第296話 体は覚えている
「ちっ、女はこの年増一人だけか、ついてねぇな」
「さっさと殺っちまえ、男なんて奴隷にするにしてもリスクが高いしな。荷物だけ奪うぞ」
「ま、待ってくれ、荷物は全部やるから、命だけは!」
「悪りぃな、生かしとく理由がねんだよ」
そう言って山賊らしき男は腰に差していた剣を抜いた。
なんとついていないことか、人通りもない山道の中、大きな荷物を台車で引いていた家族に襲い掛かりたる5人の山賊。
数は少ないと言えども全員が斧か剣を得物としている。こんなことなら金をケチらず隊商に混ぜてもらいながら進むべきだった、そう後悔しても先には立たぬ。哀れ、3人の家族とその長たる父親は山賊の剣のさびとなるかと思われたのだが……
「うおっ!?」
藪の中から突進してきた何者かの体当たりを受けて、剣を振りかぶった山賊の一人が吹き飛ばされた。
「大丈夫ですか!?」
藪から出てきたその『影』は黒髪の青年であった。あわや、というところで助けが入ったのだが、旅の家族はまだ恐慌状態で受け答えができる状態ではない。
「はぁ……ったく、何やってんのよ、グリムナは……」
ラーラマリアはまだ藪の中から様子を窺っている。
最初は彼女は目の前に現れた旅の家族から金を巻き上げようと考えていたが、偶然そこに山賊が現れて先に彼らを襲った。まあ、有り体に言えば獲物を横取りされた、とでもいうところなのだが、しかしよくよく考えればこれは彼女にとっても良い方向に話が転がっていた。
何しろその直前のやり取りからするとどうやらグリムナは旅人を殺して金を奪う事には反対だったようで、少しラーラマリアと険悪な雰囲気になっていたからだ。
「計画を変更して、あの山賊どもから金を奪えばいいか」
ラーラマリアはすっくと立ちあがり、その姿を見せた。
グリムナが山賊に体当たりをかましてからまだ3秒ほどしかたっていないものの、しかし奴らの立ち位置、グリムナとの間合いの取り方、武器の握り方、重心の置き方から大したことのない奴らだという事は十分分かった。
戦力分析はすでに終了、あとは5人の山賊を皆殺しにして終わりだ。うまくいけば旅人からも謝礼でも貰えるかもしれない。そう思いながら悠々と近づきながら剣の柄に手をかけるラーラマリア。
しかし叫び声の様なグリムナの声がそれを制止した。
「剣を抜くな、ラーラマリア!」
ラーラマリアはその場に立ち止まってきょとんとした表情で固まってしまう。
「へっ、上玉がいるじゃねえか、こいつぁついてるぜ」
山賊は後から現れたラーラマリアを見てにやにや笑いながらそう呟いた。
「だがその前に……」
いくらラーラマリアから見て『素人』だったとしてもやはり命のやり取りの中で生きている山賊だ。グリムナの注意が自分達からそれたことを見過ごすほど間抜けではなかった。彼の視線がラーラマリアにいったその刹那、腰の剣を抜き放ち、内薙ぎにグリムナの首を刎ね飛ばそうとする。
しかしグリムナもくぐった修羅場の数は山賊ごときに負けはしない。5年間もの間戦闘から遠ざかっており、記憶も失っている。
だが、小脳は覚えているのだ、生き残るすべを。
グリムナは一瞬で間合いを詰めて山賊の肘を押さえ、剣を止める。それと同時に山賊の髪の毛を掴み……
ぶちゅうううぅぅぅぅ……ポンッ
「あひぃ……」
山賊は焦点の合っていない瞳と、よだれまみれの恍惚の表情を見せながらその場に崩れ落ちた。
そう、グリムナは旅に出てからの記憶を確かに失っている。
しかしそれでも、彼の慈愛の精神が失われたわけではないのだ。
『その技』を授けられた時のことは忘れていても、決して精神までは無くさないのだ。
たとえ大脳は忘れていても、小脳は忘れないのだ。
ぎろり、とグリムナが次の標的に照準を絞る。
「ひ……」
状況の分からない山賊は恐怖に顔を歪める。
「イヤァッ、誰か助け……ッ!!」
※山賊の悲鳴です
「んむちゅううぅ……」
「ん~! ん~ッ!!」
逃すはずがない。
山賊はグリムナに組み敷かれ、バンバンと彼の肩をタップするが、しかしグリムナが拘束を緩めるはずもなし。
「ぬふぅ……」
唇が離され、どさりと山賊の身体が仰向けに崩れ落ちた。
(俺は……いったい何をしているんだ……?)
グリムナ自身、自分の行動の合理的理由が分からなかった。旅人を助けなければ、そう思って考えるより先に体が動いたのは事実だ。
そして、山賊の攻撃に反応してとっさに反撃に転じたのもまた事実であった。
しかしその『反撃』の内容がなぜ『キス』なのかは思い出せなかったし、それによって山賊たちが行動不能になるのも訳が分からなかった。
しかし、そうすることが自然なように感じられたのだった。
しかしこの事態に焦燥する者が一人いた。
これはまずい。良くない。これではまるで『あの時』の再現だ。
そう感じたのはラーラマリアである。
二度と彼女がグリムナを追放することなどないだろう。しかし戦いを続けていればいつか、反復された体の動きからグリムナが記憶を取り戻してしまうかもしれない。そう考えたラーラマリアは前に出る。
『グリムナに戦わせてはいけない』、そう思ったからだ。
追い詰められた山賊にとってはこのラーラマリアが格好の標的に見えた。山賊の一人が彼女の方に手を伸ばしながら叫ぶ。
「動くな! こいつがどうなっても……」
だがそれこそが彼の人生の失着であった。相手がグリムナであれば、けがをすることもなく、戦闘不能にされるだけで済んだものを。
ゴッ、と鈍い音がして、彼の人中(鼻の下の急所)にラーラマリアの肘がめり込んだ。即座に山賊は意識を失ってその場に崩れ落ちた。
残りの二人の山賊どもはもはや対処できる事態ではないという事に気付いて、仲間を捨てて走って逃げて行った。
「ふう、ふう……」
グリムナが呼吸を整える。当面の危機は去ったのだ。振り返り、旅人たち、おそらく家族の長であろう父親らしき人物に話しかける。
「大丈夫ですか? 怪我は……」
「ひいっ! 寄るなァ!!」
父親は腰を抜かしてしりもちをついて後ずさりをする。
(軽くショックだ……)
助けてやったのにこの仕打ちである。
「まあ、でも旅人たちにも山賊にも死者が出なくてよかった……」
グリムナがそう呟くとラーラマリアの顔面が蒼白になった。
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