第70話 騎士団長イェヴァン

「ふうぅ……」


 ため息ではない。山の中、グリムナは気分を落ち着けるために深い深呼吸をしたのだ。村人二人は村に帰るように言った。ゲンは一緒に帰ったら怪しまれるので先に本拠地に戻らせた。ヒッテとフィーは待機である。作戦の成功、失敗如何に関わらず、明け方になれば陽動作戦を開始する手筈となっている。ヒッテは頭は回るが戦力にはならない。あの腐った脳みその駄エルフだけが頼みである。


 グリムナはところどころに人の痕跡を見つけながらも進み続ける。ゲンに聞いた道を進んでいるのだが、踏み固められた腐葉土や、ところどころにゴミが落ちている。大分本拠地に近づいてきている証であろう。

 彼の話が確かなら、昔エルルの村がもっと大きかったころに狩りの時に中継地点として使うための建物がこの先にいくつかあって、そこにテントなどを張って拡張して、今回の作戦の本拠地としているはずである。


 グリムナはまた大きく深呼吸をした。今度の敵は強大だ。今まで戦った相手とは違う。最も違う物、それは『数』である。生物としての強さならトロールのリヴフェイダーに勝るものに会ったことはない。戦闘技術だけで言うなら暗黒騎士ベルドは二対一でも恐ろしい強さだった。しかし今回の敵は国境なき騎士団、総勢百名を超える敵である。しかも人の命を花を摘むように刈り取る危険な連中なのだ。


 正直言って勝利のビジョンが全く浮かばない。正面切って戦える相手ではない。結局ゲンからも詳しい本陣の内容については聞くこともできなかった。


 その上で敵の真の目的が謎なのである。最悪、のこのこ出て行ったら首を刎ねられて終わり、という事態も十分に考えられるのだ。


 仮にもしそうでなかったとしても、その百人がグリムナのけつの穴を狙っている可能性だってあるのだ。


 国境なき騎士団、ゴルコーク、レニオ、暗黒騎士ベルド、未だ名も知らぬ世界中の冒険者達……多くの男たちの顔と名がグリムナの脳裏に浮かんでは消えていく。


「俺のケツを狙ってる奴……多すぎひん……?」


 思わぬモテ期の到来にグリムナの睾丸も縮み上がる思いである。とんだハーレムもあったもんだ。こんなことの為に冒険に出たのではないはずだったのに、なぜこんなことになってしまったのか。思えばネクロゴブリコンとの出会いが全ての始まりだった気もする、が、全ては自分で選んだ道なのだ。


「見えて来たな……」


 本陣の入り口、柵や生垣、堀のようなものもないので明確に入り口となるものはないのだが、そう言えるようなところに二人の男が立っていた。男達はグリムナの姿に気づいて腰の剣を抜く。驚いたことにそのうちの一人はゲンであったが。


「何もんだ、てめえ。殺すか……」


 なんと血気盛んな歩哨か。会話が全く成立する気がしない。もう一人がゲンでなかったら危なかったかもしれない。「殺すぞ!」じゃなくて「殺すか」である。


「まあ待て、武装もしてねえみたいだし、話くらい聞いてやれ」


 ありがたいことにゲンが助け舟を出してくれた。


「村の方から来た者だ。名をグリムナという。悪いが騎士団長と話がしたい。取り次いでくれないか?」


「グリムナ? ……どっかで聞いたことがあるな……」


 そう言いながら歩哨は剣を振り上げた。それをゲンが慌てて止める。


「ちょっと、お前今殺そうとしただろ……どっかで聞いたことがあるのに何で殺そうとするの……!」

「え……? 俺今そんなことしようとしてた? 完全に無意識だったわ」


 こいつぁヤバい。全く会話が成立しない。全然人間と話している感じがしないのだ。「花を摘むように人を殺す」どころではない。「ケツが痒いから掻く」レベルの無意識行動で人を殺そうとしてくる。グリムナの目には、あのゲンが常識人に見えてきたほどだ。


「と、……とりあえずあんたらのオカシラのところに案内してくれないか……? 話はそれからだろう。死んだら話もできん……」


 すっかり委縮してしまったグリムナだったがなんとか内臓から声を絞り出した。今の一連のガイジムーブがグリムナの機先を制するために狙ってやったものだとしたら大したタマである。


 「面倒だから殺そうぜ」とか言いながら不満をこぼす歩哨をなんとか説き伏せてグリムナは本拠地に案内してもらった。広場のようになっていた本拠地は数軒の元々あったと思われる建物の他に所狭しとテントが張られていた。見ると、切ってまだ間もないと思われる切り株がいくつもあり、無理やり拡張して本拠地にしたのだろうな、という形跡が見て取れた。

 彼らがどのくらい前からここに滞在しているのかは分からないが、これだけの人数で昨日の襲撃までは気づかれずに行動していたのだから騎士団長のイェヴァンというのは随分統率力のある男のようだ。


 グリムナが二人に案内されて本拠地の中心辺りまで来ると、歩哨の一人は走ってどこかに行ってしまった。グリムナ達は敵の本拠地のど真ん中で注目を浴びていたが、ゲンは他の者に聞かれないようにグリムナに小声で話しかけてきた。


「オカシラを呼びに行ったな……俺にできるのはここまでだぜ。あとは自分で何とかするんだな」


 そう言うと、剣を抜身にしたまま少し離れたところに立った。奥の方から先ほどの歩哨が誰かと話している声が聞こえる。


「へえ、グリムナって野郎がオカシラと話がしたいって……どうします? 殺しますか?」


 なぜいの一番に殺す選択肢ばかり出すのかあの男は。


「殺すのはいつでもできるだろう……とりあえず会うよ!」


 そう言いながらイェヴァンと思しき人物が姿を現す。ダルそうな表情でゆっくりと歩いてくるのは、180センチ台後半の長身に筋肉質な体、右手には禍々しい赤黒い巨大な剣を手にしている。そして半裸のその体にはおびただしい数の戦傷が刻まれている……女だった。


「と、言うわけで晴れてお許しが出たから、殺すとするか!」


 さっきの歩哨がそう言いながら剣を振りかぶりながら笑顔で走り寄ってくるが、何か話の流れがおかしい。オカシラは『殺すな』という文脈を語っていたように聞こえたのだが、この男の耳は脳につながっていないのだろうか。とっさにグリムナは身構えるが……


「およし!」


 後ろにいたイェヴァンが腕を振るった。確かに彼女は先ほど剣を持っていたと思ったのだが、いつの間にか鞭に持ち替えていたようで歩哨に足にビシッと絡みついて、転倒させた。


「あんた相手にはっきり言わなかったアタシも悪いけど、『殺すのはいつでもできる』って言ったら『だから殺さない』って続くにきまってるだろうが!」


 どうやらやっぱりあの歩哨はかなり頭の弱い奴だったようだ。ふう、とグリムナが額の汗をぬぐう。そのまま立ち尽くしているとイェヴァンが悠々と歩み寄ってきた。下半身は毛皮のようなスカートか、いや、腰巻というのだろうか、そういうものを身に着けているが上半身はビキニアーマーというやつである。年の頃は30過ぎくらいであろうか、胸さえなければ男と見紛うような立派な筋肉をしている。そういえばゲンからは『男気がある』とは聞いていたものの『男だ』とは言われていなかった。すっかり意表を突かれてグリムナはあっけにとられていた。


「あんたが噂のグリムナかい……ふふ、なかなかかわいい顔してんじゃないの」


 そう言いながらグリムナの顎を人差し指でくい、と上げる。グリムナよりは頭半分くらい身長が高いので自然と見上げるような視線になってしまう。


「飛んで火にいる夏の虫とはこのことだね……で、何の用なんだい?」


 イェヴァンがそう尋ねてくる。グリムナに対し全く警戒しているような様子は見えない。マチェーテもフィーに預けてあり、武装もしていないことも影響しているのだろうか。それとも仮にこの間合いで襲われても対処できるという自信からだろうか。

 グリムナはその人差し指を刺激しないようにゆっくりと自分の手で横に逸らしてから話し始めた。


「噂で聞いたが、俺を探してるんだってな……交渉が望みだ。俺の身柄を渡す代わりに、さらって行った無関係な村の人たちを返してやってほしい」


 イェヴァンは表情を変えず余裕の笑みを浮かべたままグリムナに返す。


「あんたと村人はそれこそ無関係だろう? そんなことして何かあんたと、アタシの得になんのかい?」


 イェヴァンの言うことも尤もである。グリムナはここに来るまでにゆっくりと考えていた理由を話す。


「あんた達は俺を探してたんだろう? それを探さなくて済んだだけでも大分労力を使わなくて済んだはずだ……この大陸のどこかから一人の人間を探し出すことなんて不可能に近いからな……それと、村人だけじゃなく、できればバッソー殿の身柄も開放してほしい」


 この言葉を聞いてイェヴァンの顔からは笑みが消え、真剣な表情になった。


「ふぅん……なるほどね。だが、あんたは交渉がまとまる前にこうして自分からアタシ達の目の前に出てきちまったわけだ。問答無用でアタシらがあんたを捕縛するとは考えなかったのかい?」


「それは……賭けになるが、あんた達が、『騎士』を名乗り騎士道を重んじる者なら、きっとそんなことはしない、と。そこを信じるしかなかったとしか言いようがないな……」


 グリムナは額に汗をにじませる。正直言ってこの賭けはかなり分が悪いと自分でもわかっているのだ。国境なき騎士団は騎士と名乗ってはいるものの、叙勲を受けたものなど一人もいない。その上ここまでに十分に見せつけられた狂犬ぶりである。彼らに『義』を期待することは、それこそ正気の沙汰とは言い難い。


「…………フッ」


 イェヴァンが鼻で笑う。その真意とは。


「アーッハッハッハ、言うじゃないか! 確かに、アタシらは残酷なことはしても卑怯なことはしない。自分の身柄を取引材料に交渉するようなやつを力尽くで捕縛したりはしないよ!」


「だったら……」


 何かを言いかけたグリムナをイェヴァンが視線で制する。今度は真剣な面持ちである。


「あんた……騎士道とは何か、分かるかい?」


「え……? そ、それは……卑怯なことをせず、弱者を守る……」


 突然の質問にグリムナがしどろもどろになりながら答える。正直言って卑怯な行いの事はともかく、彼らが弱者を守るものとは思えなかったが、ここは目一杯騎士の事を持ち上げて機嫌を取るべきだろう、そう思ったのだったが……


 ズッ


 グリムナは自身の腹に何かが突き付けられていることに気づいた。いや、よく見ると突き付けられているのではない。


 貫いているのだ。


「騎士道と云うは……」


 それは、イェヴァンの手にした剣であった。彼女の剣がグリムナの腹を貫いているのだ。先ほどまで持っていた鞭はどこにもなく、得物を持ち変える仕草も、突きの動作も、全く見えなかったが、一瞬のうちに彼女の剣がグリムナの腹を貫いていた。


「異なるものは、片っ端から皆殺死みなごろし、これに尽きる」

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