第328話 衝撃
「いちち……くっそぉ、このガキ意外とやりやがるぜ」
傭兵の男が前腕部を押さえながらそう言う。男の腕は、グラブで保護されている部分よりも少し下のところにいくつか小さい切り傷を受けていた。
秋が始まり、空はどんよりと曇って入るものの、しかし爽やかな風が吹いている。実りの秋。もうすぐ麦の刈り入れの次期であったが、今まさに刈り入れられているのは村人たちの命であった。今年の収穫は人手が足りなくて大変なことになりそうだ。
「大丈夫? ヒッテちゃん」
背中合わせに弓を構えたダークエルフがそう問いかけると、いつの間にか敵から奪ったカトラスを片手に持っている前髪の長い少女は「問題ない」と答える。
「ここからどうするつもり? なんかプランあるの?」
この問いかけには答えられなかった。
「おい、エルフは適当に釘付けにしといて最後に頂くとするぜ、お前らで適当に面倒見てろ。残りの奴らは俺について来い。まだ抵抗してる奴らを皆殺しにするぞ!」
傭兵の内の一人がそう言うと、4人ほどを残してほとんどの傭兵はどこかへと去っていった。とはいえ、フィーとヒッテもそれを止めることは出来ない。目の前にいる傭兵の相手だけで手いっぱいであるし、すぐ近くにはオーガが好き勝手暴れている。
フィーはフッと笑った。
「変わったわね、ヒッテちゃんも……」
――――――――――――――――
「人を助けるなんて言えば聞こえはいいけど、実際には自分の目の前で嫌なことが起きてほしくないだけの
時間は少し巻き戻って。
二、三時間ほど前、トゥーレトンの手前の森の中でのことである。メルエルテとヒッテが言い争っていた。
傭兵団が狙っているのならば、トゥーレトンの事はあきらめ、すぐにこの場を離れるべきだと主張するメルエルテ。せめて危険が迫っているということだけでも知らせるべきだ。そう主張するヒッテ。
メルエルテの言っていることは間違いなく正論であったが。しかしヒッテは納得がいかないようであった。
「……それでも」
「何よ」
思わずヒッテは言葉に詰まってしまう。彼女も、分かってはいるのだ。メルエルテのいう事が正しいと。しかし、心の奥底で、それを認められない自分がいる。
「それでも、ヒッテには彼らを見捨てることは出来ないです。そんなことをすれば……」
その先の言葉は、当のヒッテ自身にも思いもよらない言葉であった。
「あの人に顔向けができないから」
「……あの人? あの人ってだれよ?」
「…………」
メルエルテの問いかけに黙して語らぬヒッテ。しかしこの発言に最も驚いていたのは横で話を聞いていたフィーであった。
「ヒッテちゃん! あなたグリムナの事思い出したの!?」
戸惑いながらヒッテは答える。
「わ……分からないです。思い出してないです。多分……でも、でも……」
それは、ヒッテ自身うまく言葉で説明はできなかったのだが、しかしそれでも、はっきりと分かっていることが一つだけあった。
「ヒッテは、目の前で助けを必要としている人がいるのに、それを無視することなんてできません」
しかしこれを面白く思わないのはもちろんメルエルテである。眉間にしわを寄せ、苦虫をかみつぶしたような表情で呟く。
「随分殊勝なこと言うガキね……前に会った時はもっとふてぶてしい女だったんじゃないかしら? こんなキャラだった? こいつ」
――――――――――――――――
そこからはもう強引の一言であった。
事実、ヒッテが動いたのは論理ではなく、ほぼ感情であった。メルエルテの方が正しい事を言っている。それはヒッテも分かっているのだ。
しかし、それでもなお自分の中にある気持ちを裏切らないため、メルエルテとフィーを置いて、ヒッテは走り出した。
結局ヒッテの到着と傭兵団の襲撃はほぼ同時刻になってしまっていたが、しかしそれでも、ヒッテは村人たちが体勢を立て直し、抵抗できるように最大限尽力した。
さらに、フィーも彼女を助けるために駆けつけてくれた。
フィーは死線の中にありながらも、笑顔を見せていた。その笑みの理由は彼女自身よく分かっている。
たとえ記憶を失っても、グリムナとの一年間の旅が、彼女の中に息づいていると分かったからだ。
メルエルテがヒッテに言ったセリフ「偽善ですらない」「我儘に過ぎない」というのは、昔、ヒッテがグリムナをたしなめた言葉ほぼそのままであった。現実的、論理的ではあるものの、しかし情というものが介在しない冷たい言葉。
それをまさかヒッテ自身が言われることになろうとは。
以前のヒッテは若いくせにどこか厭世的な考え方をしているところがあり、他人の事や命など無関心な部分が多分にあった。
その彼女が自分の危険も顧みずにトゥーレトンの村を助けに来たのだ。これは、本人の事を覚えていないとはいえ、間違いなくグリムナの影響しか考えられなかった。
「それで、ヒッテちゃん、この先はどうするつもり?」
弓に矢をつがえて、傭兵達を威嚇しながらフィーが尋ねる。
『どうするべきか』……カトラスを構えながらもヒッテは頭を悩ませる。本当のことを言えば、傭兵達が来る前に村人を避難させたかった。
それが無理ならば、何とか傭兵達と村人の間に入って交渉で事を済ませたかった。しかし彼らに交渉の余地など最初から無かったのだ。事態は全ての想定を超えて悪かった。
「考えろ……考えるんだ……」
ヒッテは小さい声で自分自身に話しかける。
「レイティは傭兵と何を話してた? あいつの指示で傭兵はこの村を襲った? ……あの女は、以前にローゼンロットで出会って、フィーさんを殺そうとしていた……フィーさんは、ラーラマリアがグリムナをおびき出すために攫ったから……」
ヒッテは正直言って全くビジョンというものがなかった。だからこそ深く考える。ちょっかいを出すように、時折間合いを詰めて攻撃を仕掛けてくる傭兵の剣を捌きながら、頭の中が少しずつクリアになってきた。
そう、レイティが絡んでいるのだ。ならば彼女は何のために動いているのか。過去の情報を整理してみると、それはやはりラーラマリアが絡んでいるように彼女には考えられた。
「ラーラマリアを……探します!」
「ラーラマリアを? でも本当にここにいるか分からないじゃない!」
傭兵が振り下ろしてきた剣を受け、前蹴りで間合いを取り、ヒッテは問いかけに応える。
「いえ、絶対にいます。だからこそ奴らはこの村に来たんです」
ヒッテはある種確信をもってそう答えた。少しずつ、場所を移しながら、特に騒ぎの大きい方を探す。か細い綱渡りの戦いであるが、しかしそれしか方法はないのだ。
「危ないヒッテちゃん!!」
まさにその時であった。いつの間にか、オーガが距離を詰めていた。目の前の傭兵の剣を捌くのに精いっぱいで気づくのが遅れた。
思い切り腕をテイクバックする。
通常、野生の動物というものは攻撃の際にテイクバックをほとんどとらない。そんなことをせずとも牙がある。爪がある。突進力で押し倒した方が強い。
ヒッテとフィーはオーガの振り下ろす拳を十分な間合いを持って躱す。ズウン、と地響きと揺れが辺りを襲う。それは拳でも爪でもなく、平手であった。
「!? 視界が……!!」
それだけではない。土煙もだ。そう。ならばなぜオーガが十分に腕をテイクバックしたかを考えるべきであった。目くらましが狙いであった。
目をつぶったままフィーが矢を撃つが当然オーガには当たらない。
しかし、
「フィーさん危ない!!」
とっさの判断だった。攻撃の向かった先はフィー。彼女を押しのけてオーガの平手による攻撃をかわそうとしたが。しかしヒッテの体重ではそれは不十分であった。
「キャアッ!!」
ヒッテとフィーは衝撃を受けて吹っ飛んだ。
打撃は三つのアクション、『テイクバック』、『インパクト』、『フォロースルー』で構成される。ヒッテの一瞬の判断により、二人は『インパクト』ではなく『フォロースルー』の段階で受けたため、即死は免れたが、しかしヒッテがその直撃を背中に受け、意識を失っていた。
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