かにそうだな。だがメザンザは違う。奴はこの世界を激しく恨んでいる。それこそ滅ぼしたいほどにな」


 にやりと笑った後、ウルクは冷静な表情になり、レイティに尋ねる。


「ところで、ラーラマリアの様子はどうだ? おとなしくしてるか?」


「とりあえずはこちらの用意した屋敷で静かにしてるッスよ。ボスフィンにはグリムナ達がいなくなっても奴らの知り合いらしいガラテアファミリーがいるスからね。ヘタに連絡取られたらまずいス。

 ただ、あの女が本気で暴れたら押さえつけとく方法なんてないスけどね。首輪をせずにオオカミを飼うようなもんスよ」


 レイティの言葉を聞いてウルクは「ふん……」と頷いた。彼らは現在前線基地としてボスフィンの町に滞在している。


 ウルクがここまでラーラマリアの同行に気を払うのはそもそもラーラマリアがどういう心変わりがあって彼らのもとに下ったのかが分からないからだ。


 メルエルテからの報告ではラーラマリアは現状に満足しきっていて、以前のような精神の不安定さ、どす黒い情欲の炎は感じられなかった。それが何故突然グリムナ達から離反して、急にまた世界を滅ぼすことに協力すると言い出したのか、それが分からないのだ。


「あの女が何を考えてるかは分からないスけど、グリムナの記憶が戻って、もうヒッテとグリムナの間に入るのは、グリムナと結ばれるのは不可能だと諦めたからじゃないスか?」


「手に入らないならばいっそ世界を滅ぼそうと……?」


 ウルクはそう問いかけるが、レイティは黙り込んでしまう。


 元々あの、人知を超えて嵐の如く荒れ狂うラーラマリアの思考を読むことなど不可能なのだ。だが、ラーラマリアは5年前、さんざん『手に入らないのならグリムナを殺す』と公言しておきながら、結局それを実行することはなかった。


 彼らはその細かい経緯まではしらないものの、いずれにしろ彼女の心を測ることなど常人には不可能なのだ。


「安全策をとるのならば、やはりグリムナは殺しておくべきだな……」


「殺すんスか……」


 計り知れない人間。


 それはレイティにとってラーラマリアがそうであるように、同時にグリムナもなのだ。


 トゥーレトンでの行動もその一つだ。二頭のオーガを連れた百人からなる傭兵団を相手にして、一歩も引かずにたった一人で戦っていた。戦いの傷も癒えぬうちに村人を治療していた。


 その一度だけではない。直接見てはいないが、エルルの村でも相当な無茶をして、何の対価も求めずに村人たちを助け、国境なき騎士団を追い払ったという。


 あれだけの回復魔法の使い手ならば、都市部で医者として生きていけば何の不自由もなく富と名誉が手に入るにもかかわらず、世界を助けるために旅をしているという。


 彼は、富と名誉を手に入れるどころか、故郷のトゥーレトンの村を罵られたうえで追い出され、そして、今も続いているかどうかは分からないが、大陸中のホモにケツの穴をねらわれている。


 これほどまでに辛い思いをして、なおまだ人々のために戦おうなどと、なぜ思えるのか。


「グリムナ……本当に殺していい人間なんスかね……」


 ぼそりと呟いたレイティにウルクはギロリと睨みつけた。先ほどまでの無表情ではない。今度は明らかに怒気をはらんでいる瞳だ。


「黙れ、この世に、生きていていい人間など居ない」

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