第439話 時は過ぎて

あれから一年余りの月日が流れた。


 人々は冬を前にして貯えのほとんどを無くし、そして住むところを無くした人も多かった。


 今は耐え忍ぶとき。


 そう信じて、多くの餓死者を出しながらも年を明けたものの、しかしその年の冬は長く、寒かった。大陸中部のピアレスト王国でも5月まで雪が残っていたほどだった。


 食事を切り詰めて何とか残した種籾も、その多くは実を結ばず、降り注ぐ雨に腐って、病にかかり、多くが枯れてしまった。次の年の冬の飢えは、前年に輪をかけて酷いものであった。


 人々は食べ物を求めて森に入り、獣や虫を捕まえ、何とか命を繋ぐ。


 食料を求めての小競り合いも多く起こったが、しかしほとんどの国でそもそも戦うための戦力が無かったため、大規模な戦争は起きなかったのがせめてもの救いであった。


 この長くつらい冬はいつまで続くのか。その考えを人々は口に出すことを恐れるように黙々と、生きる糧を探し続けている。


 その年も次の年も、ヒッテは食料を探すのは二の次にして、ひたすら土を掘り返す。


 この広大な『ベルアメールの丘』を。


 愛しい人は必ずこの丘にいるはず。この広大な丘のどこかに眠っているはず、と信じ続けて。


 いったいどれほどの土を掘り返したのか、それはもはや彼女自身にも分からない。ヒッテは穴を掘り返す手を止めて、近くにある岩に腰かけて一息ついた。


 丘の表情は変わり続ける。どこから種が飛んできたのか草が生え、小さな木も育ち、やがて森となるのであろうと感じられる。


あの大災害から1年半の時が過ぎてもう夏も入口だというのに、汗はすぐに冷えて寒気を感じ、ヒッテは上着を羽織った。


 あの後、竜が消え去ったことを知ると、ネクロゴブリコンはやっと肩の荷が下りた、というように穏やかな表情を浮かべ、そして眠るようにこの世を去った。ともに旅した仲間の元に帰ったのだろうか。


 フィーはエルフの里にそのまま残り、以前のように物語を描き始めた。ただし、今度はBL小説ではなく伝記だという。聖者グリムナの旅の軌跡だそうな。


 できるだけ事実に即した内容にして、彼の足跡を残したいのだと。


 ただ、全く脚色を入れなくとも彼の冒険譚は奇想天外であり、フィクションだと思われるかもしれないし、いつまたあのエルフの悪癖が戻るか分からない。本が出来上がったら一度目を通して添削してやらないといけないな、とヒッテは褐色のエルフの顔を思い出した。


 賢者バッソーは生まれ故郷のピアレスト王国に戻り、その豊富な知識を生かしてアドバイザーとして活躍しているという。


 ニブルタはいつの間にかその姿を消していた。おそらくまたあの森の中で一族のみんなと静かに暮らしているのだろう。南の方はまだ冬の影響も小さいという。


 ベアリスはやはり王座に就くことはなく、しかし国にとどまり暫定王者のコーフー・ヒェンタープーフの治世を助けているという。相変わらずの奇行は影をひそめることはなく、国民には珍獣扱いされているそうだが。


 次期国王と目されているバァッツ・ヒェンタープーフとの婚約も決まったそうだから、おそらく彼女の天真爛漫ぶりもそのうち収まってゆくことだろう。


 代官ゴルコークは民を避難させた功績が認められてついに爵位を授かったらしい。あの髭面を思い出してヒッテは少し身震いがした。


 リヴフェイダーは相変わらずトロールであることを隠し、マフィアのボスを続けている。とうとう元老院議員にまで選出されて、今年こそはトロールフェストを復活させると息巻いているのだとか。


 レイティはそのままローゼンロットに残り、炊き出しを続けていたという。風の噂ではあのファング枢機卿と結婚したとかしないとか。大分年齢に差があったし、人格的にも問題ある人物だったような気もするが。


 一息ついたヒッテはスコップを手にまた立ち上がる。


 一歩踏み出した時に靴のつま先に何か固いものが当たった。


「なんだろう?」


 それをヒッテは拾い上げる。明らかに人工物だ。沈んでしまったベルシスアーレの遺物だろうか。


 それは皮をなめしてつくられた、ちょっとした工芸品であった。真鍮の板が打付けられてあり、その板には座ってこちらを見ているクマの姿が描かれている。


 始めて見るものであるが、何か心に引っかかる。


 彼女はコルヴス・コラックスの娘ではあるが、しかし彼らが持つようなサイコメトリーの力はない。筈であった。


だが、その革製品の真鍮の部分に触れた時、鼓動が早まり、熱い感情が流れ込んでくるような感覚を受けた。


 真鍮は、黄銅とも呼ばれ、銅と亜鉛の合金である。黄金のように美しく輝き、錆びにくい上に加工がしやすいため人々の生活に密着した金属である。古くはオレイカルコス、オリカルクム、またはオリハルコンとも呼ばれ、この世界では魔力をため込む性質のある神秘的な金属としても知られる。


 ヒッテの頬に一筋の涙が伝った。


「このアクセサリーは……ラーラマリアさんの……」


 直感的に分かった。これは、ラーラマリアの持ち物だと。記憶が流れ込んできたような気がした。これは、グリムナから彼女への贈り物なのだと理解した。


 あの時の、幸せそうなラーラマリアの笑顔がまるで自分の見た記憶のように鮮明に脳裏に浮かぶ。


「グリムナが……グリムナがここにいるんだ!」


 そう思ってヒッテはそのアクセサリーをポケットにしまうと、一心不乱に足元の土を掘り始める。乱暴に扱っていると、随分と使い古したスコップは柄の部分がぼきりと折れてしまった。


 しかしそれでもヒッテは止まらない。スコップを投げ捨て手で土を掘り始める。


 爪がはがれ、皮膚が裂け、鮮血が滲む。それでもヒッテは決して手を止めなかった。


 グリムナがいる。グリムナがここにいる。


 もはや直感は確信となっていた。土を深く掘れば掘るほどに、愛しい人の匂いが、近づいてくるような気がした。


「はぁ……はぁ……」


 いったいどれほどの時間掘っていたのだろうか、ついに彼女はそれを掘り当てた。


 それは最初ただの土くれにしか見えなかった。だが彼女にはの人の気配が、確かに感じられた。


 よく見れば、確かにそれは人の体、男性の上半身だった。そしてそれを抱きしめ、庇うように、もう一人の人間の形をした土くれが、覆っていた。


 震える手でヒッテが、その覆っていた、をした土くれに触れると、それはまるで風化した木乃伊ミイラのようにぼろりと崩れてしまった。


「グリ……ムナ……」


 その土くれの下から現れたのは、彼女の追い求めていた愛しい人。


 だが一年半もの間土の下に埋まって、ぼろぼろに腐ってしまった死体ではない。まるでつい先ほど埋められたかのように瑞々しい肌をしている。体温がある。


 彼の胸の上に残っていた土くれの中から、何かアクセサリー……ペンダントが出てきた。ヒッテはそのペンダントに見覚えがある。


 まるで太陽のように美しく、気高かった彼の幼馴染み。ラーラマリアが肌身離さずにつけていた、あのペンダント、水底みなそこ方舟はこぶねだったのだ。


「ああ……ラ……」


 ヒッテの両目からぽろぽろと大粒の涙が零れる。


「ラーラマリアさん……ラーラマリアさん!! ずっと、グリムナを守って……」


 ぽとりと、グリムナの頬にヒッテの涙が落ちると、彼は、ゆっくりと目を開けた。朦朧とした意識の中、彼は手を伸ばし、そして指先で彼女の涙をぬぐった。


「……ヒッテ……なぜ、泣いているんだ……?」


 彼は、ゆっくりと言葉を続ける。


「夢を……ずっと……長い夢を見ていた……」


 彼はヒッテの握っているペンダントを見つめる。


「竜の崩壊に巻き込まれて、生き埋めにされる俺を……ラーラマリアが守ってくれて……ずっと、励ましてくれるんだ……きっと、きっとヒッテが助けに来てくれるから、って……」


 ゆっくりと彼はヒッテの首の後ろに手を回し、そして優しく彼女を抱きしめた。


「やっぱり……あいつの言うとおりだったよ……ありがとう、ヒッテ……」


「うわああ~……グリムナ! グリムナッ!!」


 二人は大粒の涙を流し、互いに抱きしめ合った。

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