第408話 悪夢再び

『ハイ! というわけでですね……今日は名高い世界樹の前からお伝えしているんですけども……そちらはどうなんでしょうね? きっつい加齢臭の中しょぼくれた男どもが打合せでもしてそうな感じがするんですが……』


 突如として始まったフィー・ラ・フーリ生放送。ネクロゴブリコン達は完全にそのノリについていけずに置いてけぼりを喰らっている状態である。


『まあどうせ煮詰まってるんだろうな~ってことは予想できたんでね、こうやって女神が一肌脱いでやろうかな、と思った次第であります。イェ~~』


 呪符の向こうからぱちぱちと拍手の音が聞こえる。ベルド達のいら立ちはすでに針が振り切れそうである。


『あ、と言ってももちろん物理的に脱ぐわけじゃないですからね? そんなことしたらBAN……ちょっとぉ、こんな朝っぱらから何やってんのよぉ!』


「!?」


 突如として別の人間の声が混じった。フィーの声よりは少し低い、歳を取った声に聞こえる。そして、やはり聞き覚えのある声だ。


『ちょっ、お母さん! 今放送してるんだから入ってこな……ちょっと今何時やと思ってんのよ、っんな朝っぱらからうるっさいわねぇ!』


 おかん乱入である。ネクロゴブリコン達のいる場所は現在夜通しで話していたため朝の5時頃。世界樹付近はここよりも大分経度が西のため、アンキリキリウム付近の彼らの場所よりは1~2時間ほど早い時間のはずである。この季節だと、日の出の4時間ほど前になる。


『っていうかアンタ、あれだけ部屋かたづけろ言うたのにまだ散らかっとるやないのぉ! も~、ほんまこんな部屋散らかっとったら嫁の貰い手も……ちょっとホント! ホントやめてお母さん! ホント今大事なところなんだから! ……なによ! 押さないで……バタン!』


 ドアを閉める音がして、しばらく静寂の時が続いた。洞窟内は、重苦しい空気が流れ、誰も言葉を発しない。事態を推し量りかねているのだ。


『ギィ……パタン……ええ、と……』


 静かにドアを開閉する音が聞こえてから、先ほどよりは大分トーンを落とした、耳元で囁くような声が聞こえた。


『ちょっと……そのぅ、テンション抑え目で続けまーす……』


「その方がいいと思うぞ」


 ベルドが答えるとフィーはそのまま言葉を続けた。


『まあ、何かあった時のために荷物に通信のための呪符を忍ばせておいたのよ。グリムナと別れることになるとは思わなかったから、ベルドの荷物だけなんだけど……』


 おそらくはメルエルテが砂漠の遺跡に落ちたフィーと話すために使った呪符であろう。趣味は悪いがそれを使ってベルド達の会話を盗聴していたようだ。


『要は、人間としか交信の出来ないベルアメールをネクロゴブリコンのおじいちゃんと繋がれるようにすればいいんでしょう? 簡単な話よ』


「おお!!」

「できるのか!?」


 フィーのこの言葉ににわかにベルド達は色めき立って歓声を上げた。


『ドン!!』


 何かを叩いた大音にベルド達は思わず黙り込む。


 壁ドンである。


『……あの、』


 一層声を落としてフィーが口を開く。


『すいません、ちょっとお母さん神経質になってるんで……声は抑え目で……』


「はい」


 世界の危機なのだが。


『その前に、ネクロゴブリコンのおじいちゃんに聞きたいんだけどいい? グリムナの能力の事なんだけど……』


「うむ、何なりと聞いてくれ」


『グリムナのあの能力、私は何度も間近で見てきたんだけどさ、粘膜と粘膜を接触させることで、通常よりも伝達力を上げて強力な魔力を流し込んでる、ってことであってるかな?』


 ネクロゴブリコンは「むぅ」と小さく唸った。エルフは人間よりも魔術、呪術には精通している種族であるが、そこまで見抜いているとは思わなかったからだ。彼が肯定の意を示すと、フィーはぶつぶつと小さい声で何やら呟き始めた。


『ふぅん……なら、多分、理論的にはできるはず……』


「何か分かったのか?」


 ベルドがそう尋ねると、フィーは声のトーンは落としたまま、しかし堂々と答えた。


『ベルド、あなたネクロゴブリコンとキスしなさい』


「…………ん?」


 しばし洞窟内に静寂が流れる。


「いやいやいや、ちょっと待て、おかしいだろう? なんでそうなる」


 ベルドは納得がいかないようであるが、ネクロゴブリコンは静かに目を閉じ、唇を少し突き出した。さすが、四百年も生きていると何事にも動じない。


「なんかお前の個人的な趣味が混じっていないか? なんでキスになるんだよ」


『別に私情は挟んではいないわ。さっきの話聞いてたでしょう? 粘膜同士の接触は魔力の伝達力を最高に高めるのよ。それによってネクロゴブリコンとあなたが繋がってね、あなたを経由してベルアメールがネクロゴブリコンにアクセスできる、ということよ。

 つまり、ただのキスじゃなくて舌と舌を絡めて、唾液交換しながらの思いっ切り濃厚な奴をぶちかましてくれるかしら』


「いや……ええ~?」


 ベルドは思わず頭を抱える。一応理屈は通っている。通っているのだが、ちらりと彼はネクロゴブリコンの方を見た。ネクロゴブリコンは目を閉じて口を突き出したまま、ほんの少し口を開いていた。彼の紫色の舌がぬらぬらと光って見える。


『まあ、どうしてもというなら他に方法がないこともないわ』


「そっちで頼む」


 フィーはごほん、と咳払いをしてからゆっくり語り始めた。


『ヒューマンの男にはね、もう一カ所、粘膜で、且つ突起になっている部分があるわ。その突起物をネクロゴブリコンの粘膜になっている穴に挿入……』

「聞きとうない! 聞きとうない!!」


 ベルドが言葉を途中で止めた。


 ある。確かにあるのだ。彼の体には粘膜で、且つ突起になっている部位が確かにある。しかも何やらある程度の硬度を備えており、数種類の体液を射出することもできる。しかし……


 ちらりともう一度ベルドはネクロゴブリコンを見る。


 しかし、さすがに無理だ。目の前には深いしわの刻み込まれた老ゴブリン。おそらくベルドの暴れん棒もこのゴブリンを前にしては、しおしおの干からびた唐辛子になってしまい、彼の粘膜穴に挿入することは不可能であろう。そういう問題ではないのだが。


 ベルドは覚悟を決め、ネクロゴブリコンの両肩をがしりと掴んだ。


 ネクロゴブリコンの頬がほのかに上気する。


「いやおかしくないか」


 ベルドが距離をとる。思い切りの悪い男である。


「それ、別に俺である必要はないよな? バッソーかブロッズでもいいよな?」


『だって、私の中でブロッズはグリムナとカップリング済みだし、じじい同士じゃいまいち盛り上がらないじゃない』


 私情挟んどるやないけ。


「いい加減にせんか、ベルド、男らしくないぞい」


 しびれを切らしたバッソーがベルドをたしなめる。というか、本心は自分に累が及ぶ前にこの件を早く処理したいのだ。


「ベルド、君のキスにこの世界の未来がかかっていると言っても過言じゃない、頼む」


 ブロッズも同様に彼を急かす。ベルドは小さく「クソッ」と、毒づいてからネクロゴブリコンの両肩を再び掴んだ。


 洞窟の中、かがり火の弱々しい明かりに照らされて、二つの影が重なる。互いの隙間を埋め合うように。


「んちゅ……んん♡♡♡」

「ん~……あはぁ……♡」


『今よ』


 フィーの声と共にゴッ、と鈍い音をたてながらブロッズが傍にあった椅子でベルドの後頭部を殴り倒し、彼は意識を失った。

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