第411話 アル中

「グリムナ、大丈夫?」


「ああ、大丈夫だよ。ありがとう、ヒッテ」


 山の中を二人の男女が歩く。大分疲れがたまっているように見えたが、特に男の方は目もうつろでその焦点も定まっていないように見える。肉体的な疲労なのか、精神的な物なのか。いずれにしろもはや限界に見える。


「もう少し……もう少しでベアリス様の亡命政府のアジトのはずだ……」


 グリムナがそう呟くと、その体を支えていたヒッテが、手近にあった朽ちた倒木に彼を座らせた。


「少し休みましょう。ここまでほとんど休むことなく竜が破壊して回った人里を駆け回って、励まし、手当てをして……今グリムナに必要なのは『休養』です」


「何もできない無力な俺が……歩み続けることまでやめてしまったら……」


 力なくそう呟くグリムナの体をヒッテは抱きしめた。


 随分と体温が低くなっているように感じられた。秋も深まる気温のせいか、それともそこまでにグリムナの体力が落ちているのか。以前のグリムナはどんな苦境にあろうとも生命力に満ち溢れていたように感じられたが、今のグリムナからはその面影はない。


 グリムナはヒッテに抱きしめられ、彼女の暖かい体温を感じると、安らかな表情になって目をつぶった。


「グリムナは……決して無力なんかじゃない。自分の持てる限りの力を振り絞って、人々を助けています。きっと、いつかその努力が報われる時が来ます……」


 とは言うものの。


 いったいこの旅の終着点はどこにあるのか。このまま竜の後を追い続けて、人々を癒し続けて、その先に何があるというのか。竜を止めるのならば先手を取らねばならないのに、今のグリムナとヒッテは後手後手に回って竜が傷つけ、滅ぼした町の、わずかに見逃された人々を癒しているに過ぎない。


「ヒッテ……ありがとう……」


 小さく呟いてグリムナが彼女の背中に腕を回し、抱きしめた。


 あまりにも弱々しい力で。


 ああ、このままどこかへ逃げてしまいたい。フィーさんの言うとおりだった。


『どうせヒューマンなんて五、六十年で死んじゃうんでしょうが! だったらなんでその短い間すら自分のために生きようとしないのよ!』


 彼女の言葉を思い出しながら、ヒッテは彼を抱く腕に力を込める。心の壊れてしまった彼を連れて、どこかへ。この大陸の外でもいい。みんな投げ捨ててどこかへ逃げてしまいたい。


 ごめんなさい。


 『こんな世界』なんて言ってごめんなさい。


 『滅びてしまえ』なんて言ってごめんなさい。


 神様どうか、この苦しみの世界から私たち二人を逃がしてください。


 涙を流しながら、ヒッテは生まれて初めて神に祈った。


「おうおうおう! 随分見せつけてくれるじゃねえの! こんな昼間っから盛っちゃって!」


 甲高い声で叫ぶように話しかけながら歩いてくる小柄な女性。


「こんなところで盛ってたら風邪ひくぞ」


 次いで出てきた大柄な獅子のたてがみのような髪と髭の大男。


「ベアリス様!」


 ヒッテがグリムナを抱きしめていた腕を放し、急いで涙を拭く。


「と、誰だか分からないおっさん!」


「トットヤークだ」


 なぜこんなところに、とヒッテが尋ねるとベアリスは意外そうな表情で逆に聞き返して来た。


「なぜって、うちの騎士達が森にグリムナと思しき人間が彷徨ってるって聞いたからですけど……逆に聞きたいんですけどグリムナさん達、私に会いにここに来たんじゃないんですか?」



――――――――――――――――



 グリムナとヒッテはすぐにベアリスたちが拠点にしている洞窟に通された。風が遮られているものの、やはりひんやりとする。真昼だというのに気温は15℃くらいだろうか。ベアリスはさすがに寒いのか、いつもの小汚いワンピースの上にジャケットというか、作業着のような上着を羽織っている。とても一国の元首とは思えない服装だ。


「それで、グリムナさんはここへ何しに?」


 ベアリスがうろうろと落ち着きなく歩き回りながらそう言うと、懐かしい人に会ったためか、少し気を持ち直したグリムナが彼女に答えた。


「民の避難を、誘導してほしいんです。俺もやってはいますが、やはり一人の力では限界があります」


 一人……その言葉にヒッテの胸がちくりと痛んだ。


 ベアリスはその言葉を聞いて「うーん」と考え込みながらうろうろと歩き、胸のポケットから水筒のようなもの……スキットルを取り出して口を開け、くい、と一口飲んでから答えた。


「っぷはぁ、もうすでに……」

「ちょっと待ってください、今何飲んだんですか?」

「え……?」


 ベアリスは鳩が豆鉄砲を食ったような表情だ。横で見ていたビュートリットとトットヤークは目を丸くして驚いている。


「今わたし……何か飲んでました?」

「飲んでました、じゃないでしょう! 陛下!! まだそんなとこに隠し持ってたんですか!!」


 ビュートリットがすぐに彼女に詰め寄って、凄い形相で胸のポケットから今飲んでいたスキットルを抜き取る。


「キャ! セクハラ!! それは! お守りみたいなもので、私には欠かせない物なんですよぅ!!」

「お守りじゃなくて飲んでたじゃないですか! まったく、油断も隙もあったもんじゃない!!」


 グリムナとヒッテは呆然とその様子を眺めている。一体何が起きているのか。すると、トットヤークが隣に来て小さな声でグリムナに事情を説明した。


「陛下は……重度のアル中だ」

「はぁ!?」


 グリムナとヒッテが揃って大声を上げて驚く。確かに年齢は二十を過ぎて、もう酒を飲んでも問題無い年ではあるものの、あのベアリスがアル中とは。


「原因ははっきりとは分からんが、おそらくは5年前の『野風の笛』じゃないかと言われている」


 ビュートリットはベアリスを手で押しのけながらスキットルの中身を洞窟の床にそそぐ。

「ああああ!! 命の水があ~~!!」


 グリムナはその様子を見てからトットヤークの方に向き直って尋ねる。


「もしや、前に言っていた『生きる力を失う』という、その副作用で……?」


「そうだ。王都にいた時からその兆候はあったんだが、前回お前に会ってからさらにその症状が酷くなってな、酒に逃げるようになったんだ」


 前回会った時……グリムナは記憶を失っていた。ベアリスの事も全て。自分が寄り添えないことが、彼女の症状を加速させてしまったのではないか、とグリムナは心の奥底で自分を責める。


「そもそも! 客人を迎えているのに酒飲みながら話聞くとか常識ないんですか、床を舐めないで下さい!」

「私は酒を飲んでからが正気なんですよ! 大地の味がする!」


 ベアリスはビュートリットに仔猫のように奥襟を引っ張られてぶら下げるように立ち上がらされた。


「うう……酷い……ええと、それで何の話でしたっけ? そうだ」


 完全に不貞腐れたベアリスは床に寝っ転がりながらグリムナに話を続けようとする。


「行儀が悪いですよ、陛下」

「こうするとお酒の匂いがチョットするんですよ。このくらい許してください。

 で、グリムナさん『避難を誘導』っていうのはグリムナさんが今やってる活動では?   噂には聞き及んでますよ。怪我人を癒しながら避難を呼びかける聖者の話」


 ビュートリットのお小言を無視してベアリスは話を続ける。「聖者?」とグリムナが聞き返すと彼女は横になって腕で頭を支えながら話す。


「そうです。自分の噂なのに知らないんですか? 聖者ベルアメールの再来とか言われてますよ。多分グリムナさんの事だと思ってたんですが……」


 グリムナはその言葉に表情を暗くして答えた。


「俺は……聖者なんかじゃない。竜の発生の秘密に気づきながらも、結局何もできなかった……無力な存在です」


  力なくそう答えるグリムナを見て、ヒッテはそっと彼の手を握った。逆にベアリスは力強く彼の言葉を否定した。




「いいえ。グリムナさんは間違いなく『聖者』です。やはり以前あなたを『勇者』に認定した私の目に狂いはありませんでした」


 寝っ転がりながら。

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