第139話 PDCA

 さて、物事の解決サイクルにはP、D、C、Aという段階がある。


 すなわちPLAN(計画)、DO(実行)、CHECK(評価)、ACTION(改善)である。綿密な調査による現状把握から的確な計画を立て、それを実行。成功だったのか、失敗だったのか、そしてそれがどの程度の効果だったのかを評価する。評価して終わりではない。さらに良い効果を上げるため、改善するためのアクションを起こすまでが1サイクルである。

 サイクルとは即ち終わることなく再度計画を立て、実行し、評価する。スパイラルアップして改善し続けるということである。


 そしてこのステップのうち最も重要なのが第一段階、PLAN(計画)である。


 今回グリムナの裁判に至っては圧倒的にこのPLANに費やす時間が足りなかった。挙句の果てには弁護士と被告人が何の打ち合わせもなく裁判に臨む、どころか被告が法廷で初めて弁護人が誰かを知る、というぐだぐだな展開になってしまっていた。これではやはり勝てるはずがないのだ。


 ヒッテはグリムナの奴隷としての権限をフル活用してたっぷり一時間の時間を取って面会を行った。弁護士、バッソーも同席している。さらににぎやかしのフィーも一緒だ。これは心強い。


「まさかあそこでお母さんが出てくるとはね……盲点だったわ……」


「いや、メルさんは別に……むしろ原告、というか通報者の異常性が知らしめられて俺たちにはプラスだったと思うが」


「フィーさん、ご主人様、無駄話してる時間はないです。戦略を練りましょう。まずは、現状把握、でしたっけ? ご主人様前に言ってましたよね? メルさんに」


 意味のない雑談になりそうだったフィーとグリムナをヒッテがたしなめる。もはや奴隷で最年少の彼女がこのパーティーの要と言っても差し支えないポジションにいる。そして彼女の存在が今回の事の発端であることは最高の皮肉であろう。


 ヒッテは紙にさらさらと今回の問題点を書き記していく。彼女に文字を教えたのはグリムナである。ヒッテはヒッテは注げば注ぐほどいくらでも入る魔法の瓶のように知識を吸い込んでいく。そのヒッテの姿を見ながら、いつの間にかグリムナは微笑んでいた。


「なにニヤニヤしてんのよ!」


 そう言いながらグリムナの頬をフィーが思い切りつねった。


「アンタのそういうロリコンアクションが今回の事の発端でしょうが! アンタ実際どうなのよ!?」


「え? どうって?」


 つねられた頬を痛そうにさすりながらグリムナがフィーに尋ね返す。



「ヒッテちゃんの事好きなの!?」



 グリムナの動きが固まり、顔が紅潮してきた。同時に、ヒッテとバッソーもいきなりの核心を突く質問に固まってしまう。ついでに言うと立会いをしている衛兵も固まっていた。まさかの唐突なプロポーズ場面である。


「どうなの? 答えなさいよ! そこが今回の一番のキモでしょうが!!」


 大真面目にピントの外れたことを言うフィーの言葉を遮り、ヒッテがバンッと机を叩いた。


「争点はそこじゃありません」


 前髪が長く表情が分かりづらいが、やはり彼女も顔が紅潮しているように見える。しかしヒッテは紙に既にまとめられている問題点を指さしながら言葉を続ける。


「一番の争点はグリムナがヒッテに性行為をしたかどうかじゃろう……しかし、そんなこと、したもしないも証明できるもんなのかのう……」


 バッソーがぽりぽりと眉のあたりを描きながら喋るが、ヒッテはその言葉も遮った。


「違います。一番の争点はそういう行為があろうがなかろうが、そもそもそれは違法行為なのか? ということです」


 ヒッテがそう言い切ると、グリムナ達は「おお……」と、感嘆の声を漏らした。十二歳のガキを前に恥ずかしくないのかこの連中は。


「基本的には性行為はしていない。しかしたとえしたとしてもそれが何の罪になるのか、この方向で進めたいですが、異論はないですか?」


 グリムナはこくり、と頷いた。バッソーが突然現れて罪を認める方向で情状酌量を求めようとしだした時はこの世の終わりかとも思われたが、ヒッテの発言により、結審は延期され、そして今また彼の目には光明が差し始めた。


「よし、じゃあバッソー殿はこの国で施行されている法律の中でそういったものがあるのかどうか、そしてその内容をつぶさに調べてくれ。ヒッテはこの旅の中で二人にそういった行為がないってことの証左になるような出来事を片っ端からリストアップしてくれ。俺もなるべく思い出してみるから。フィーは……まあ、邪魔だけはしないでくれ」

「わかったわ!!」


 最後にグリムナが具体的な指示を出して打合せは終わった。フィーの返事だけがやたら元気がいいのが気になるところではある。次の開廷がいつになるかはまだ決まっていないが、それでもグリムナ達は確実に前に進み始めたのだ。



「ふぅ……まさかこんなつまらない所で終わったりしないわよね……この旅……」


 その夜、なんとなく眠れなかったフィーは自分たちの宿泊している部屋から出て、廊下から月を眺めていた。すると、月明りの中、声をかけてくる女性がいた。


「いくら屋内とはいえ、こんな公共の場に女性が一人でふらふらと、不用心ね……男どもはいつ襲ってくるか分からないんだから……」


 月明りの中、その漆黒の髪は青みがかかって見えた。さすがに全身鎧は来ていないが、夜であるというのに男性のようにズボンとシャツでかっちりした恰好をしたその女性は。アムネスティであった。


「出たな、モンスターバージン」


 お前もである。


 フィーの言葉には一切興味を示さず、アムネスティは少し伏し目がちに彼女に尋ねてきた。


「そ、その……衛兵から面会の内容を聞きこんだんだけど……実際グリムナと、その……ヒッテちゃんはどういった関係なの? 一緒に旅してるあなたから見て、どうなの……?」


 フィーは顔をしかめ、露骨に嫌そうな表情をする。この女、なんと、立ち会っていた衛兵を通して会話の内容を把握していたのである。モンスターバージンの面目躍如だ。

 しかしフィーはすぐに表情を戻して考え込み、自分の記憶を探る。実を言うと二人の関係性については彼女も前から気になっているのだ。


「んん……前から妙な信頼関係があるとは思っていたけど……最近……特にブロッズの襲撃があってからか……こう、二人が会話してると、ヒッテちゃんが……何て言ったらいいのか……メスの顔してる時があるのよね……」


 さんざん考えた挙句出てきた単語は全く遠慮というものの感じられない武骨な言葉であった。これにアムネスティは大いに取り乱し、顔を紅潮させて尋ねる。


「めっ、メスの顔!? 二人の間に恋愛感情があるっていうの!? メスの顔ってどういう顔よ!!」


 「今のおめーみたいな顔だよ」という喉まで出かかったセリフを、半泣きのアムネスティを見ながらフィーは飲み込み、別の言葉を口にした。


「イマイチあんたのスタンスが分かんないんだけどさぁ……あんたはグリムナを有罪にしたいの? それとも無罪にしたいの?」


 この言葉にアムネスティは黙ってしまう。しかし、しばらくうつむいていたが、小さい声でぽつりぽつりと話し始めた。


「グリムナは……そんな非道なことができる人じゃないとは思う……」


 この意見についてはフィーも同意である。長く旅に同行しているが、彼には『悪意』というものを感じたことがない。


「でも、今回の裏で糸を引いているのは、私達じゃなく、大司教メザンザ様よ。真実がどうあれ、彼の有罪は……おそらく動かないわ……」


 その言葉を聞くと、フィーはフンッと鼻で笑った。


「ま、それがヒューマンの浅知恵ってところね。残念だけど今回実は私には『秘策』があるのよね……見てなさい、私の『秘策』で全部ひっくり返してやるんだから!」


 フィーの笑顔は自信に満ち溢れていた。

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