第31話 国士無双

「ねえ、ヒッテちゃん、そのベアリスって何者なの? よその王族が何やってようとあんま関係なくない? 名前からして女なんでしょ?」


 ベアリスの離れに向かう途中、察しの良すぎるヒッテとは違ってイマイチ状況の把握できないフィーがヒッテに尋ねた。


「要はスケベ心なんですよ。王族とはいえ七番目ならあわよくばヤれるんじゃないかって思ってるんですよ。ご主人様は」

「なっ……」


 ヒッテのこの答えにフィーは思わず言葉を失った。


「グリムナ!あなた正気なの!?」


「フィー、ヒッテの言うことをいちいち真に受けるな。そいつは……」


「相手は女性なのよ!!」


 お前の方こそ正気か。グリムナは何か言おうと思っていたが、もうこの女には何を言っても無駄だろう、と無視して歩き続けた。



「ベアリス様……失礼します」


 グリムナはノックをしてからベアリスの離れに入っていった。ヒッテとフィーも同様に入ってきたが、やはり前回と同じように衛兵は帰っていった。衛兵には仕事がある。ニートなどに構っているほど暇ではないのだ。


 ベアリスは自室で寝椅子に寝転がりながら本を読んでいた。グリムナ達が入室した時に入室の許可を出して答えているのにも関わらず椅子から立ち上がろうともしない。もちろんベアリスの方が身分が上だから許される行為ではあるものの、そもそも人としてどうなの。


「山賊の討伐、ここにいるヒッテと、フィー殿の助力もあって無事完了しました」


 ベアリスはぱたん、と本を閉じて寝椅子の上で態勢を変え、横座りになってグリムナの方を向いた。


「ありがとうございます。グリムナさん!噂ではやっぱり人食いのトロールがいたそうで、これで国民も安心して暮らせます」


 ベアリスはまさかグリムナが自分を説教をしに来たとは思っていない。満面の笑みを浮かべながらグリムナにそう語りかけた。グリムナの心が揺らぐ。ロイヤルニート状態になっているベアリスに一発説教かましてやろうと思っていた彼だったが、ベアリスの笑顔には弱いのだ。色素の薄い肌と髪に、華奢なボディーライン、年は確か16歳くらいだったはずだがもっと幼く感じられる彼女の外見は、どこか浮世離れしていて、おとぎ話の中に出てくるエルフのような可憐さを想起させた。いや、エルフなら一人、グリムナの隣に本物がいるが。全然可憐じゃない奴が。


「フィーさんって言いましたか? 討伐に行く前には居なかったですよね?」


 ベアリスが寝椅子から身を乗り出してフィーの顔を覗き込む。


「もしかして、エルフさんですか? 初めて見ました」


「え、まあ……はあ。エルフやらせてもらってる、フィーってもんです。へぇ……」


 ベアリスが顔を近くまでのぞき込むのは視力が悪く、そうしないと見えないからなのだが、フィーはこれに面食らったのか、後ずさりして視線をそらしながらそう答えた。しかしこの女、ホモ以外の話題になると全く喋れない。


「ベアリス様は、この離れで一体何をなされているんですか?」

「なにって……この国の未来を憂いているんですけど……」


 グリムナの問いかけにベアリスは視線をそらしながら答える。まさかやることもないしニトってる、とは言えないようだ。しかしグリムナはそれをビュートリットから聞いて知っている。グリムナはベアリスの瞳を覗き込んだままさらに続ける。


「いいですか、ベアリス様。私が社会契約説についてあなたに教えたのは王族としての責務を果たして、民のために尽くしてもらいたいという思いあっての事。王宮で急進的なことを言ってしまってこんなところに追いやられたのは仕方ないです。目的が崇高でも、やり方に問題があって上手くいかないこともあるでしょう。しかしだからと言ってこんなところでニトってどうするんですか。」


「べっ、別にニトってるわけじゃないですよ。今はただ……ちょっと充電中なだけです。高く跳ぼうとすれば、それだけ深くしゃがみこまなければならないんです。つまりそういうことなんです」


「兄上たちはすでに公務に励んでおられると聞きます。この離れであっても、できることはあるのでは?」


 グリムナがそう言うと、ベアリスの表情が少し明るくなった。いや、明るくなったというよりは攻めどころを見つけて気色ばんでいる感じだろうか。


「あんな仕事したってだめなんですよ! あんな仕事旧体制の遺物です。今やってる歴史編纂事業の内容知ってますか?各部族に伝わるおとぎ話の中から自分たちに都合よく使えそうなものを選んで上手く繋げてターヤ王国の正史を作ろうとしてるんですよ! そんなのが国民の為になるっていうんですか!? それよりもっとやることがあるはずなんですよ。私にやらせてくれればこのチート知識を持って発展させて見せるっていうのに……まずは無駄なパーティーや城の装飾なんかの廃止ですよね。徴税量を下げればもっと国外から商人が……」


「こっ……」


 早口で話すベアリスに、グリムナは思わず口に出しそうになった言葉を飲み込んだ。


(国士様やないかい……)


 国士とは、国の為に私財や命をなげうって尽くす立派な人物の事を指すが、もちろんグリムナの心に浮かんだ『国士様』とはそういう意味ではない。彼が言っているのは自分の身の回りの事すらろくにしないくせに国の未来を憂いて、行動に移しもしないくせに口先だけで、実際に国の為に働いている人たちに向かって「ああすればいいのに」「こうすればいいのに」「俺ならもっとうまくやれるのに」などと上から目線で不平不満を言って留飲を下げるだけの非生産的な人々を、ある種侮蔑的な意味で呼ぶ名称の事である。

 さらにたちが悪いのは、実際にベアリスは王族であり、何かやろうと思えば『やれる』立場の人間であることだ。やれる。でもやらない。そして文句だけは言う。


 さらにグリムナはベアリスの話し方も気になった。国家事業の話になったとたんそれまでゆっくりと静かに話していたのに急に早口に、饒舌になって語りだした。そんな人物を最近見たことがあるような気がする。グリムナはちらりと、隣にいる銀髪に褐色肌の美しい女性に視線をやった。


 フィーである。


 ベアリスの話し様は、フィーがホモについて熱く語るときと全く同じであった。


「……でね、私に任せてもらえばこのベーシックインカム制度によってね……」


「ベアリス様……」


 調子づいて話を続けるベアリスをグリムナが止めた。ちなみにベアリスにチート知識などない。グリムナは決意を固めた表情をしていた。


「いっそのこと、私たちと一緒に旅に出て、世間を見てきませんか?」


 よほど責任を感じていたのだろう、自分の方から苦労を背負い込むつもりのようだ。ヒッテにフィー、これ以上頭痛の種が増えても二人も三人も大して変わらんと言うことだろう。しかしこの言葉にベアリスは途端に顔色を変えて見る見るうちに冷や汗を額に浮かべながら抗弁した。


「い、いやあ、でも私、ホラ……色素が薄くて肌が弱いので、あんまり外に出るのは……」

「フードをかぶればいいですし、私がそこは全力で配慮します」

「でも、そのぉ…今まで外にろくに出たこともないですし……きっと足を引っ張りますよ……?冒険の邪魔になりますよ」

「そんなのすぐ慣れますよ。ゆっくりな足取りだっていいんです。どうせはっきりした目的のある旅じゃないですし」

「そ、そうだ! お父様がそんなことお許しになるはずがないですよ! 一国の王女がどこの馬の骨とも知らぬ冒険者に同行するなんて……」

「私が何とか説得します。きっと陛下も今のこの状況がいいとは思ってないはずです。あと、馬の骨はひどいです」


 やらない言い訳ばかり並べるベアリスにグリムナの怒りはすでに決壊寸前である。全ての逃げ道を封じられたベアリスは短いため息をついた後、ゆっくりと顔を上げてから答えた。どうやら彼女も決意を固めたようである。


「わかりました。グリムナさん。私も旅に同行しましょう。但し、今日はもう遅いので明日から出発しましょう」


 この言葉にグリムナの表情が明るくなった。ヒッテとフィーは状況がいまいちわからず微妙な表情をしているが。


「明日の3時くらいに来てください。旅立ちの準備をしておきます」


「はい、わかりました。3……3時!? 遅くないですか? 午前中に出ましょうよ。そんな時間に出たら、まず間違いなく野営になりますよ?初日からいきなり野営はきついでしょう」


 このグリムナの言葉にベアリスは困ったような表情を見せる。


「う~ん、でも、大体起きるのがいつも昼過ぎなんで、そこからご飯食べて、ゴロゴロしてから、ってなると……やっぱりどんなに早くても3時くらいにはなりますねぇ……」


 ゴロゴロするな。というか起きるのが昼過ぎときたもんだ。


「ダメっぽいわね、ヒッテちゃん……」

「ダメっぽいですね、フィーさん。ニート生活が板についちゃってますね」


 もはや生活スタイルが合わなくて冒険者についていけないのだ。グリムナは思わず顔を両手で抑えてしゃがみこんでしまった。



(俺、一体この人のどこを好きになったんだろう……)

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