第71話 賢者バッソー

 ゴボリ、とグリムナは血泡を吐いてその場に崩れ落ちた。日に二度も腹を貫かれるとは。厄日という奴である。


「自分と意見の異なるもの、それは即ち悪。……なぜなら、騎士とは正義だからだ」


 そう言ってイェヴァンは剣についた血をハンカチで拭った。


 グリムナは何故?と、思いながらも急いで魔法で内蔵の傷を修復する。皮膚と筋肉はそのままである。致命傷を負っていないことを悟られないためだ。それにしても、意見が違うというだけで何の話し合いもなく殺すというのか。話など聞く価値もないと。グリムナはその意思を込め、苦悶の表情を浮かべながらもイェヴァンに抗議の視線を送る。


「我が歩む道、全て此れ正義也。お前の意見など聞く価値もない。……それにね、あんた、アタシの事女だからってナメただろう? アタシは舐められるのが一番嫌いなのさ!!」


 怒号に近い声でイェヴァンはそう言い放った。彼女は「アタシもナメられたもんね……」などと劇画めいたセリフは口にしない。「ナメられた」と感じたら即殺す。舐・即・斬

 ナメたのが味方だったら少し考えてから殺す。この戦乱の世をそうやって生き抜いてきたのだ。


「交渉材料の自分を殺すわけがない、ってナメてやがったね。傭兵家業はナメられたらおしまい、おまんまの食い上げなのさ!」


 グリムナは演技であるが、その場で倒れたまま呻いている。これが演技とばれれば、それももちろん『ナメている』行為だ。今度は確実に首をはねられるであろう。プラナリアではないのだから首を飛ばされればさすがにグリムナも生きてはいられない。


「とはいえ、捕縛するのもあんたの言うとおりフェアじゃない。ってわけで、殺させてもらったよ」


 そう言ってイェヴァンはケラケラと笑った。流石にあいつらの首領だけあってネジのぶっ飛んだ女である。


「野郎共、こいつはそのまま牢にぶちこんどきな! この傷じゃもう助からないだろう」


「へぇ、バッソーと同じ牢でいいでやすか?」


 グリムナは団員に担がれて運ばれていった。しかし彼は内心ほくそ笑んでいる。やはりイェヴァンも単身乗り込んできた豪胆な男がまさか回復術士だとは思わなかったのだ。


 グリムナが運ばれていったのを確認してイェヴァンはさらに口を開いた。


「全員をここに集めろ! ……裏切り者がいる……」


 この言葉にゲンの顔が青ざめた。なぜ気づいたのか……


「あいつは村人が『無関係』だと知っていた。バッソーと村人を別枠で考えていた。自分もターゲットの一人だとも知っていた……いくら何でも知りすぎている……誰かあいつにべらべらしゃべった奴がいるはずだ……」




「また一人誰か捕まったのか……」


 グリムナが牢に放り込まれると先客……60過ぎのローブを着た老人がそう、ボソリと呟いた。


 老人はグリムナの方に寄ってきて状態を確認する。


「腹から背中にかけて串刺しか……これは助からんな。ひどいことをする」


「賢者バッソー様ですね……?」


「いかにも……だがもう古い名じゃ……儂にはもう、賢者としての力を行使するほどの魔力はない……」


 バッソーがそう答えている間にグリムナは首だけを回して周辺を確認する。自分を運んできた男は何やら急いで外にかけて行って、牢番もいない。しばらくは死にかけの演技をする必要もなさそうである。


 グリムナが連れてこられた牢は建物がいくつか立っている場所の少し奥、崖をくりぬいたのか、もともと洞穴があったのか、それは分からないがその洞穴の一番奥に鉄格子がはめられており、その中に閉じ込められていた。さすがに鉄格子は簡単に設えられるものではないので、もともと村で罪を犯した者やクマなどの猛獣を捕えておくための牢なのかもしれない。

 牢の中にはバッソーとグリムナの二人だけであり、他の村人の姿は見えない。


 グリムナは自分のシャツの裾を破いて包帯状にし、十分に腹の血をしみこませてから胴体に巻き、その後で改めて回復魔法で治療を行った。傷の手当と重症の偽装、そのどちらも今のグリムナには必要な事である。


「牢番はいつもいないんですか? ちょうど昼飯時なんで今いないだけですか?」


 グリムナがバッソーに問いかけると、彼は少し驚いた顔を見せてから口を開いた。


「驚いた……おぬし、もしかして回復術士なのか? 回復術士なんて都会に行けばいくらでも金を稼げるだろうに……なんでこんな危険な片田舎に……」


「詳しい話は省きますが、あなたと村人たちを助けに来ました。他の捕まっている人たちはどこに?」


 グリムナがそう聞くとバッソーは目を伏せ、悲しそうな表情になって答えた。村から連れてこられた女子供は足かせをつけられて、外のテントに全員連れていかれたという。おそらくは騎士団の慰み者になっているのだろう、と。どうやら騎士団の連中は外見が良ければ男だろうが女だろうが関係ないようである。グリムナは、女首領、ということもあり、もしかしたらそういった蛮行は控えているのではないか、とほんの少し思っていたのだが、どうやらそんなのは関係ないようだ。


 さらにグリムナはバッソーが誘拐された理由に心当たりがないかを尋ねた。しかしバッソーは眉間にしわを寄せ、首を横に振る。


「最近は魔術の研究の成果もあがっとらんし、おとなしく遺跡の調査をしておっただけなんじゃがな……一体何が狙いやら」


 力なくそう答えるバッソーの姿は彼の実年齢、60代前半よりは10年ほど老けて見えた。しかしグリムナはその言葉にハッとした。『遺跡の調査』、グリムナが尋ねたいのはまさにそこだったのだ。しかし今はそんなこみ入った話をすべきではない。そこまで空気の読めない男ではない。


「しかし、逃げることなぞ無理じゃぞ。表には100人からなる騎士団がおるし、あの『魔剣のイェヴァン』もおる」


 『魔剣』? と、グリムナが首を傾げる。先ほどグリムナの腹を貫いた赤黒い剣、あれが魔剣なのだろうか。そういえば思い出したが、途中で持ち替えていた鞭、あれも赤黒い色をしていた。素材は分からないがいずれも禍々しい外見の武器であった。


「いかにも、それが『魔剣』じゃ。奴の持つ『魔剣サガリス』……持ち主の意思に応じて自由にその形状と重量を変える魔道具の一種じゃな。魔剣の力だけじゃなく、奴の実力も超一流じゃ。見たじゃろうあの体……」


 確かにイェヴァンは鍛え抜かれた逞しい体をしていた。しかもグリムナの腹を貫いた際、虚を突かれたとはいえその挙動は速すぎて全く捉えることができなかったのだ。グリムナは彼の言葉に俯いてしまう。


「あの体……本当に……たまらん……」


「ん?」


「いや、なんでもない」


 グリムナは聞き逃したわけではないのだ。意味をはかりかねての疑問なのだ。確かにバッソーは「あの体がたまらん」と言っていた。『たまらん』とはもしや、性的訴求力が高いという意味だろうか。30過ぎの……いや、もちろんバッソーから見れば十分に若いのだが、女としての旬は過ぎていると言わざるを得ない。そしてあのマッチョボディである。彼はラーラマリアを知っている。もちろん彼女の裸体は見たことはないが、服から覗く腕と肩から、彼女が大変に筋肉質なのは知っている。均整の取れた彼女の体形はグリムナは美しい、と思ってはいるのだが、イェヴァンの体はその範疇を大きく超えている。

 丸太のような腕と足、くっきり割れたシックスパックの腹筋、魅力的な巨乳ではあるものの、その下に敷かれた分厚い鉄板のような大胸筋、そして見事な逆三角形を形成している広背筋……正直言ってやりすぎな体である。……それがたまらん、と?


 いや、そうではない。そういうことではないのだ。話が逸れてしまった。


 この非常時に何を言っているのだこのじじいは、ということである。


 もっと言おう。


 正気かこのじじい。


「魔封じの腕輪を……つけられてないんですね」


 気を取り直してグリムナがバッソーの手元を見ながらそう言った。この言葉だけでバッソーはグリムナが何を言いたいのかを理解した。しかしバッソーは首を横に振る。お前が思っているようなことはできないと、そう意思表示したのだ。


「儂の魔法で脱出を、と考えておるなら無駄じゃ。儂に魔封じの腕輪がついていないのは『その必要すらない』と判断されたからじゃ。実際儂の魔力なんてカエルのしょんべんみたいなショボいもんじゃ。儂は、厳しい条件下でしか賢者としての強力な魔法は使えん。それも年とともに衰え、見ての有様、というわけじゃ」


 しかしグリムナは納得できない、という顔でまだバッソーに引き下がってくる。


「厳しい条件……なんなんですか、それは。私に手伝えることがあるなら行ってください。なんでも協力します。そしてここを脱出して、村人も助け出して無事に村に帰りましょう!」


 グリムナがそう言うと、一転バッソーは厳しい目つきになった。


「なんでも協力する……? その言葉に嘘はないな……」


 そう言ってグリムナの全身を上から下まで嘗め回すようにつぶさに観察し始めた。


「ふむ……これならばいいじゃろう……」


 バッソーはそう呟くとグリムナの反対を向き、四つん這いになって彼に尻を向けた。


「……?」


 グリムナが戸惑っているとその姿勢のままローブをめくりあげ、下着をずらして尻を彼に見せた。


 汚ねーケツである。


 尻に何の意味が。まさか尻から魔法が出るとでもいうのだろうか。グリムナがじじいのしぼんだ小汚いケツを前に戸惑っているとバッソーが口を開いた。


「ちょっと……わしの尻を叩いてみてくれんか」

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