第413話 生きていました

「道を開けよ! 女王陛下の凱旋だ!!」


 声を張り上げたる堂々たる物言い。しかしそれを口から発した青年はもう随分涼しい季節だというのに脂汗を額に浮かべ、歯の根もかみ合わない。膝もがくがくと震えている。


 自分は今、とんでもないことをしでかしているのではないか。これはターヤ王国の実権を握っている父親、コーフー・ヒェンタープーフに対する反逆なのではないか。バァッツ・ヒェンタープーフはそう考えていた。


「堂々としてろ、バァッツ。天地神明にかけてお前は間違ったことなんざしてねぇんだ」


 隣にいた獅子の鬣のような髪と髭をたたえた大男はバンッ、と青年の背中を叩いた。声を張り上げた後猫背気味になっていた青年はそれで気合が入ったのか、背筋がしゃんとした。


 実際のところやましいことなど何一つない。


 彼らの前を歩く薄桃色のドレスに身を包んだ凛々しい表情の女性、ベアリス・フルフ・ターヤは政争に破れ、身の危険を感じて亡命をしたものの、しかし何か罪を犯したということはないのだ。


 何の罪も咎もない、本来ならば女王として君臨しているはずの彼女が凱旋したに過ぎないのだ。


「なぁに、別にクーデターやらかそうってんじぇねぇ。ちょっと演説がしたいだけさ。まあ大船に乗った気分でいな」


 そう言ってトットヤークは笑い声をあげた。物言いは自身に満ち溢れているものの、正直言ってこの男はどこまで信じられるのか。バァッツは少し不安な表情を浮かべる。なぜか、この男をじっと見ていると背後にポメラニアンの影が浮かぶ気がするのだ。


 首都のカルドヤヴィを進むと徐々に市民が集まってきた。


 ターヤ王国は竜の出現以降、ヤーベ教国と戦端を開いていた前線の兵士達が竜に蹂躙されて壊滅したものの、主だった都市はまだ被害を受けていない。


 それは幸運などではなく、ひとえに国土の8割を山岳、森林地帯で覆われており、国民の数が少ないためなのであるが、そのことに気付いているものはいない。だが、どこの町でも竜の噂を聞き、避難の準備を進めてはいた。そんな折に、突如として女王ベアリスが凱旋したのである。


「随分首都も人が少なくなっていますが……まあこんなもんでしょうね」


 首都の最も大きな広場の中央に陣取ってベアリスと、ビュートリット、それにトットヤーク。そしてお供の騎士達が市民を誘導して演説の準備を始める。バァッツは言い様もない不安を抱えてそれを眺めている。


 やがて集まった市民が静まり、ベアリスに注目が集まると彼女は静かに語り始めた。


「お集まりいただきありがとうございます。そして、長らく国を留守にしていたことをここに謝罪させていただきます」


 亡命していた間、彼女の消息は全く謎に包まれていた。父王に国を追放された時も同様であったが、しかし国民からすれば少し身勝手な行動にも見える。ちらほらと彼女の身勝手さを非難する怒号が聞こえた。


 ベアリスはスッと小さく手を上げてそれを制する。


「お怒りの声は分かります。本来国民を守るべき王族が身を隠していたのですから」


 しかしその怒号も彼女が涼やかな、よく通る声を上げると静まり返る。


 いつもの小汚いワンピースではない。おそらくこの日のために新調したか、暖めていたドレスであろう。それを着用した彼女はまさしく妖精フェアリーの如き可憐さであった。


 透き通るような白い肌。小春日和の優しい太陽にキラキラと輝く美しい銀髪。二十歳を過ぎているはずであるが、穢れを知らぬ少女のような清く整った、愛らしい顔立ち。男も女も、その美しい容姿に幻惑されたかのように魅了されてしまう。


「私が今日ここへ赴いたのは……」

「待て待て待てぇ~い!!」


 市民をかき分けながら一人の中年男性が大声を出し、そして人だかりの中央、ベアリスのもとに駆け寄ってきた。後ろには十数名の騎士を引き連れている。


「申請もせずに何を勝手に集会をしておるか!! ベアリス! 貴様今更のこのこと何をしに戻ってきおった!!」


 現在ターヤ王国の暫定君主、バァッツの父、コーフー・ヒェンタープーフである。慌てて駆け付けたのか、大分着乱れているものの、王にふさわしい上等な服と装飾品を身に着け、そしてそれに似つかわしくない怒りの表情をその顔面に張り付かせている。


「民よ!! この女の話など聞く必要はない! 何年もの間行方をくらまし、国政から逃げていた者の話に耳を傾ける価値などあろうか!!」


 コーフーは大仰に両手を広げ、市民に大声で語り掛ける。そして今度はベアリスの方を睨みつけながら怒鳴った。


「だいたい貴様! この国難に一体どこで何をしていた!? 俺が前線で敵と戦い、竜の襲撃を受けて、惨禍に備えるべく命からがら戻ってきたというのに、どこぞの貴族に庇護でもされていたのであろう!!」


 今にも噛みつかんという勢いでベアリスに詰め寄る。そこに国王の品格というものは存在しない。


「私が何をしていた、ですか……」


「そうだ!! 父王に国を追放され! 少しの間国に戻っていたがそれからも逃げ! 都合6年余りの間、いったい何をしていた!? 何を為した!?」


「生きていました」


 その言葉に、コーフーは言葉を失った。


「私はこうして、生きていました」


 ベアリスは両手を広げ、自分の体を見せつけるように堂々と構える。


「ここ数年はビュートリットさんにも助けてもらっていましたが、父上に追放され、私は誰の庇護も受けることなく、たった一人で野山に潜み、泥水をすすり、獣を狩り、木の実を集め、虫を採取し、喰らい、こうして生きていました」


 まさか、一国の王女がそんな生活を……?


 市民は一瞬戸惑いの表情を見せるが、しかしすぐに思いなおす。『あの女なら、やりかねない』、そう思ったからだ。以前の演説で彼女は『肉が無いなら、虫を食べればいい』と言った。そして、国民の見守る中、実際に芋虫を生で食べて見せたのだ。まだ記憶にも新しい、その悪夢を誰もが思い出した。


「私が今日皆さんに語りたかったのはまさにそれです。国家の運営は、コーフーさんとバァッツさんにお任せします。ぶっちゃけて言うと、私、王族に向いてないんですよ」


 そう言ってベアリスはバァッツに向けてウインクをした。その愛らしいしぐさにバァッツは思わず頬を赤らめてしまう。トットヤークは『話が違う』と、今にも泣きだしそうな表情をしている。


「でもですね、それにはまず『生きてこそ』です」


 ベアリスは再び市民の方を向いて語り始める。


「竜は、都市を狙うのではなく、人の多くいる場所を狙って攻撃を仕掛けます。ですから、集団で疎開してはいけません。野山にバラけて逃げなくてはいけません。そこではきっと、サバイバルになります。その時、私の教えが役立つでしょう」


 しかし、この言葉に市民たちはざわつきだす。当然だ。今まで先人の作り上げてきた文化的な生活を捨てて山で生きろと言われて「はいそうですか」と、それをすんなり実践できるはずがない。


 ベアリスは控えめに片手を上げてそれを制する。


「皆さんの不安な気持ちも分かります。実際、山での暮らしは厳しいものになるでしょう。しかしそれも竜が消えるまでの辛抱です。きっと……いや、必ず! 竜を鎮めてくれる方が現れます」


 ベアリスの目には希望が満ちている。つまり、その『竜を鎮める方』に心当たりがあるということなのだ。


「知っている人もいるかもしれません。5年前、国に帰って来た私が『勇者』に認定した、グリムナさんの事を……」


 その言葉にまた市民が色めき立つ。噂には聞いていた。竜を追って、人々の怪我を癒す『聖者』の存在を。確か、名はグリムナ。


「聞いたことがあるぞ……」

「5年前、トロールを討伐したのも確かグリムナだったはずだ……」


 希望の色が市民にも見え始めた。


「ですが、野山での暮らしに耐えられない人もいるかもしれません……」


 そう言ってベアリスは懐からスキットルを取り出した。


 『嫌な予感』


 ビュートリットが飛び出そうとするが、しかし演説の最中である。必死の思いで踏みとどまる。


「これはハチミツを水で割って酵母を足し、一週間ほど放置した、不思議な液体です。苦痛に耐えられぬ時、これを飲むといい……」


 そう言ってベアリスはスキットルの蓋を開け、それを口に……


 パンッ、という音がして、我慢の限界となったビュートリットがそれを取り上げた。


蜂蜜酒ミード……!! まだこんなもの隠し持ってたんですか!!」


「演説の途中……ってか、返し……返して!!」


 演説の最中なら、邪魔されずに飲めると思ったのだ。


「いやあ~~!! 返して! 命の水!! せっかく一週間かけてここまで育てたのにぃ!!」


 ビュートリットはスキットルを逆さにし、中の液体を大地に注いだ。

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