第39話 嬉ション
「今日は解散!!」
「え?」
突然のシルミラの解散宣言にグリムナが阿保面で聞き返す。
「え? どういうこと? 解散って? まだ用事済んでないんだけど……」
疑問符を浮かべながらグリムナがさらに質問するが、シルミラは額に汗を浮かべているだけでこれに答えない。ラーラマリアは全然喋らなくなってしまって、完全にお地蔵さん状態である。
「ちょっとちょっと、結構遠くからきたのよ? いきなり解散なんて言われても納得できないわよ。何があったの?」
そう言いながらフィーとヒッテがラーラマリアの近くに歩み寄っていった。シルミラはグリムナを手で押して少し距離を取らせるとフィーとヒッテの二人に何か小声で話しながらラーラマリアの様子を見せた。
「あっ……あちゃー……これは……」
何かぼそぼそとフィーが独り言をつぶやいているのがグリムナにも聞こえてきたが、まるで事情が見えない。直前まで大分興奮した様子で嬉しそうに喋っていたのに、なぜ急に黙って固まってしまったのか、そしてなぜ自分だけが事情を教えてもらえないのか……グリムナが戸惑っていると、フィーがこちらを振り向いて一言。
「今日は解散!!」
シルミラと同じ結論であった。
「なんでだよ! なんで俺にだけ事情を話してくれないんだよ!!」
相変わらずラーラマリアは固まったまま動こうとしないが、ヒッテがグリムナに歩み寄ってきて小声で話しかけた。
「ご主人様、ちょっと来てください、こっちで話します」
ヒッテはそう言うとグリムナの腕を引っ張ってラーラマリアたちから50メートルほど離れた位置まで引っ張っていった。レニオも不思議そうな表情で後をついてくる。
「ご主人様、そんなにあの女勇者のことが気になりますか? 危険を冒してまで助けなきゃいけない人物なんですか? そこまでの価値がある人ですか?」
「何言ってんだ! 暗殺者が来てるかもしれないんだぞ! それにラーラマリアは俺の幼馴染だ。お前にとっては赤の他人かもしれないけど、俺にとっては家族みたいなもんなんだ」
「家族、ですか……」
グリムナの言葉を聞いてヒッテはそう言ったきり、少し考え込んだ。結局何があったのか、とレニオとグリムナがじっとヒッテの表情を覗き込んでいると、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「嬉ションやらかしました。勇者様が」
一瞬何を言ったのかが分からなくてグリムナとレニオが固まる。
「うれしょん」……「うれしょん」とは何だったか、どこかで聞いたことがある気がする。グリムナは記憶の糸を手繰り寄せて思い出そうとする。
「うれしょん」とは子犬などが遊んでいるときにテンションが高くなりすぎて意図せず小水を漏らしてしまう行為を指す。
「え? 漏らしたの? ラーラマリアが……」
「また?」
「また!?」
レニオの「また」という言葉に思わずヒッテが逆に聞き返した。「また」とはどういうことか、この女そんなにしょっちゅう漏らしてるのかという疑問である。
「どういうことなんですか、勇者様ってそんなにしょっちゅう漏らしてるんですか? 世界救う前に勇者様に介護が必要じゃないですか。勇者ってそんなやらかしててもできる職業なんですか!?」
「いや、割とどんな職業でもやらかしちゃいけない部類の行為だとは思うけど。勇者じゃなくても」
「え……だって、おかしいでしょ? 人類の希望たる勇者様がお漏らしって……そんなんで勇者を名乗るって、関係各所にご迷惑が掛からないですか。そんな股の緩い女が勇者やってていいんですか?」
「まあ、ご迷惑以外の物もかかるかもしれないけど……あと、『股の緩い女』って言い方やめてもらえる? なんか全然別の意味に聞こえるし」
急にまくし立てて言ったヒッテにグリムナが困惑しながら答える。さらにレニオもちらり、とラーラマリアの方を見ながら言った。
「あんまり大きい声出すと聞こえるわよ。アタシとグリムナが知ってる限りでは2回ほど漏らしてるかな……あの様子だとそれ以外の時にも漏らしてる可能性も捨てきれないけど……」
捨てきれないどころか、シルミラのリアクションを見る限りその可能性は大いに高いと言えよう。ともかく、先ほどまで朝日を浴びて神々しく黄金色に輝いていた勇者ラーラマリアはみっともなく股間から黄金水を垂れ流したらしいのだ。グリムナはあきらめ顔で小さく呟く。
「全く……なんでいつもこう、しっちゃかめっちゃかになるんだ……」
「とにかく、ちょっとフィーさんと相談しましょう」
そう言ってヒッテはグリムナの手を引いてフィーたちの元に歩いて行った。
「どうです? フィーさん、話しできる状態じゃ……ないですよね……?」
「そうね。精神状態もアレだし、明日にした方がいいかしら。……それより、グリムナにはちゃんと言葉を濁して、ごまかしてくれたの……?」
最後の方をフィーは声を落として小さくヒッテに問いかけたが、ヒッテはしばらくフィーとグリムナの方をくるくると目線を回してから自信満々に答えた。
「もちろん」
(バッチリ一部始終を聞かされちゃったんだけど)
グリムナは微妙な表情をして状況を把握していないふりをする。しかし、強行軍でここまで来たというのにこのありさまである。何ともやりきれない。しゃがんだまままだ動かないラーラマリアの背中をぽんぽんと叩きながらシルミラが口を開いた。
「ねえ……さっき『フィーさん』って呼んでたけど、まさかその人ってダークエルフのフィー・ラ・フーリさんじゃないよね……?」
「いや、まさにその、フィー・ラ・フーリさんだけど、知ってるのか? シルミラ」
グリムナがそう答えると、シルミラは急に立ち上がった。ダークエルフという希少な種族だし、彼女は魔法の腕も相当である。もしや、魔法使いの界隈では彼女の存在は有名なのだろうか、とグリムナが考えていると、シルミラはフィーに歩み寄りながら懐からゴソゴソと何かを取り出した。それは小さな冊子のような薄い本であったが、それをフィーの方に見せながら興奮した面持ちでシルミラが話しかけた。
「すごいっ! 本物のフィーさんだ!! あの、私! いつも新刊チェックしてます!! この最新刊も、なんというか、本当に!もう!! 尊くて!! サイン貰えませんか!?」
グリムナは思い出した、そういえばこの女も腐女子であった。腐女子界隈で有名な女なのだ。
「フフ、やっぱり隠しても分かっちゃうものなのね……こんなところにまで私のファンがいるなんてね。こういう交流も悪くないものね。ヒューマンの国くんだりまで来た甲斐があったわ……」
フィーは得意顔でシルミラの持っていた本にサインをさらさらと書いた。シルミラはショーウィンドウに飾られたトランペットを見る黒人少年のようなキラキラした目でそれを見ている。
「つ、次の新刊とかもう書いてるんですか? どんなのになるんですか!? さわりだけでも教えてもらえませんかね……」
「ふふ、次ももちろんナマモノでいくわよ。何しろグリムナという百年に一度の逸材にあってしまったからね。それにね、ここに来る途中またすごいのに会っちゃったのよ……ブロッズ・ベプトっていう騎士なんだけどね……」
大変に盛り上がっている二人を置いて、グリムナは呆れ顔で距離をとった。
「付き合いきれん……フィー、例の話、注意だけでもしといてくれよ。俺たちは明日また改めて話に来るから。ヒッテ、もう今日は宿を探して休もう。こいつらに付き合ってたら日が暮れるわ」
そう言って踵を返したグリムナであったが、レニオが静かに顔を近づけてきて、小さい声でグリムナに語り掛けた。
「グリムナがさっき言ってた『暗殺者』って話と関係あるか分からないけど、昨日くらいからアタシ達のことを嗅ぎまわってるやつがいるみたい……グリムナ達も気を付けてね……」
この言葉にグリムナは一瞬目をむいたが、すぐに何でもない表情に戻った。『その者』が今も見張っている可能性があるからである。
「レニオ、お前たちが今日とってる宿の場所を教えてくれ。俺達もなるべく近くに宿をとるようにする……」
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