第154話 メスガキ分からせ棒

 話を少し戻そう。グリムナと共に勇者としての冒険を始めたラーラマリアの運命は、グリムナにホモ疑惑が発生したことで大きく狂い始めた。


 グリムナとレニオが異常に仲がいいと思ってはいたものの、レニオはともかくグリムナは決してホモではない、とラーラマリアは思っていた。しかし執拗にシルミラが「グリムナはホモだ。間違いない」と吹き込んでくる。さらにゴルコークとの戦いのさなか、彼が連発して見せた男との熱い口づけ。


 ラーラマリアは目の前が真っ暗になるような気持であった。彼女がレニオに対して持っていた唯一のアドバンテージ、女性であるということ。彼がホモであればそのアドバンテージはもはや通用しない。それどころか足枷にもなる。自分はもう、グリムナと結ばれることはないのだ、そう思った。


 彼と結ばれない、という絶望と共に彼女は一つの恐怖を感じていた。その恐怖とは他でもない、『レニオにグリムナを寝取られる』という事である。寝言は寝てから言え、最初からお前の物ではないだろうが、という話であるが、当時のラーラマリアは真剣にそう考えていた。


 その朗らかな、誰からも愛される性格で幼いころから劣等感を感じていた相手、レニオ。絶対に、彼にだけはグリムナを渡したくなかった。


 考えた挙句、彼女はグリムナをパーティーから追放することにした。


 彼にはもう会えなくなるが、それも仕方ない。レニオに取られるよりはマシだ。もしこのまま一緒に旅を続けて、レニオとグリムナが結ばれ、それを毎日目の前で見せつけられるとしたら、自分の精神はおそらく耐えられない。彼女はそう判断したのだ。

 手に入らないのなら、いっそのこと自分の視界から消えてしまってくれ。そう考えてのことだったが、これがより事態の複雑化を招くのだと気づいた時にはもう遅かった。


 勇者のパーティーを追放されたグリムナは村に帰るかと思われたが、実際には違った。なんと一人で旅をつづけたのだ。次に出会ったとき、グリムナは二人の女性を連れていた。一人は腐女子のエルフ、もう一人は年端もいかない少女であった。

 なんということか、ホモだという話ではなかったのか。そう詰め寄るラーラマリアをシルミラは必死でなだめた。


 しかしその後、レニオからの情報で、グリムナはラーラマリアを助けるために単独で聖剣のありかを探している、という事を知った。あれだけぞんざいに扱われて、パーティーを追放されて、それでもグリムナはまだ自分を助けるために行動しているというのだ。その『優しさ』に彼女は一層絶望したのだった。自分とは、何もかもが違いすぎる。真の聖人とは、まさに彼のことを言うのだ、と。


 そこまで考えて、彼女は少し顔を上げて、ちらり、と床に転がっている剣を眺めた。数日前、その『聖剣エメラルドソード』は全く違うルートから手に入れることができた。国境なき騎士団から奪った大司教メザンザより下賜されたのだ。その聖剣は今、彼女の部屋の床にゴミの如くころがっている。


「こんなもの手に入れたって……グリムナに嫌われたのに……こんな世界に救う価値なんて、ない……」


 あれだけ嫌悪していた『自分勝手な考え』をまたしてもしてしまっていることに彼女は気づかない。


「フィーとヒッテ……だったかな……あの二人のどっちかが、グリムナの恋人なのかな……」


 ラーラマリアは独り言をまた呟いた。彼女達のことはラーラマリアはよく知らないが、その二人の方が、心の汚れている自分よりもグリムナにふさわしい気がした。一人は高潔で知られるエルフの種族、もう一人は汚れを知らない少女に見えた。


 実際にはフィーは心の汚れきった自分勝手な腐女子、ヒッテに至っては(今は随分改善したものの)恩人の荷物を二度にわたって盗むようなドクズの奴隷であるが、彼女はそのことは知らない。


「本当にそれでいいのか……?」


 薄暗い部屋の中に静かな男の声が響いた。ラーラマリアはその声を聞いてもテーブルにうつぶせている姿勢を変えることもなく、顔だけで振り返って、やる気のない声で尋ねた。


「……誰?」


 密室であったはずの部屋に侵入者が現れた。非常事態であるはずなのに警戒心を見せることもない。あまりにもやさぐれたその態度に男は面食らったようであったが、すぐに気を取り直して彼女に話しかける。


「俺の名はウルク……ヴァロークの男だ」


「何よ……聖剣を取り返しに来たの……? そこに落ちてるから、好きにするといいわ」


 ラーラマリアはようやく上半身を上げて椅子の背もたれにその体重を預ける。ウルクと名乗った男は思っていた反応と違ったのか、微妙な顔をしていたが、そのまま話をつづけた。


「その剣はお前の物だ。今はお前に預けておく。……それよりもいいのか? このままでは本当にヒッテとかいうメスガキにグリムナを取られてしまうぞ。世の中を舐めきった薄汚い奴隷にだ。いいのか?」


「いいわけないでしょ!!」


 この日、初めてラーラマリアはその感情を爆発させた。テーブルが粉砕するのではないかと思われるほど強い力でドンッとテーブルを叩いた。ウルクはその音にビクッと驚いていたが、それを気にすることもなくラーラマリアが言葉をつづける。


「よくはないけど……グリムナはもう……私のことは……」


 そう静かに言うと、悲しそうな目でラーラマリアは両手をテーブルの上に置いた。また突っ伏されては話ができない、と慌ててウルクが話し出す。


「このままじゃグリムナはあの奴隷のメスガキに手籠めにされてしまうぞ……お前はそれが耐えられるのか?」


 体格もいい青年男性のグリムナが12歳の少女に手籠めにされる……普通に考えればあり得ないことではあるが、グリムナのあのヘタレっぷりを考えると、あり得ないことではない。


「他人のものになるんだ……お前じゃなく、誰か別の人間の物にな。お前は、その『誰か』のために平和な世界を守る、捨て石だ……」


 言葉をつづけるウルクに、ラーラマリアは眉間にしわを寄せて睨みつけた。『怒り』の感情が、彼女をよみがえらせた瞬間であった。


「お前の言った通り、グリムナはもうお前の元には戻らない。じゃあどうする? お前はこのまま指をくわえてみてるだけか?」


 怒りの炎を瞳にともらせているラーラマリアの表情を見て、ウルクはにやりと笑ってさらに言葉をつづける。


「本当はどうすればいいか、もう分かっているんじゃないのか? 何度もその考えが頭に浮かんだんだろう? だがあまりにも恐ろしくて否定してきた。……いいか、この世界に神などいない。世界を変えるのは、いつだって神ではなく人だ。お前は、お前が望むように行動する権利がある。罪を恐れるな。お前を許せるのはお前だけだ。言ってみろ、お前は何がしたいんだ? お前はグリムナを……」


「私は……」


 ウルクの言葉を受けて、ラーラマリアは怒りの意思に満ちた、しかしどこか虚ろな目で答えた。


「……グリムナを殺す。誰にも渡さない。私だけのものにするんだ。そして、あのガキも殺す……」


 ウルクはその言葉を聞いてにやり、と笑ったが、すぐに彼女の言葉を否定した。


「それはダメだ。ヒッテは殺すな。殺してしまえば一瞬で終わりだ。自らの行動を後悔することも、悲しみに打ちひしがれることもできない。今のお前みたいにはな。ヒッテはグリムナと仲良くあの世に行って、天国で幸せに暮らすだろうよ」


 つい先ほど「神などいない」と言ったのと同じ口でウルクは今度は「天国へ行く」と言った。彼の言葉はどこか欺瞞的に聞こえたが、今のラーラマリアにそれに気づくほどの判断力はない。ウルクは鞘に入ったまま床に転がっていた聖剣エメラルドソードを拾い上げて、その柄をラーラマリアに向けながら言った。


「お前が殺すのはグリムナだけだ。そして、ヒッテは生きて、滅びる世界の中、自らの愚かな行動を悔い続けるんだ」


 ラーラマリアはおよそ感情というものの感じられない虚ろな瞳をして、立ち上がって聖剣を受け取った。


「いいか、生意気なメスガキに『分からせて』やれ。『メスガキ』を『分からせてやる』のはいつだって『大人』の仕事だ。そのメスガキ分からせ棒、通称エメラルドソードで思い知らせてやるんだ!」


 そっちが通称なのか。途中からなんか語り口調がおかしくなったウルクにラーラマリアは戸惑った表情を見せる。ウルクはそれを自信のなさと受け取ったのか、ラーラマリアの胸を指さして言葉をつづけた。


「いざとなったらそれを使え、その首飾りだ」


 ウルクが指さしたのは、グリムナと別れた時、彼から手渡されたネックレスであった。(第14話参照)

 ネックレスには深い茶色の大きな宝石がはめられており、宝石の中央は黒く淀んだような色になっている。ラーラマリアは、そのネックレスを見下ろすと、またグリムナのことが思い出されて、胸がチクリと痛んだが、それはすぐ消えたように感じられた。


「お前がそれをどこで手に入れたのかは知らんが、それはターヤ王家に伝わる『水底みなそこ方舟はこぶね』と呼ばれる魔道具だ。必ず役に立つ。肌身離さず持っておけよ……」

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