第58話 ささやき女将

 ひとしきりベアリスの事の経緯を聞き終わって、グリムナは真っ直ぐ彼女の事を見つめていた。彼の脳裏にはある一つの考えが浮かんでいた。その考えはひとえに彼の善意からくるものであったが、それと同時に彼の普段の行動と同様、非常に行き当たりばったりな考えであった。


 フィーはまだ付け合わせの野菜をコリコリとかじりながらなんとなしにそれを見ていたが、ヒッテの方はというと、グリムナの何かを決意した表情を見て嫌な予感がしていた。考えなしで善意のみで動く男。王族からホームレスに転落した目の前の少女に対してグリムナが言いそうな事。そう、彼の言いそうなことに目星がついていたのだ。


「ベアリス様、もしよかったら……」

「ああ、っと……ご主人様!!」


 グリムナが口を開きかけたところに急にヒッテが被せてきた。グリムナはおそらくホームレスにまで成り下がった彼女をこのパーティーで面倒見ようというのだろう。「何か言って止めねば」 ヒッテはそう思ったのだ。このパーティーには『荷物持ち』という名のお荷物がすでに一人いる。それはヒッテ、彼女自身の事である。

 これ以上何の能力もない非戦闘員を加入させたところで持て余すのは分かっている。それも元王族をだ。パーティーにハクはつくかもしれないが、また食い扶持が掛かる。ベアリスを仲間に入れれば足を引っ張る上にグリムナが彼女に気を使いすぎてしまってこのパーティーは早晩瓦解する。なんとかしてこの流れを止めたい、だが手が浮かばない。こんな流れになるとは思ってもみなかったからだ。


「ええと……ですね……」


 ヒッテは良い案が浮かばず口を開いたものの言い淀んでいたが、話が進まないようなので意外にも彼女よりも先にベアリスが口を開いた。


「そう言えば、この間は気づかなかったんですけど……」


「なんですか、ベアリス様?」


「この間じゃなくて、初めて会った時の話になるんですけど、覚えてますか?」


 そう言われて、グリムナは少し記憶を掘り返す。初めてベアリスと出会った時、自分はまだラーラマリア一行の仲間で、ターヤ王家からの直々の依頼ということで山賊の討伐を請け負ったのだった。前回会った時(第22話)はその山賊の残党の討伐を行っていた。初めて会った時、グリムナはベアリスのその美しさに心奪われていたのも今となっては遠い思い出だ。ベアリスとグリムナは空いた時間に家庭教師をするなどして親密な間柄になっていたことがある。


 目の前にいるのは泥と垢にまみれたホームレスである。人間変われば変わるものだ。しかし、その初めて会った時の事で何かあるのかと思ってグリムナは彼女の話の続きを促した。


「別れる時に私が差し上げたペンダントってどうしました?」


 はた、と考え込むうグリムナ。


 ペンダント、ペンダント……そう言えば貰っていた。身分の高い女性からもらった、お守りのペンダント……貰っていたはずなのだが、今は持っていない。一体どうしたのだったか、そんな大事なものをうっかり無くすなどあり得ないことなのだが。グリムナは記憶の糸を手繰り寄せる。


『以前にとある身分の高い人からもらったお守りだ。やり方は違っても俺とお前の目指すものは同じ。それに、俺にとっては大事な幼馴染なんだ。無理はしないでくれよ……』


「あ……」


 ペンダントの行方に思い当たり、グリムナの喉からは思わず声が漏れた。


(ラーラマリアにあげちゃった……)


 途端、グリムナの額、いやさ顔全体から汗が滝の如く噴出した。衣服により確認すること能わぬが、おそらく体全体からも同様に汗を流しているだろう。その表情を見ていてヒッテは何かを感じ取っていた。


 それにしてもなんということか。


 想い人ながら身分の違いから気持ちを打ち明けなかった相手から、別れの際にプレゼントを受け取っておきながら、それを別の女にやっていたのである。


「ああ~、いや……どうだったかなぁ? 激しい戦いが多かったから、その間になくしたのかなあ……?」


「そうなんですか……あれ、魔力の込められた高価な魔道具だったんですけど……」


 後出しの追加情報にグリムナは思わず息をのむ。ラーラマリアに『お守りだ』と言って渡したものの、まさかそんな高価なものだったとは……


「いや~、ここまで、厳しい戦いが多かったですからね……きっと、俺の身代わりになってお守りとして砕け散ったというか、まあそんな感じで役に立ってくれたんじゃないですかね、ウン……」


「そうですか……グリムナさんのお役に立てたならいいんですけど……グリムナさんは、私にとって、初恋の人ですから……キャッ、言っちゃった」


 頬を赤く染めながら恥ずかしそうにそう言うベアリスであったが、グリムナにとっては針のむしろ以外の何物でもない。少女よ、お前が想い人にあげたペンダントは今そいつに想いを寄せる別の女の手の内にあるのだ。


「誰にやったんですか?」


 グリムナの隣に座っていた不機嫌極まりない表情のヒッテが、彼にだけ聞こえるように小声で呟いた。グリムナには確実に聞こえているはずであるが、彼はそれを無視する。しかし、顔の汗はそのままに、明らかに先ほどよりもさらに表情が引きつっている。


「本当は失くしたんじゃなくて誰かにあげたんでしょう……女ですか?」


 この女、どこまで鋭いのか……ペンダントをラーラマリアにあげたのはヒッテに出会う前の話なので彼女は知らないはずなのであるが、思わずグリムナはギョッと目をむいてしまった。当然ヒッテはそれを肯定の意と受け取り、さらに続ける。ずっとヒッテのターンである。


「ラーラマリアですか……」


「ふぶっ」


 思わず吹き出してしまったグリムナの鼻の穴から鼻水がずるん、と飛び出る。ベアリスとフィーは思わず悲鳴を上げた。グリムナは慌ててハンカチで顔を拭いたが、もはや尋常の事態ではないことは誰の目に見ても明らかである。


「大丈夫ですか? グリムナさん……汗もすごいですし、どこか悪いんですか?」

「なにやってんのよ汚いわねぇ……」


 心配そうなベアリスの表情に比べ、フィーは呆れ顔でお茶を飲みながらそう呟いた。ちなみにこの女、一人だけ勝手に食後のお茶をオーダーしている。


「ところで、グリムナさんさっき何か言いかけましたよね? 何だったんですか?」


 ベアリスがここにきて話を本流に戻した。しかしグリムナは正直言って今それどころではないのだが。


 とにもかくにもグリムナは思考を巻き戻す。そうだった、話の途中だったのだ。何かを言おうとして、ヒッテが話を遮った。そこからあらぬ方向に話が逸れてしまったのだ。自分は何を言おうとしていたのか、グリムナはベアリスの質問から間を置かず、口を開きながら記憶を掘り起こす。結果として喋りながら思い出す、たどたどしい口ぶりで、頼りなさげに話し始めたのだが……


「そうです、……あのですね、もし、ベアリス様さえよければなんですが、仲間になる、というのをもう一度考えて……」


 そうはならぬ。ヒッテが許さぬ。


「バラすぞ……」


 ヒッテは注意深く小さい声で、ベアリスに聞こえぬよう、グリムナにだけ聞こえるよう、蚊の鳴くようなか細い声で、しかし得も言えぬ迫力を含ませた口調で彼に話しかけた。


「ラーラマリアにあげちゃったこと……バラすぞ……」


「!? ……ヒッテ……さん……?」


 なぜ……?という気持ちが正直言ってグリムナには真っ先に来た。ベアリスを仲間にしようと、お前には関係ないだろう、と。なぜそれを邪魔する、脅迫するのだ、と。しかし考えても詮無いこと。すでに決定権は彼にはないのだ。もはや従う他道はない。


「なんですか、グリムナさん?」


 相変わらずベアリスは一点の曇りもない無邪気な笑みで問いかけてくる。しかしその純粋さが今はグリムナの心に刺さる。


「あ……あの~、いえ、そのう……」


 グリムナはもはやまともな受け答えもできない状態である。とっくにグリムナのライフはゼロである。


(……なんでもないです……)

「な、なんでもないです」


 ヒッテがグリムナに小声でアドバイスをささやき、グリムナがそれをオウム返しにして答える。ベアリスもさすがにこの事態には違和感を覚えたが、逆に異様すぎて突っ込むことができない。何から突っ込んだらいいか分からない、という方が正しいか。


「えと、仲間がどう、とか言ってましたよね……? まだ、私を仲間にしてくれる、っていう気持ちがあるんですか?」


「…………」


 グリムナは相変わらずうつむいたまま苦しそうな表情で押し黙っている。


(……ないです……)

「ないです」


ささやき女将状態である。


(……『頭が真っ白になった』と……適当な発言をしてしまいました……)

「その……頭が真っ白になった、というか……思い付きで適当な発言をしてしまっただけなので……」


(……今仲間は募集してないです……)

「今、仲間は募集してないです」



 食堂は、異様な空気に包まれていた。

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