第189話 バツグンの吸水性
見渡す限り、荒涼とした大地に低木と草原が広がっている。辺りには山も森も見えず、地平線が見える光景。自然の恵みと、そしてその強大な力が支配する土地、ステップ。
「結構乾燥してるわね。草原地帯って聞いてたからもうちょっと湿度があるかと思ってたんだけど……」
フィーがそう言うとグリムナも辺りを見渡してから空を見上げた。
「夜になると冷えそうだな……こんな厳しそうな環境だとは……俺も知らなかった」
グリムナ達はオクタストリウム地方の北西部を占める広大なステップ地帯を訪れている。グリムナが野風の笛を使った『占い』によりこの方角にベアリスがいるはず、と踏んでの道程であったが、一歩そこへ踏み込むと彼らを待っていたのは過酷な自然環境であった。
ここは地政学上はオクタストリウム共和国の領土内であるものの、ほぼ共和国の支配は及んでいない土地であり、『寄る辺なき民』とか『まつろわぬ民』とか呼ばれる遊牧民、『タンズミッミル』が暮らしている土地である。
夏であるためグリムナ達は防寒用の衣類を持っていない。夜に寝るときに使うための毛布くらいである。ターヤ王国の元宰相、ビュートリットから手付金としていくらか
そのフード付きのマントを羽織って、からグリムナ達は道を進んでいる。
道、と言っても舗装されているわけではなくその部分だけ高い草が無くなっているのでかろうじて道であろう、と認識できる程度の、実際には獣道のようなものである。
ステップ地方に住むタンズミッミルはオクタストリウムの支配は及んでいないものの、物資を手に入れるため、共和国の商人と頻繁に物々交換で交易をする。それは主に彼らの土地の特産物である毛織物であったり、そのほかには人間、である。奴隷であったり、傭兵であったり。とにかく彼らの騎馬民族としての高い戦闘能力を評価している共和国側に徴兵としてではなく、交易として国防の力を貸しているのだ。
住む場所を転々として変える遊牧民ではあるが、民族全体がそういう暮らしをしているのではなく、村を形成して定住する人間もいる。遊牧をしている者がそういった村に行って交易をし、その村とオクタストリウムの商人や役人がさらに交易をする、いわゆる三角貿易のようなものである。
この道はそういった『村』のうちの一つに向かって続く道なのだ。
グリムナ達は最初、笛の指示した場所へ一直線に向かおうと考えていだが、旅の道中、最初の野営をしたところでその考えを改めた。あまりにも過酷だったからだ。まず、先ほどもグリムナが言った通り、夏だというのに夜になるとめっぽう冷える。そしてもう一つは飲食の問題である。
「この世界に命をもたらす母なる雫よ、我が意に答え、矮小なる手の内に集い給え……」
フィーが目を閉じて魔力を集中させると彼女の手の少し上の辺りの空間にみるみるうちに水分が集まり始める。やがてそれは2リットルくらいの量までたまると、量が安定したようなのでグリムナがそれを素早く用意していた鍋で受け止めた。
「全然足りないわね、これじゃ……」
鍋になみなみと張られた水を見ながらフィーがそう呟く。
人は一日に2リットルの水分を必要とする。まずは水の問題である。フィーやバッソーが使う水を生成する魔法、国境なき騎士団との戦闘時にスライムを退治するために使ったものと同じであるが、これは無から水を生み出す魔法ではない。空気中の水分を集める魔法なのだ。ステップや砂漠など、空気中の水分の少ない場所では思うように水を集めることができない。しかしそれでも日に何度か場所を変えながら水を集めればとりあえず生きていくには事足りそうではある。
「まあ、いよいよとなったら人の体の中にある水分を使うしかないわねぇ」
にひひ、と笑いながらフィーがグリムナの下半身を指さしながら言う。つまり、膀胱の中にある液体の事である。グリムナは嫌そうな表情をしながらそれに答える。
「そんなことするくらいだったら俺は死を選ぶよ……あと、セクハラ発言だぞ、やめてくれ」
最近グリムナへのセクハラはいくらやってもよい、という風潮がパーティー内にある。裁判所でケツの穴丸出しにするような奴にもはや人権などないのだ。
「まあ、いざとなったら、グリムナはバッソーのを貰うといいわ。私たちは女の子同士で交換するから」
「なんで他人のを貰うのが前提なんだよ。自分のを飲めよ」
「だってそれじゃあ一時的に尿を入れる入れ物が必要になるじゃない! それも人数分。それに、自分の出した尿を飲むなんて、そんな高度なプレイ私は経験ないわよ! バッソーはやってるかもしれないけど」
「他人のを飲む方がハードル高いだろう……」
フィーとグリムナが言い争っていると、鍋に干し肉と道端で摘んだ野草を煮込んでいたヒッテが声をかけてきた。
「そろそろ鍋も煮えますよ……そんなことにならないように一旦村に行って作戦立て直した方がいいかもしれないですねぇ……」
「そうじゃのぉ……ところで、フィー、さっきの話からするとお主ヒッテの尿なら飲めるという事か? それも容器を使わずに……?」
「な、なによ……あくまで仮定の話よ? 具体的に想像したりしないでよね」
バッソーの思わぬ問いかけにフィーは少し焦った。グリムナをいじろうとするあまり地雷を踏んでしまったことに気付いたのだ。その後はしばらく味の薄い、潮の味しかしない鍋を各自食べながら過ごした。干し肉と、野草だけの、ただ腹を満たすだけの味気ない食事である。
食事が終わった後、グリムナは風よけに利用している岩の反対側に寄りかかって空を眺めていた。周囲に明かりはなく、一面に星空が広がっている。夏だというのに、空気も澄んだようにきれいだ。ボーっと眺めていると、ボスフィンで起こったつらい出来事も忘れられそうなほど、自分の存在がちっぽけなものに感じられた。
「予想以上に厳しい旅になりそうだな……野生動物もほとんどいないし、保存食も足りない……ヒッテの言うとおり一度村によった方がいいな……」
グリムナがそう独り言を呟いていると、バッソーが寄ってきて、隣に同じように岩によりかかって話しかけてきた。
「旅のことを考えておるのか? グリムナ……」
何をするでもなくそのままバッソーも空を見上げる。グリムナはその言葉に肯定の返事を返したが、しばらく同じように空を眺めていると、バッソーは全く違う、関連性のないような話を始めた。
「グリムナ……『おむつ』というものを、しっておるか……?」
グリムナは思わずバッと首を振ってバッソーの方に振り向いた。突然何の話をしだすのか、このじじいは。とうとうボケてしまったのか。しかしバッソーはそんなグリムナの心境はお構いなしとばかりに話を続ける。
「そう、あの赤ん坊が着ける奴じゃな」
「そう」と言われてもグリムナは何も言っていないが、バッソーはグリムナの反応を待たずして言葉を続ける。どうやら何か少し興奮しているようである。
「最近の物はいろいろあってな、海綿やわたを中に入れたりして、数回分の小水なら履いたままでも吸収出来たりするんじゃ、それと、高齢者用の、大人向けのおむつもあったりする……」
グリムナは首をかしげる。いまいちバッソーが何を言いたいのかが分からない。まさかこのボケじじい、介護が必要で、おむつを履いているということだろうか。だとしたらこれ以上一緒に冒険を続けることなど無理かもしれないが。
「その『おむつ』をワシは今、履いておる」
ビンゴである。
「もちろんワシは普段から尿漏れをしとるわけじゃない。そういう時のために履いているのではないのだが……」
青ざめているグリムナの表情に気付いたのか、バッソーはそう付け加えた。しかし、だとしたら何故そんなものを履いているのか。趣味だとでもいうのか。
「試しに、さっきフィーと話しているときに思いっきり放尿してみたんじゃ」
趣味であった。
「こっちが放尿しているとも知らずに普通に話を続けておって……大興奮じゃったわい」
グリムナの理解の範疇を超えた、あまりにも高度なプレイであった。こういうものを『ファンタジスタ』というのだ。そして……
「なんでそれを……俺に言うんですか……」
人は秘密を自分一人で抱えたままにはできない生き物だ。彼に打ち明けることまで含めて、一連のプレイだったのである
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