第59話 新しいタイプの拷問
「まあ……気にしないでください」
グリムナはようやく落ち着いた様子を見せた。ベアリスを以前パーティーに誘った時は結局彼女の圧倒的なニート力によってそれを断念した。生活リズムからしてまず合わなかったのだ。
しかし今なら、日中は日が暮れるまで一日労働して、夜ねぐらに帰って寝る。規則正しい生活をしている今なら。こんなホームレスみたいな、いや、ホームレスそのものの生活をするくらいよりは自分達と同行した方が、と考えたのだが、ヒッテの猛反対に会い、それも露と消えた。
しかしいったん冷静になって考えてみれば、自分は一体何をしようとしていたのか、という気持ちが湧き上がってきた。要は勢いだけで行動していたのである。またおちん〇んで考えていたような気がする。はっきり言ってヒッテの行動の方が正しかったと言えよう。
「ヒッテもありがとう、ちょっと冷静じゃなかったわ、俺」
このグリムナの言葉を受けて、ヒッテもようやくふぅ、と一息ついた。彼女からするとこのお人好しのバカ男は自分がついていてやらないとダメだな、という思いがある。
それにしても、である。
まさかあのベアリスにここまでの生活力があったとは。
もともと華奢で小柄な体形ではあったものの、王都を追放されてからのこの1か月で特にやせ衰えているようには見えない。むしろ肌は日に焼け、筋肉も少しついて逞しくなったような感さえ受けるのだ。そこまで考えて、グリムナはふと思い出したことがあった。そう言えばこの娘は虚弱体質ではなかったのかと。
「あれ? そう言えばベアリス様って弱視じゃなかったでしたっけ? 肌も弱くて日に長い時間当たっていられないから外に出ていない、みたいな話を聞いた記憶があったんですけど。どうやって生活してるんですか?」
「あ~……」
グリムナの言葉を聞くなり、ベアリスは遠い目をして、水を一口飲んだ。
「そんな設定もありましたね……」
「設定!?」
ベアリスの意外な言葉にグリムナは思わずガタッと椅子から少し腰を浮かせてしまう。『設定』とはどういうことだろうか。
「いや~、なんかですね、『設定』……というか、ちょっと違いますけどね。日光に弱いというか、アルビノって知ってます?」
この言葉に全員が肯定の意を表す。アルビノとは色素欠乏症の事で遺伝子の欠損によりメラニンが欠落することにより肌も髪も真っ白になってしまう症状である。多くの場合、直射日光に弱く、また、瞳孔も毛細血管が透けて見えるために赤い色になる。
「それでですね、私も両親は普通の体色なのに私だけやたらと色素が薄いんで、本を読んで『これはアルビノだろう』と思ってたんですけどね……どうやら違ってたみたいで。なんか調べてみたら私の祖母の家系が色素の薄めの家系だったらしいんですよね。それが遺伝しただけだったみたいなんですよ……」
言われてみればベアリスの肌も髪も非常に色素が薄く、白に近いものの、瞳孔は別に赤くない。そもそも肌の色は今では日焼けして少し小麦色になってきている。ベアリスはさらに続けて話す。
「まあ……どうやら気のせいだったみたいで。外で暮らすようになったら、割と日の光も視力も平気になりました」
「はぁ!?」
「いや~、えへへ、筋肉がそうなのは知ってますけど、肌も目も使わないとドンドン退化していっちゃうんですね。今まで日に当たれなかったのはどうも毎日引きこもってるのが悪かったみたいです」
にこにこと笑いながら話すベアリスに一同は呆れ顔である。
「初めて会った時からそう思ってたけど割と残念な子ね……」
グリムナ一行の残念女、フィーがそう呟いた。
ともかく、食事を終えてグリムナ達は一息ついた。グリムナは改めてベアリスの様子をよく見る。
『才能』というものがある。大抵の人間は自分の欲する才能は持っていないことが多いのだが。おそらく自らの望む才能を持っていた者はその世界での天才だとか、勇者だとか言われ、ひとかどの人物となるのだろう。目の前にいる少女は恐らく王族として、政治家としての才能はなかったが、サバイバルの才能はあったのかもしれない。彼女はきっと放っておいても力強く生きていくだろう。もう誰の庇護も必要としないのだ。グリムナが口を出すべきような問題ではないのかもしれない。
「まあ、私の体質の事もそうなんですけど、実際この生活も悪いことばかりじゃないんですよ。この暮らしになったからこそ、気づくことっていうのも結構いろいろあるんです……」
ベアリスは目をつぶって静かにそう呟いた。
なるほど、確かにその通りだ。ベアリスが王都を追放された理由、それはまさしく民の生活への無知が引き金となっていたのだ。その彼女が王都を追放され、一気に一般市民どころかホームレスにまで落ちぶれた。ちょっと極端な気もするが、彼女はこれで一般市民の生活を文字通り肌で感じることができたのだ。この先再び彼女が政治の場に戻ることがあるのかどうか、それは分からないが、今得られた知識はきっとこの先人生の役に立つことだろう。
「たとえばですね……」
ベアリスは両手をバッと上げた。
「?」
突然の万歳に全員が首を傾げる。ベアリスの着ていたワンピースはノースリーブなので腋が丸見えである。手を上げることに意味があるのか、それとも腋を見せたいのか、どちらにしろ意味不明である。なんとなくエッチな感じがして、グリムナは気恥ずかしそうに少し視線をずらした。するとベアリスはそれを咎めてくる。
「ちゃんと見てください。あのですね、右半身と左半身で、毛の生え方が違うことに気づいたんですよ」
この女、とんでもないことを言い出した。
「わたし元々体毛が薄いですし、王宮にいたときはいつもムダ毛処理してたんで気づかなかったんですけどね、ホラ、見てください!」
そう言いながらベアリスはグリムナの傍まで歩み寄っていって脇を間近で見せつける。
「ホラ、右の脇の方が左よりも毛が少し長いですよね? びっくりしました。右と左で体毛の生え方が違ってたなんて!!」
グリムナは眉間にしわを寄せるが、そんな事お構いなしにベアリスはずずいと脇を押し付けてくる。初恋の相手から食後にぐいぐいと腋毛を見せつけられる。新しいタイプの拷問である。
「何ハラなの……これは……」
グリムナは目をつぶったまましかめっつらで、そう、ぼそっと呟いた。一部の人にとっては大変にご褒美なシチュエーションかもしれないが、残念なことに彼にはそんな特殊性癖はなかった。しかもベアリスは午前の労働を終えた後なので、汗臭いのだ。
「ほらほら、ちゃんと目を開けて見てくださいよ。他にもいろいろ人間の体って不思議なところが多いんですよ。今まで気づかなかったですけどね」
おそらくその知識はこの先の人生で役に立つことはないだろう。頑として目を開けないグリムナと何が何でも見せつけようとしてくるベアリスの間でしばらく押し問答が続いたが、ヒッテがぱふっ、とタオルを二人に投げつけて膠着状態を何とか脱することができた。グリムナの
「すいません、お会計お願いします」
脱力しているグリムナの腕を引っ張ってヒッテがカウンターで会計をする。フィーとベアリスもそれについて行った。
「3500Gだな」
「ひえっ……」
愛想の悪い店主が不機嫌そうな顔で示した金額にベアリスが小さな悲鳴を上げた。他に客があまりいないとはいえ散々大騒ぎした上にベアリスは奴隷以下の汚い服装である。この店主も何か思うところがあるのだろう。ヒッテはベアリスの悲鳴を無視して財布から銀貨を取り出して会計を済ませた。グリムナの意識はまだ朦朧としているようだ。
「ひゃあ……こんな大金初めて見ました……」
「頭大丈夫ですかあんた」
グリムナの意識が曖昧なのをいいことにヒッテはもはや口調に遠慮がない。本来なら奴隷などが直接口を利くことも憚られる相手である。しかし実際ベアリスは王族時代には自分で金を払ったことなどないし、ホームレスに転落してからは銅貨より上の金を見たことがないのだが。両極端な女である。
「じゃあ、ヒッテ達はもう行きますからベアリス様はお体に気を付けてください。さようなら」
ヒッテがそう冷たく言い放って、グリムナ達とベアリスは再び別れることとなった。もうグリムナの初恋の思い出はズタズタである。
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