第65話 国境なき騎士団

「こっちだな……この真新しい木靴の足跡はまず間違いなく村人のものだろう」


 村人たちの一部が盗賊を追って山に入った。数は20人ほどである。そこまでは分かっているのだが、どこに向かったのかも、ましてや盗賊達の本拠地も分からない。結局グリムナ達は村人たちの足跡をつけて追っているのである。


「はぁ……これじゃあまず間違いなく村人たちの方が盗賊団に行き当たるでしょうね」


 フィーがため息をつく。しかしそれはグリムナも分かっているのだ。村人もおそらく盗賊に負けて捕まってしまうか、殺されるのか……敵に恐れをなして二の足を踏んでいてくれればよいのだが。


 さて、足跡を確認したグリムナが再び道を行こうとすると、フィーがそれを制止した。口に人差し指を当てるジェスチャーをして耳の後ろに手を当てる。何かを『聞き取った』ようである。


「近くに人がいるわ……多分大人数じゃない。話し声もしないし……村人じゃなさそうね……行ってみる?」

「そうだな、遠くじゃないなら行ってみようか」


 グリムナがその案に賛同すると今度はフィーが先頭になって歩き始める。偶然か必然か、フィーが歩く先はグリムナが足跡を追ってゆこうと思った道であった。


 しばらく歩くと、フィーは立ち止まって後ろの二人を制止した。そのまま道を外れて茂みに入っていくどうやら目当ての人物に行き当たったようだ。まずは相手から見えないところで様子を見ようということだろう。


「遅かったか……」


 フィーが額に汗をにじませながらそう呟いた。


 グリムナの位置からはその姿を視認することはできなかったが、すぐに異常事態に気づいた。血臭である。鼻は人間の知覚器官の中で最も早く危険を知らせるものである。その鼻がグリムナとヒッテにもこの『場』の異常事態を知らせたのだ。


 グリムナが恐る恐るフィーの横に並んで様子をうかがう。


 その先に見えたものは、道から少し開けた場所で何かに腰かけて休んでいるらしい大男であった。座っているのでよくは分からないものの身の丈六尺はありそうな大柄な体に野太い腕が生えている。2リットルは入りそうなとっくりの注ぎ口のくびれに縄を巻いて、そこを取っ手にしてぐいぐいと酒をあおっている。


 しかしもちろん血臭はその男からしているのではない。深き森なれど、時はいまだ昼飯前、木の葉の間から十分に日はさしている。その木漏れ日の中に見える男が座していた『かたまり』、うず高く積まれた『何か』は、人の体であった。盗賊を追ってきた村人共だったものだ。よくよく見てみれば辺りにも人の体が散乱している。男の手元にはマグロでも解体しようかという巨大な鉈が無造作に転がっており、その鉈で村人たちを物言わぬ体とせしめたのだろうか、散らばっているのは良く見れば体だけではない。農具なども転がっていることからまず間違いなくこの男が山に入った村人共を返り打ちとしたのであろうことが見て取れた。


「出てこんか、そこんやつら」


 男が不意に徳利から口を離して話しかけてきた。しまった、感づかれてしまった。茂みに入れば枝や葉を踏んで音がする。隠れて近づくために道を外れて茂みに入ったのは悪手だったかもしれない。そうグリムナは数瞬後悔した後すっくと立ちあがり姿を見せた。


「一人じゃねぇだろうがよ……まあいい。儂になんか用か」


 男はまだ20代くらいの若者に見えたが、いたるところに血痕が付着しており、無精ひげもそのままに、小汚い身なりであった。グリムナは目を伏せ、辺りに力なく倒れている村人を見ながら答える。


「村人たちを止めに来たんだが……遅かったか……俺が昨日何時間もかけて死ぬ思いで助けた人たちを……簡単に殺しやがって……」


 言葉に静かな怒りをにじませるグリムナ。しかし男はどこ吹く風、という感じでまたぐいっと酒をあおりながら答えた。


「しょうがねぇだろ。傭兵家業は舐められたら終いだ。百姓が遊びたいって駄々こねるから付き合ってやっただけだ」


 男はそう言ってカカカッと笑った。それにしても目当ての村の若い衆のおそらく全員の死体がここにある。彼が一人でやったのであろうか、結局こいつらはただの野盗なのであろうか。だがそれ以上に考えねばならないことがグリムナにはある。


「で、あんたは何だ? こいつらの敵討ちか?」


 そう、ここで彼と事を構えるか、である。


 いずれは、戦うことになるだろう。賢者バッソーを取り返さなければならないし、昨晩さらわれた村の女子供にしてもそうだ。だが、それが今か、となると少し考える。まだ敵の規模も正体も分からないのだ。逆に相手がどういう連中かが分かれば戦いようもあるというものである。

 その時、男の手前に倒れていた死体がピクリと動いた。いや、死んでいなかったのだ。


「う……助け……」


 意識を取り戻した村人の一人が上半身を起こしてグリムナに助けを求めたのである。グリムナはすぐに駆け寄ろうとしたが、それよりも男の動きの方が早かった。


「悪いな、痛み止めじゃ!」


 行為の是非を問うことすらせず、瞬時に大鉈で村人の頭を割ったのである。


「貴様……助けられたのかもしれないのに……!!」


 怒りをあらわにするグリムナであったが当の男は鼻をほじりながらしらけ顔をしている。


「何を怒っとるんじゃ……人なんぞいくらでも湧いてくるもんじゃ。それより苦しんでる奴に痛み止めを打ってやることの方が優しさじゃろう」


 事も無げに言い放つ男にグリムナは真っ直ぐにらんで対峙する。もはやこの非道なものをタダで返すつもりは彼にはない。ハラは決まったのだ。グリムナはマチェーテを右手に、構えをとりながら言った。


「この狂犬め……ッ! 敵をとってやる……」


 グリムナが事を構えるに至ったのは怒りからだけではない。全員が確実にとどめを刺されたわけではないと分かったのだ。ならば治療すれば助かるものもいるかもしれない。しかし目の前のこの男をどうにかせねばそれもままならないであろうことは火を見るよりも明らかだからだ。


 さて、グリムナが構えると男の方も立ち上がって大鉈を右手に持って半身に構えた。大鉈は長さは1メートル強と言ったところだが刃厚がグリムナのマチェーテの倍はある。さらに言うなら鉈もでかいが男もでかい。190センチ近くはある巨躯である。さながら歩くギロチンの如き威容である。

 しかもこの男は相手が百姓とはいえ20人からなる村人を木の葉の如くなぎ倒した人間でもある。グリムナも最近ヒッテに戦い方を教えては貰っているものの、果たしてこの男に適うのかどうか……


 男は余裕綽々、大振りでスリークォーターに鉈を振り下ろしてくる。遅い……そう感じてグリムナは一気に間合いを詰める。大きく、長いものは速く、強い。これは変えようのない事実である。グリムナは決して小柄ではないがこの男には負ける。大きなものに対して小柄なものが唯一勝るもの、それは『敏捷性』である。

 体が大きければ慣性力も大きくなる。それはすなわち加速、減速、方向転換、そう言った動きで差が出てくるのだ。トップスピードではやはり大きなものに軍配が上がるが。

 ともかく、グリムナは相手が振りかぶる兆しを見せた瞬間重心を後ろにやって、『逃げ』の姿勢を見せた。相手がそれを察知して腕を伸ばしてリーチを遠目にとった瞬間、いや、その数舜前である。グリムナは一気に間合いを詰めていたのだ。


 これならいける。俺の体は相手の刃の内側に入れる。そう思って間合いを詰め続けるグリムナであった。実際のところ男の獲物がグリムナに達するころ、彼は既に大鉈の柄の部分までその体を推し進めていたのだ。これなら致命傷にはならない。そのまま攻撃を続けようとしたが、なんと彼の体はそのまま大鉈の柄になぎ倒され、吹き飛ばされてしまった。


 なんという馬鹿力か。大きく間合いの外に出た状態でグリムナは体勢を立て直す。


「百姓とは違うな……」


 男はゆっくりと体勢を立て直す。


「てめぇ、一体何者だ? わしら『国境なき騎士団』に喧嘩売るとはいい度胸じゃ」


「国境なき騎士団だと……?」


「なんじゃ初めて聞くのか!? 西で戦と聞けば西へ行って大暴れ! 東が太平と聞けば東へ行って略奪三昧!! 大陸一のわんぱく坊主『国境なき騎士団』とは儂らの事じゃ!!」


 グリムナは少し思い出してきた。確かに聞いたことがあるような気がする。『騎士団』と銘打ってはいるものの、叙勲を受けたものなど一人もおらず、実際にはやたらと規模の大きい傭兵団であると。


「なあ、あんた、グリムナっつー奴を知らんか?」


 男がそう言って大鉈を再度構えながら問いかけてきた。


「サッと答えんかい。グリムナっつう名を聞いたことは!?」

「ま、待て! なぜ俺を!?」


 男は大鉈を振りかぶりながら一気に間合いを詰めつつさらに問いかけてくる。グリムナも再度構えをとったが、すさまじい勢いに気圧されるばかりである。


「知らんか!? もういい黙っとれ!!」


 男はそのまま突っ込んで鉈を振り下ろす。衝撃に備えるグリムナであったが、彼の元に刃が届くことはなかった。見ると、彼の腹には手槍が串刺しに突き刺さっており、すでに立ったままその勢いを止めていた。


「む……むぐ……」


 口端から血を吹き出し、それでも大鉈を離さずに、男は苦悶の表情を浮かべる。


「ド阿呆め、そいつがグリムナだ」


 木陰の向こうから、もう一人、新たな男がやってきたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る