第345話 記憶力に不安のある人達

「で、ベルドの手紙にはなんて書かれてたの?」


 フィーがそう尋ねるとグリムナは一瞬嫌そうな表情を見せ、ポケットから手紙を取り出し、それを慎重に開いてからテーブルの上に置いて皆に見せた。


 皆、とは言うもののメルエルテは彼らが滞在している、騎士団から借りているこの小さな家屋にはいない。ここ数日「野暮用だ」と言って姿をくらましている。


「こっ……これは酷いですね……なんでこんなことに」


 ヒッテが戸惑いながらそう言う。グリムナが開いて見せたそれ。しわしわになった手紙は水分で湿っており、インクで書かれた字は滲んで、全く判別不可能であった。


「あのババア、やってくれやがった……」


 憎々し気にグリムナが呟く。おそらくイェヴァンには全く悪気はなかったのだろうだが。いや、むしろグリムナが喜ぶと思ってあんな行為に及んだのであろうが。


 しかしイェヴァンの豊満な双丘(タンパク質含有量高め)に挟まれていた手紙はその暴力的湿度によってもはや字の判別ができないほどに濡れそぼっていたのだ。


「ところどころ色のついた染みもあるわね……なんか、黄ばんでない? これ……」


 フィーが人差し指と親指で汚いものを触る様に神の端をつまんだ。というか実際汚い。


「それ、汗で黄ばんでるわけではないんじゃ?」

「え?」


 ヒッテの言葉にフィーは思わず聞き返す。しかし確かに言われてみればおかしい。たしかにワキガの人間の汗染みがつくと黄ばんだりすることはあるものの、イェヴァンはそうではないし、あの短時間でここまで黄ばむはずがないのだ。


「炙り出しの、隠しメッセージでは……?」

「炙り出し?」


 今度はグリムナが聞き返す。


 隠しメッセージ。


 ベルドが何か密かにグリムナ達だけに知らせたいことがありそれを隠すために炙り出しを仕込んだのだとしたら。


 通常であれば封蝋などを用いるが、騎士団の人間がそれを勝手に外して「封蝋などなかった」と一言いえば後から来たグリムナ達にはそれを確認するすべはない。なればこその隠しメッセージ、と考えられるが……


 実際『隠し』どころか、現状、本文のメッセージもイェヴァンの湿度によって既に毀損されてしまっている。のだが、ヒッテはフィーに「魔法で火を出してくれ」と言ってから紙を裏返しにして、炎でそれを軽く炙りだした。


 炙り出しとは、柑橘類の果汁や酒、水などを紙に染みこませることで、何も塗っていない部分よりも紙の発火点が低くなることを利用して、紙が燃えない程度に熱することにより、液体の部分が焦げ、隠された文字やメッセージが浮かんでくるという手法である。


 そうこうしているうちに『炙り』が終わったようで、ヒッテは炎から紙を離してテーブルの上に置いた。


「見てください。文字が浮かび上がりました……ベルドさんの向かった先は……」

「分かんないね」


 髪を目にしたグリムナが即座に応えた。そう。当然ながらこちらの方もイェヴァンの湿度にやられた読めたものではなかった。長い前髪で隠れて目が見えないものの、しかしやはり露骨に落胆しているヒッテにグリムナが優しく声をかける。


「で、でもほら、何か書いてあったっぽい事は確かだし! 何か伝えたいメッセージがあったんだよ!」


 そりゃそうだろう。手紙残してるんだから。


「それにしても炙り出しなんてよく気づいたわよね~、ヒッテちゃんそういうの詳しいの?」


 フィーの言葉に、ヒッテは少し呆れたような言葉で返す。


「詳しいも何も、前にも一度あったじゃないですか……カルケロさんの事、覚えてないんですか? ……フィーさん本当に記憶喪失じゃないですよね?」


「ねえそんなことよりさあ」


 話を続けていると、さほど興味がわかなかったのか、つまらなそうな表情で頬杖をついていたラーラマリアが口を開いた。


「結局そのベルドとかいう奴の手紙は何が書いてあるか全然分からないんでしょう? この先どうするの?」


 確かにその通りなのだ。ここで完全に足取りは途切れてしまった。


 しかし少しの沈黙ののち、グリムナは落ち込んでいる様子も無いような調子でそれに応えた。


「実を言えばもう手は打ってあるんだ」

「手?」


 フィーが聞き返す。ラーラマリアは特に何も言葉を発さなかったが、何か誇らしげな表情でグリムナを眺めている。ヒッテはじっと彼女の様子を見る。


 トゥーレトンの町を離れ、騎士団領への道程。彼女が見せたアクションは何か小瓶のようなものをグリムナに手渡しただけだった。いったい何を考えているのか、何も考えていないのか。グリムナに積極的にアクションを取るわけでもなければ、ヒッテに敵意を見せるでもない。


 ひょっとして「もうグリムナは自分のものだ」という余裕の表れなのだろうか。ヒッテは彼女の横顔を見ながらそう考えもしたが、そう言えば会った時から意味不明な行動ばかりしている女であるという事を思い出した。


 あまり彼女の行動原理について本気で考えても答えは出ないのかもしれない。とりあえず油断だけはしないようにしておこう。そう考えてグリムナの方に視線を戻した。


「このオアシスの原住民であるコントラ族のリズ、という青年がいるんだが、ベルドは彼から何か情報を得て、そこへ向かったらしいんだ。今はキャラバンと共に出かけているが数日以内には戻るらしいから、それを待ってるんだ」


「へぇ、ただダラダラしてたわけじゃないんだ」


「ただダラダラしてると思われてたの? 俺……」


 フィーの言葉にグリムナは少し嫌そうな表情を見せたが、ちょうどその時、家の戸をノックする音が聞こえたためグリムナが立ち上がって応対した。


 戸の開けた先には浅黒い肌の、頭にターバンの様な布を巻いた青年が立っていた。


「久しぶり、グリムナ。また、会うことになるとは、思わなかった」


「え……ええと、会ったことが……?」


「?」


 浅黒い肌の青年、コントラ族のリズは思わず小首を傾げる。5年も前の事とは言え、まさか忘れているなどとは思わなかったからだ。


「すいません、グリムナさんは記憶喪失になっていて、昔の記憶がないんです」


 ヒッテがフォローを入れると、リズは少し神妙な面持ちになって、静かに口を開いた。


「そうか……お前はあの時のチビか? 覚えていないのなら改めて謝る。あの時はすまなかった」


「……何か、謝られるようなことが……?」


「砂漠に置き去りにして、殺そうとした」


「なっ!?」


 ガタッ、とまだ着席していたラーラマリアが立ち上がって剣を抜こうとするのをフィーが押さえる。


「お、落ち着いて、もう済んだことなんだから!」


「フィーはその時のことをよく知ってるのか?」


 記憶の無いグリムナがそう尋ねると、フィーは少し得意そうな表情で語りだす。


「そりゃあアレだけの事があればね。あの時はホント酷かったんだから! 昼間は地獄のように暑かったし、グリムナは脱水症状になってアナルから汚水を飲む羽目になるし……アレ?」


 そこまで話してフィーは顎に手を当てて考え込む。「どうしたんだ?」とグリムナが聞くと、沈黙ののち、ゆっくりと語った。


「あ……違うな……」


「違うって、何が?」


「私、その時いなかったわ」


「は?」


 そう。砂漠で遭難した時、フィーはグリムナの指示で別行動をとっていたので同行はしていなかったのだ。そして今、知らないはずなのに見て来たかのように砂漠での困難をベラベラと得意満面の表情で語りだしていたのである。


 おそらくは後からバッソーに聞いた話が面白かったので繰り返し人に話したり思い出しているうちに自分の記憶だと混同してしまったのだろうが、それにしてもいい加減な記憶力である。


「あるはずの記憶が無かったり、ありもしないはずの出来事を覚えてたり、フィーさんのニューロンが本当に心配なんですけど……」


 ヒッテが心底嫌そうな表情でフィーを眺めながらそう言った。


「とにかく、グリムナは5年前砂漠で死にそうになったのね……ん?」


 少しきつい目つきでリズを睨みつけながらラーラマリアがそう言ったが、急に首をかしげて考え込んでしまった。


「まあまあ、結局こうして生きてるんだから、ラーラマリアも怒りを納めて……」


「と、当然じゃない! 私そんなに過去にこだわる女じゃないわよ!!」


 フィーの言葉にラーラマリアは急に大きな声で態度を反転させた。グリムナはまだ納得いかないようで口を開く。


「しかし、なんで置き去りなんて……」

「だからそれはもういいじゃない! 5年も前の事なんてリズももう覚えてないわよ!!」

「指示された。そこの……」


 リズは律儀に応えようとして、何かを指さそうとしたが、その手をラーラマリアが押さえた。


「あなたも! 済んだことを今更蒸し返す事ないって!! ね、この話はもうこれでお終い!! 今はそんな事よりベルドでしょ? ベルドはどこ行ったの!?」


(思い出した……)


 そう。急に取り繕う様に話を逸らそうとするラーラマリア。

 彼女は思い出したのだ。


(その時の黒幕が……私だ……)

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