第219話 勇者グリムナ

「やなこった」


「??……!?!????!?!?!?」


 ビュートリットはまず自らの耳を疑った。もはやそんな聞き間違いをするほどに自分の死が近づいてきているのか。しかし周りをよくよく見てみると傍で話を聞いていたヒッテとバッソーもベアリスの言葉に目を丸くして驚いている。


 どうやら、やはりベアリスがビュートリットの提案を蹴飛ばしたのは事実のようであった。


 ビュートリットはもう一度、懇願するようにベアリスに話を持ち掛けようとしたが……


「ど、どうか、この国を……」


「それは別にどうでもいいんですよ。最初からそのつもりでしたから。

 問題はその先です」


 その先……その先とは何か、自分は『この国を頼む』以外に何か言っていただろうか、いや他には何も言っていないはずだが、とビュートリットは自問自答しているが、ベアリスはさらに言葉を続けた。


「国の事はもちろん私も誠心誠意対応するつもりですが、なに自分だけ格好つけて死んで、面倒なこと全部他人に任せようとしてるんですか、私は内政の手腕なんてないんですから、細かいところは全部ビュートリットさんにやってもらいますからね!」


「…………」


 そんなこと言われても……


 お前に腹を剣で貫かれて、今から俺は死ぬんだが……


 とは言えず。


「ビュートリットさん何か勘違いしてるみたいですけどね。自分だけ死んで面倒くさいことから逃げようったって、そうは問屋が卸さないですよ。私達に悪いことをしたと思っているんなら、格好つけて死ぬんじゃなく、これからも泥臭く生きて、足掻いて、働いてもらいますからね! なんたってこっちには……」


 ベアリスがくいっと親指を立ててグリムナを指さす。


「グリムナさんがいるんですから!!」


「その通りです。俺の目の前で『死を選ぶ』なんて選択肢は存在しません」


 グリムナは一歩進んでビュートリットのすぐそばにしゃがんで話しかける。


「死ぬは易く、生きるはかたし。生きることがどれだけ大変なことかは俺はよく知っています。そして、それでも『生きろ』と、俺は言わせてもらいますよ。

 生きて、生き延びて、逆臣のそしりを受けようとも、民の反発を招こうとも、血で血を洗う戦いに身を投じようとも、法廷でホモのおっさんにケツの穴をいじられようとも、聖騎士に浣腸してうんこまみれになろうとも、砂漠の真ん中でケツの穴に水筒を突っ込まれようとも、それでもやはり、生き延びることこそが罪を償うことになるんです」


「そんな具体的に変な目に合って生きてる奴なんていないと思うけど……」


「ここにいんだよバカヤロウ!!」


 ゴッ、という鈍い音と共にグリムナの右ストレートがビュートリットの顔面を撃ち抜いた。死にかけのけが人になんということをるすのか、などと言う非難の声は誰も上げない。グリムナの回復魔法の能力の前には『死にかけのけが人』というカテゴリなど存在しないも同じである。


「ぐ……うぅ……ど、どちらにしろ、私はもうここまでだ。あとは、たの……」


「だから、そうはいかないっていうんですよ!」


 殴られて吹っ飛んだビュートリットの上半身を抱え上げ、肩をがっちりとホールドしてグリムナはそう言うと、間を置かずして戸惑っている彼に一気に唇を重ねた。


「ぬんむっ!? んん! んんんんっ!?」


 ぶちぢちゅうううぅぅぅぅぅぅぅ……


 ビュートリットのくぐもった声と、二人の粘膜が十分に接触した、水音とともにしばし沈黙の時間が流れる。ビュートリットは涙を流しながらグリムナの肩をパンパンとタップするが、しかしそんなことで容赦する彼ではない。


 ちゅぽんっ、と二人の唇が離れる音とともに、ビュートリットがその場に力なくあおむけに倒れた。


「あ……あひ……あへ……」


 情けなくアヘ顔ダブルピースを見せながら朦朧とした意識で夢と現の狭間を彷徨うビュートリットの衣服をめくりあげて、グリムナが腹の傷を確認する。衣服には血が付着してはいるものの、そこにはすでに傷跡すらない綺麗な状態の皮膚があるだけだった。


 当然だ。回復魔法は彼の十八番。目の前でまさに死のうとしているけが人をむざむざ見過ごすはずがないのだ。


「えと……別にキスじゃなくて、普通の回復魔法でもよかったのでは……」


「何言ってるんですか!」


 ヒッテが冷静な突っ込みを入れるが、しかしベアリスは目をキラキラを輝かせながらグリムナをほめたたえる。


「これこそが、グリムナさんの愛ですよ! 愛は世界を救うんです! グリムナさんは それを身をもって知らしめるために、ビュートリットさんと愛の口づけを交わしたんです! この尊さが分からないんですか!」


 しかし、当のグリムナがヒッテの言葉を聞いて少し冷静になって眉をひそめているのだ。彼自身テンションが上がりすぎてよくわからない行動をとってしまっていたようである。

 それにしてもベアリス、彼女もまた腐女子の才能があるのかもしれない。


「う……うぅ? いったい何が……?」


 ビュートリットが正気に返ったようで、辺りを見回しながら自身の腹をまさぐる。彼も傷が治っているように気付いたようで、ふぅ、とため息をつきながらグリムナ達の方を見ながら言葉を発した。


「私は……助けられたのか……深い傷だったと思ったのだが……もう傷も残っていないとは、こんな強力な回復魔法があるんだな……」


 しかし、彼は表情に影を落とし、ベアリスの方を向いてから暗い口調で話しかける。


「それでも私は逆臣であることには変わりありません。ベアリス様、あなたの王としての最初の仕事が逆臣を誅することなのです。その御覚悟がなければ王になるなどゆめゆめ考え召されませぬよう。人の上に立つ者は原理原則に基づいて動かねばなりません。さあ、裏切り者を処刑……」


「何もありませんでした」


「……は?」


 ビュートリットの言葉を遮って聞こえたベアリスの発言に、彼は思わず聞き返した。何が、『何もなかった』のか……?


「何もない、とは……? 私は、ベアリス様を亡き者にしようと、あわよくばこの国を乗っ取ろうと画策した逆臣……」


「何もありませんでした!」


 再びベアリスがビュートリットの言葉を遮った。


「いいですか? 私は、今、生きてここにいます。ターヤ王国のビュートリットさんの治める土地、カルティッシウムの居城にです。当初の予定通り保護されたんです。私が革命派に暗殺されたというのは誤報でした。もちろん、私を保護しようと動いていたビュートリットさんが私の命を狙うはずもありません。そんなことしても何の得もありませんから!」


「は……? あ、いや、え、まさか?」


 そのまさかである。まさに自分が命を狙われ、砂漠に置き去りにされ、普通であれば死ぬような目にあわされて、それを『なかったこと』にしようというのだ。グリムナはこうなることが分かっていたのか、余裕の表情を崩さないが、ヒッテとバッソーは目を丸くして驚いている。ベアリスがビュートリットに直接会って何を話すかまでは聞いていなかったのだ。


「い、いや、いくらなんでもそれは……命を狙った逆臣が何のお咎めもなしというわけには……」


「私の命を狙った人なんて、いませんでした。いいね?」


「アッ、ハイ」


 力で押し切られた。ビュートリットの敗北である。


「それから、グリムナさん!」


 ベアリスはグリムナの方に振り返って話しかける。


「ちょっとそこに跪いてください」


 グリムナは言われるままに片膝をついて、頭を下げると、ベアリスは剣の峰を彼の右肩に置いた。


「グリムナさんにはグリムナさんの旅の目的がありますから、その行動を制限するようなことはしません。だから、騎士の叙勲とかはするつもりはありませんけど、その代わりに……」


 そこまで喋ってから、ベアリスは深呼吸をし、少し緊張しているのか、神妙な面持ちになってから言葉を続けた。


「汝、グリムナ。ターヤ王国の女王としてベアリス・フルフ・ターヤが、民を守り、全ての残酷さと対峙する者として、汝を勇者と認めます」


 その言葉を聞いてグリムナは驚き、思わず顔を上げてしまった。


「ふふ……ターヤ王国の女王としての初仕事は、グリムナさんの勇者認定ですよ。なんだか伝説になりそうな予感がしますね」


 ベアリスはにっこりと、いつもの朗らかな笑みを浮かべてそう言った。


「……謹んで……お受けいたします」

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