第412話 グリムナの危機
「私は……グリムナさんが世界を救うと信じています」
寝っ転がりながら言うことか。買い被りだ。そう思いながらもグリムナは気恥ずかしさを紛らわすように口を開いた。
「それは置いておいてですね……ベアリス様には民衆に避難を呼びかけて欲しいんです」
ベアリスは少し考え込んでからグリムナに質問をする。
「実際今となってはどこの国も大都市からは疎開をする流れになってると思うんですけど、それじゃダメなんですか?」
グリムナはベアリスと視線を合わせるため、地べたに胡坐をかいて座って語り掛ける。
「ダメです。避難の仕方に問題があります。集団で疎開しても、竜には効果がないんです。なぜなら、竜は栄えている町を狙って攻撃を仕掛けてるんじゃなく、人の多いところを狙って攻撃するからです」
「人のいるところ? それで集団疎開は意味がないってことですか?」
「そうです。色々調べて分かったことですが、竜は人の意思、滅びの願望から生まれた死の象徴です。人の意思に吸い寄せられて、破壊活動を繰り返す。逃げるなら、もっとバラバラに散開して逃げないといけません」
ベアリスはがばっと身を起こして反論する。グリムナの言葉に矛盾があると感じたからだ。
「おかしいですよ。避難を誘導しろってことは民衆を導けって事でしょう! それなのにバラバラに逃げろって、私はいったい何をすればいいんですか?」
グリムナはベアリスから視線を外して周りの人間に尋ねた。
「ビュートリットさん、トットヤークさん。今どういった生活をしていますか? 畑を作らず、山菜を採ったり、虫や獣を狩って、細々と暮らしてるんじゃないんですか?」
虫……正直誰もが食べたくないものではあるが、ビュートリットとトットヤークは少し表情を歪めながらもそれを肯定した。
「まさにそれです。ベアリス様のサバイバル知識を生かして、人々に山や森の中で散開して避難するように指示してほしいんです。俺もここに来るまでにそれを呼びかけてはいますが、正直手ごたえはあまりないです。ですが、亡命しているとはいえ、一国の元首であるベアリス様の言葉なら、耳を傾けてくれる人も多い筈です」
この言葉に気をよくしたのかベアリスは自慢げにフン、と鼻を鳴らした。
「ふふふ、ようやく昆虫食の素晴らしさを世に広める時が来ましたか。そもそも虫は重量当たりのたんぱく質含有量が獣よりも優れ……」
「逆説的にだが、いよいよこの山奥から打って出る時が来たということか……」
先ほどまでのベアリスの介護人みたいな状態から急にまじめな表情になってビュートリットが呟いた。そう。亡命政府としては避難民を保護するくらいしかしていなかったベアリス達がとうとう一転攻勢に出る時が来たということだ。不謹慎な言い方ではあるが、確かに竜が暴れている今は、その絶好の機会ともいえる。
「いよいよ俺の出番だな。すでにヒェンタープーフ家にも布石を打ってある。すぐに動けるぞ」
トットヤークも鼻息を荒くする。彼はベアリスの側近の一人としてこの亡命政府に出入りしながらも、同時に現在ターヤ王国を掌握しているヒェンタープーフ家にも顔が利く。その立場を生かす時が来たのだ。
二人の心強い参謀の顔を見上げ、そしてベアリスはついに立ち上がった。
「そうですね……とうとう動き出す時が来ましたか。私も今日は推しカプの進展がみられて非常に気分がいいです。旅立ちにはもってこいの日でしょう」
『推しカプ』とはもちろんグリムナとヒッテの事である。それを察したヒッテだけが先ほどの抱擁を見られたことを思い出し、少し赤面する。
「ところでグリムナさん、以前と雰囲気が変わったように感じますが、何か心境の変化があったんですか?」
変わった。確かに変わっている。しかしそれが何なのかが分からない。最初に受けた疲れ果てていた表情も気になるし、ヒッテとの仲が随分と進展したのも気になる。それに、何よりも気になるのがラーラマリアの存在だ。あれほどまでにグリムナに執着していた彼女が姿を消しているなど、ベアリスには信じられなかった。
グリムナは少し返答に悩んだ。確かに自分と周りの環境は激変している。一体何から答えたらいいのか。ふと脇を見ると、ヒッテが彼の事を見つめていた。
そうだ。彼は自分を取り戻したのだ。そして愛する彼女の隣に戻ってくることができたのだ。
「俺は……記憶を取り戻しました」
そう言ってグリムナはそっと彼女の肩を抱き寄せた。その行為が全てを物語っているようであった。
「そうですか……記憶を……全てを思い出したんですね」
一国の元首の前でのその行為は若干礼を失しているようにも見えたが、それを咎める者など居なかった。彼は、ベアリスの師でもあり、何物にも代えがたい古い友人でもあるのだから。
「記憶を取り戻したなら、前々から聞きたかった、凄く気になってたことがあるんですけど……」
しかし次の瞬間、少しベアリスは表情を険しくしてグリムナに問いかける。
「私があげたペンダント、何故ラーラマリアさんが持ってたんですか?」
グリムナの表情と動きが止まった。
この物語が始まる前。ラーラマリア、シルミラ、レニオと共にターヤ王国を訪れた際に彼女からもらったターヤ王国に伝わる魔道具である『水底の方舟』。グリムナが5年間もの間異世界に隔絶されていた直接の原因ともなったアイテムであるが。
「いや、カルティッシウムでラーラマリアさんに誘拐された時からずっと気になってたんですけど、中々聞く機会がなくって……なぜ?」
グリムナの顔中からだらだらと冷や汗が吹き出る。
こともあろうか、グリムナはラーラマリアにパーティーを追放された際にそれを彼女に餞別として送っていたのだ。(第14話 奴隷 参照)
他の女からもらった心を込めたプレゼントをそのまま別の女にあげてしまう。こんな蛮行はもののけ姫の主人公でもなければ許されない行為だ。それをグリムナはしてしまっていたのだ。
しかもラーラマリアはご丁寧に前回ベアリスと再会した時もずっと身に着けていた。おそらく今もつけていることだろう。
「う……」
「う?」
グリムナが眉間に皺を寄せて頭を押さえる。
「うっ……記憶が……頭が割れるように痛い……ッ!!」
「都合よく記憶喪失にならないで下さい!!」
「グリムナ……さいてーです……」
ベアリスとヒッテが口々にグリムナを非難する。
「もう一つ聞きたいんですけどねぇ……」
しかしベアリスはジト目のまま攻撃の手を緩めない。
「私が前回渡した『野風の笛』は……まさかとは思うけどなくしてないですよね……?」
グリムナが目を剥く。同時にぼたぼたと顎から冷や汗が雫となって垂れた。
そうだ。
そう言えば「なくさないで下さいよ」と繰り返しベアリスに念押しされていたような気がする。あのアイテムはいったいどうしたか。
「なくしたんですか……」
ベアリスの表情が怒りに歪んだ。
あの魔道具は確か……レニオたちとトゥーレトンで別れた際に……
「まさかとは思うけど……女に渡してないですよね」
そのまさかだ。
シルミラに餞別として渡してしまった。
なんということか。
いざという時のためにグリムナの身を案じてベアリスが渡した、ターヤ王国の秘宝とまで呼ばれる『野風の笛』、男の身を案じて王女が渡したその秘宝を、そっくりそのまま別の女にプレゼントしてしまったというのだ。
これは、たとえアシタカでも許されない蛮行である。
「うっ、頭が痛い! 記憶がッ!!」
「ごまかさないで下さい! あれあげたのつい最近の話でしょうが! だぁから言ったのに!! 『絶対なくさないで下さいよ』って!! まあ正直絶対なくすと思ってましたけど!!」
アル中のベアリスに、少し元気が戻ったような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます