第295話 変わらない君でいて

~前回までのあらすじ~


 竜の惨禍の中、一騎打ちをするグリムナとラーラマリア。しかしラーラマリアにグリムナを殺す意思はなく、わざと彼の剣に貫かれて自ら死を選んだ。

 しかしその後グリムナもメザンザに胸を貫かれて死亡。


 ヒッテの歌により九死に一生を得たグリムナであったが、完全に蘇る前のわずかな時間の間に、意識を一瞬取り戻したラーラマリアが異変に気付き、彼を助けるために『水底の方舟』を発動する。


 その後、『方舟』の中で蘇ったグリムナはラーラマリアの死体と共に5年間の時を過ごすこととなった。耐えきれない孤独と無刺激の部屋、そして自分が幼馴染を殺したという事実に向き合いきれず、グリムナは次第に正気と記憶を失っていく。


 5年後、遡及すらも起こる時の流れの不安定な方舟の中、ラーラマリアが息を吹き返す。方舟は術者が意識を取り戻したことが影響してか、二人を元の世界に押し戻したのだった。



―――――――――――――――――――――



「止まった? 鼻血」


「ああ、止まったみたい……ハハ」


 山の中で二人きりで何をやっているんだろう、とグリムナは思って噴き出してしまった。


「うふふ、……ふっ、エヘヘ……」


「あ……また涙が……」


 ラーラマリアの瞳からはまた一筋の涙が流れた。彼女はそれに気づくと自分の指でそれをすくって、にこりと微笑んで答える。


「ほんとに、なんでもないのよ。ただ、グリムナとまたお話ができるんだ、と思ったら……嬉しくって」


 以前とは違う。


 真っ直ぐな好意をそのままぶつけてくる。


 もう二度と、間違えない、と。


 初っ端からいきなり嘘ついたけど。


「行きましょうか」


 二人は立ち上がり、山を下り始める。ここがどこかは分からないが、しかしとりあえずは人里に出ないと話にならない。そのためには道を探さなければならない。ラーラマリアがグリムナの手を引き、山をゆるゆるとした速度で歩き続ける。彼女が時折枝を払うのに使っている剣は聖剣エメラルドソードだ。


 竜を倒すために作られた聖剣がまさか藪を払うために使われるとは。


 それはともかく、しばらく、と言っても3時間ほど山の中を進んでいるとラーラマリアがふと立ち止まった。不思議そうな顔をするグリムナにラーラマリアは人差し指を口に当てて「静かに」というジェスチャーをする。


「誰かいるわ」


 小声でそう言いながら、ラーラマリアは自分の髪の毛の先を指でつまんで風向きを確認する。風下から近づこうというわけだ、慎重である。


 先行するラーラマリアが、身をかがめながらグリムナを手招きして藪の陰に身を隠す。どうやらターゲットを見つけたようだ。


 グリムナも彼女の横に移動して藪の陰から対象を観察する。それは夫婦と思しき男女、それに男の兄弟だろうか、一人は10歳くらいの、まだ少年であり、兄の方は年が離れているのか20歳弱くらいの青年であった。全員大きな荷物を抱えており、何か理由があって引っ越しでもするのか、そんな様子であった。


「ただの旅人みたいだな……」


「グリムナ、あなた手持ちある?」


 唐突な質問にグリムナは首をかしげる。なんとなく嫌な質問だ。女性にこういうことを聞かれた時、次に来るのはカツアゲ……そんな気配が何となくした。

(過去にヒッテとメルエルテにカツアゲされている)


「いや、持ってないけど……なんで?」


 確かに所持金はなかった。そしてどうやらラーラマリアも持ち合わせはないようであったが、しかしなぜ今そんなことをきくのだろう、とグリムナは疑問に思った。


「よくよく考えたら、人里まで行って、その先の事を考えてなかったのよね。今、持ち合わせも金目のものもないから、町に行っても宿にも泊まれないし、食事もできないわ」


 そう言われてみればそうである。確かに所持金がないので町に行ったところで何もできないのは確かだ。そこはグリムナは腑に落ちた。それはいいのだが、なぜ今このタイミングで、それを話すのだろうか。グリムナはそこが分からなかったのだが、すぐにその疑問にはラーラマリアが答えてくれた。


「あいつらをぶっ殺して金を奪いましょう」


「……え?」


 聞き間違いか、一瞬そう思ったが、ラーラマリアは剣の柄に手をかけて今にも藪を飛び出しそうに身構えている。


「ちょ、ちょっとちょっとラーラマリア」


「なに? 私のタイミングで行きたいんだけど……あ、グリムナは子供の方を頼むわ。他の三人は剣を持ってる私が殺るから」


「違う!  ラーラマリア!」


 グリムナは彼女の両肩をがっしりと掴んで自分の方に向けさせる。ラーラマリアはハッと何かに気付いたようでおとなしくなった。


「こ……こんなところで?」


 顔を赤らめながら伏し目がちに一旦顔を背けてから、やがて眼を閉じて、唇を突き出した。何を勘違いしてるのだこの女は。


「聞くんだ、ラーラマリア。殺して金を奪うって? どうしてそんなことを!」


 ラーラマリアはきょとんとした顔でちらりと旅人たちの方を見てからグリムナの顔を見つめる。どうやら彼の声が大きいので気づかれやしまいかと思っているようだが、しばらくして彼の問いかけに応えた。


「どうしてって、お金がないと何にも出来ないから……」


「ラーラマリア、そんなことを言ってるんじゃない。罪もない人を襲って金を奪う、そんなことが許されると思ってるのか? ましてや子供まで!? 子供を襲うって、そんなことが何でできるんだ!」


「簡単よ、子供は足が遅いもの」


 グリムナは思わず言葉を失ってしまった。


 話がまるでかみ合わない。そもそもラーラマリアは自分の利益のために他人に害をなすことを全く悪だとは考えていないからだ。『そういう性格だ』という事を、彼は思い出した。女神のような外見に反して悪魔でもドン引きするような残虐な性格、それがラーラマリアなのだ。


 グリムナは気を取り直し、ゆっくりと深呼吸をしてから彼女に話しかける。


「いいか、ラーラマリア……人の命は、一度失われたら二度とは戻らない、大切な物なんだ……多分」


 最後『多分』とついてしまったのは自分とラーラマリアの死についてなんだか曖昧な記憶が流れ込んできたような気がしたからだ。


「それはそれとして、命には価値の違いがあるわ。あなただって自分が生きるために動物の命を食らうでしょう? それと何が違うっていうの? それとも豚は何か罪を犯したとでもいうの?

 私にとってはね、グリムナの命と、その次に自分の命が大切なんであって、それ以外の命に大した価値なんてないわ」


 グリムナは言葉に詰まってしまう。


 正論、と言えば正論である。但しそこには人の情というものもなければ法もない。きわめて残酷な論理の上に成り立っている、自らの命さえ危うくしそうな理論である。


「確かに極限状態で言えばそういう理論も成り立つのかもしれないが……だけど、今は違うだろう。お願いして食料を分けてもらうとか、お金を借りるとか、やり方はいくらでもあるだろう。いきなり暴力に訴えることなんてないだろう!」


 先ほどいきなり婚約者に頭突きをかましていたような気もしないでもないが。


「めんどくさいなぁ……」


 ラーラマリアは旅人たちを指さして答える。


「見てよ、あのどんくさそうな顔を。グリムナはね、今は記憶を失って何もできないかもしれないけれど、いつかきっとこの世界を救う救世主になる男よ。

 でもあいつらは違う。何の価値もないただ漫然と生きてるだけのゴミよ。それが同価値だなんて本気で思ってるの?」


 その時であった。旅人たちの方から叫び声が聞こえた。


「キャアアァァァッ!」

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