第72話 おしり叩き虫

「わしの尻を叩いてくれんか……」


 バッソーの意味の分からない懇願にグリムナは頭を抱え込んだ。しかし、汚いケツを出したバッソーからはそれ以上の説明はない。


 仮に、だ。


 仮にバッソーがそういう特殊性癖の持ち主だったとして、だ。


 だからと言ってなぜ今?


 もう助からないから最後に性的欲求を満足させたいということだろうか。そんなのは一人でやってくれ。俺を巻き込むな、というのがグリムナの正直な本音である。もしや、今のバッソーはゲンの言う通りボケてしまっているのだろうか。


 確か、バッソーの魔力が弱くなっていて、かつての賢者としての魔法を使うには厳しい条件があり、それを満たせないのだ、とかいうような話だったはず。そこまではいい。それはいいのだ。そこからなぜケツを出すのか。そしてそれを叩かせるのか。

 グリムナは眉間にしわを寄せながらも重い口を開いた。


「あのですねぇ……なぜ今そんなことを? 今の状況分かってます? ここから脱出する手が必要なんですが」


「だからこそじゃ! いいか、ここで逃げられなければ一巻の終わり。だからこそ儂の魔力の秘密をお主に話すぞ!」


 若干語気を強めてバッソーが話し出す。ちなみに、この間もバッソーはケツを出して四つん這いのままである。グリムナの方を向いてすらいない。どうにかならんのかこのじじい。グリムナは、ゴルコークの言っていた『お前の思っているような奴じゃない』という発言の真意がだんだん分かってきた。


「魔力は強い精神の集中によってはじめて顕現するものだ」


 グリムナは剣に体を貫かれながらでも使えるが。


「高い集中力を必要とするのだ。儂はさらに強力な魔法を使うためにトランス状態にまで精神を高めて賢者としての力を使う。儂は静かに集中した状態とトランス状態、この相反する二つの精神状態を両立するモードを『賢者モード』と呼んでおる」


 グリムナは何となく嫌な予感がしてきた。


「この賢者モードに達するための最適なルーチンが何か、分かるか?」


 分かるが、分かりたくない。


 分かってしまうが、分かるわけにはいかないのだ。


「一発ヌいて賢者モードに入るんじゃ!!」


 やっぱりか。


「え……じゃあ、バッソー殿が魔力が弱く……賢者としての力が使えなくなったのって、もしかして……」


 グリムナは彼の行動に一つの道筋、というか仮説が成り立つことに気づいた。できることならばその仮説が間違っていてほしい、とは思うのだが。しかしバッソーは少し気恥ずかしそうに頬を染めながら答えた。


「まあその……60過ぎるとな……さすがに勃ちが悪くなってきての……」


 かつてないほどグリムナの眉間に皺が寄る。


「で、何か新しい刺激があればマイリトルバッソーも元気になってくれるかもしれん。幸い、儂は男も女も、おはDもロリも全部いけるクチじゃからな。『千の性癖を極めし者』とは儂の事よ」


「え……?『千の魔道を極めし者』だったんじゃ……」


「そんなもんは知らん。それより早くケツを叩いてみてくれんか」


 そう言いながらバッソーはフリフリと尻を振る。これが年頃の女の子であれば非常に扇情的なアクションなのであるが、目の前にいるのはしょぼくれたじじいである。しかし、あらためて見ても汚いケツだ。その汚いケツを振りながら期待に胸を膨らませて頬を染めるバッソーを見ていると、グリムナはふつふつと怒りがわいてきた。


 なぜ俺ばかりいつもこんな目に合うのか。理不尽さを彼は感じていた。これで『グリムナのケツを狙ってる奴リスト』に新たに一名の名が追加された。彼の元にはいつもホモ(バイ)や腐女子ばかり集まってくる。渡る世間はホモばかり。この世はでっかい宝島。そうさ今こそハッテン場。


 ああ、叩いてやろう、叩いてやろうじゃないか。それがお望みなら力の限りに。彼は怒りに打ち震え、右手を大きく振りかぶった。


 バァチィィン!!


 洞窟の中に凄まじい音が鳴り響くとともに尻を突き出していたバッソーは弓なりに腰を逸らせて吹っ飛んだ。


「あかっ……あぁ……」


 しまった、グリムナはそう思い慌ててバッソーの元に駆け寄った。怒りに我を忘れて思わず全力でやってしまった。


「大丈夫ですか!? バッソー殿!!」


「常識ないのか貴様ァ!!」


 脂汗を流しながらバッソーがそう怒鳴った。初対面の男に尻を出して『叩け』とほざくじじいに『常識がない』と罵られた。理不尽にもほどがある。


「おまっ……本当ッ……もう少しこう何というか、手心というか……」


「痛くなければ覚えませぬ」


 そう、これは教育なのだ。ヴァロークにさんざん言われてもヒッテに折檻はできなかったが、じじいにはできた。成長する主人公。週ジャンでのコミカライズもそう遠くはないだろう。


「なんだ?」


 そうこうしていると何か物音が聞こえたことにグリムナが気付き、すぐにうずくまって、けがで動けない演技をする。聞こえたのは足音であり、しばらくすると、女首領のイェヴァンの姿が見えた。


 「ん?」とイェヴァンは首を傾げる。無理もない。グリムナは予想通りけがでうずくまっているのだが、なぜかバッソーがケツを出して半泣きである。意味の分からぬ光景だ。


「まあいいや。まだ生きてるかい? グリムナ坊や。そろそろ痛み止めを打ってやろうか?」


 『痛み止めを打つ』とは、騎士団の隠語で、『ぶち殺す』という意味である。


 そう言ってからイェヴァンは左手に持っていた『何か』をぶん、とグリムナ達のいる牢の方に投げつけた。


「ゲン……!? なぜ!!」


 投げられたもの、それは騎士団の構成員、ゲンの生首であった。


「フン、やっぱり名前を知ってたね。裏切者はそいつで合ってたようね!」


「ゲン……すまない、俺のせいで……」


 グリムナは状況を何となくだが察した。経緯までは分からないが、自分をここに案内して騎士団の情報を漏らしたのがゲンだとバレたのだろう。グリムナは嗚咽とともに涙を流した。少し倫理観に問題のある人物ではあったが、自分たちに協力してくれて、その協力が原因で殺されたに違いないのだ。これは果たして予測不可能な事態であったのだろうか。いや、できたはずだ。自分自身の認識の甘さが招いた悲劇に違いないのだ。彼の認識の甘さこそが、自身の腹を貫かれたことの原因でもあり、また、ゲンの死を招いた直接の原因なのだ。自らが手を下してなくとも、彼を死に導いたのは間違いなくグリムナであったのだ。

 黒く、重い煙が腹の中でもやもやと渦巻くような感覚であった。後悔の念で意識が深淵の奥底に引きずられそうになる。しかし戦い続ければこの黒い煙は大きくなり続けるだろう。いずれこの煙はグリムナの全てをを飲み込んでしまうのかもしれない。その時彼は、それでも前に進み続けられるのだろうか。


「ゲンも幸せ者ねぇ。こんな裏切り者の為に泣いてくれる奴がいるなんて」


 にやにやと笑いながらそう言うイェヴァンをグリムナは睨みつけた。


「そんなに睨むなよ、おーこわ」


 そう言って、入り口近くの地面に魔剣をドスッと突き刺して、イェヴァンは牢に近づいてくる。


「これであんたが考えなしに突っ込んできたただのバカじゃないってのは良く分かったわ。と、なると、バッソーの居場所を突き止めて、お次は別の仲間が襲撃して陽動作戦を展開してるうちに脱走、ってとこかね?」


 なるべく表情を変えないように努めるものの、グリムナの表情が苦悶に歪む。それは当然すでに手当の済んでいる傷のためではなく、自らの作戦を見事言い当てられてしまったからに他ならない。ただのキチガイ集団だと思っていた騎士団がここまで頭が回るとは思っていなかったのだ。


「とはいえ、それもそんな大怪我してなければ、の話だっただろうけどねぇ」


 イェヴァンの言葉にグリムナは少し安堵した。さすがに自身が回復術士で、先ほどの怪我がもう治っていることまではまだ勘づかれていないようである。


「外と連絡を取る方法はない。なら、襲撃は夜か、明け方にあらかじめ決めてあるだろうね」


 非常にまずい事態である。計画を練ってここに来たことも、そして仲間が後から陽動作戦を行って脱走する気であったことも、さらにその時間すらも相手に知られてしまった。もしや彼女はこのことを伝えてグリムナの反応を見るためにここに来たのだろうか。


イェヴァンはさらに牢に歩み寄りながら羽織っていたマントをバサッと脱ぎ捨てた。


「ま、お仲間が来ちゃう前にヤることヤっとこうかな、と思ってね……」

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