第84話 星を掴め

「本当にもう大丈夫なんですか? ご主人様……」


 前にも似たようなやりとりをしたような記憶があるが、集会場の食堂で食事をとりながら、ヒッテがグリムナにそう問いかけた。結局疲労困憊のグリムナは次の日も全く起きることなく、その更に翌日にようやく目を覚まし、今全員で朝食を取っているのである。食卓にはグリムナ以外にヒッテ、フィー、それに様子を見に来たバッソーも着席している。


「さすがにこれだけ休めばもう大丈夫だよ。村まで担いできてくれたのはヒッテなんだってな? 迷惑かけてすまなかった」


 グリムナがそうヒッテに謝るとヒッテはぷい、とよそを向いた。照れているのだろうか。


 ヒッテはまだグリムナに今回の件の黒幕の予想については語っていない。そんなことを言えばグリムナを心配させるだけだし、実際言ったところで出来ることなど何もない。狂ってしまったラーラマリアをなだめる方法などおそらくもうないのだ。


 食事を終えると、グリムナはバッソーに話しかけた。このエルル村に来た真の目的、バッソーを訪ねてきた目的を話そうというのだ。


「私たちは竜を倒すため、聖剣エメラルドソードを探しています。伝承によると、それは死神の神殿にあるとも聞いています。バッソー殿は牢屋の中で『最近は遺跡の調査をしている』と言っていましたよね? 何か心当たりのあることはありませんか?」


 バッソーはううむ……と考え込み、呻くように声を出した。


「死神の……? 今儂が調べておるのは古い地母神の神殿であるが……死神の神殿とは聞いたことがないな……」


 意外にもあっさりと質疑応答は終わってしまった。ゴルコークの情報が間違っていたのか、元々かなりあやふやな情報ではあったものの、ここにしか縋るところがなかったのだが。しかしグリムナは引き下がらない。バッソーに出会うために何度も死の危険を冒してここまでやっと来たのだ。今更引き下がれるか、という心持である。いつか見た、ギャンブラーの思考だ。


「いやいや、そう言わずに~、なんかあるでしょ? こう、隠し玉的なのが」


「いや……そんなん言われても、ないもんはないし」


 しかしにべもなく否定するバッソーを前に、グリムナは憮然とした表情になった。グリムナからすれば死ぬ思いでバッソーと村人を助け出して、その上で収穫ゼロなど、受け入れられない事実なのだ。バッソーは腕組みしたまま目をつぶっている。なにか手掛かりがないか、そう考えているのではない。ぶっちゃけもう何もないのだ。「もう答える物など何もない」、そういった意思表示である。


「はぁ……仕方ないな」


 グリムナは舌打ちをしながら懐から袋を取り出し、テーブルの上にどちゃっと置いた。袋を開けてバッソーに中身を見せる。銀貨の入った金子きんすである。


「いや、金出されてもないもんはないし。お主意外と汚いところあるな……」


「いえいえ、お代官様ほどでは……」


 グリムナが手を摺りながら上目遣いでそう言うが、事態は進展しない。ノッてこなかった。何がしたいんだこの男は。金を積まれようが何だろうが、無いものは無いのだ。ない袖は振れぬ。ヒッテも少し白け顔である。


「ああ~、じゃあこうしましょう。もうバッソー殿は普段通り遺跡の調査をしてください。で、その地母神ヤーベの遺跡に私たちも後から追いかけて合流します」


「?」


 全員が疑問符を浮かべる。一体何を言い出すのか、この男は。


「えと……ご主人様?」


 ラーラマリアの瘴気にあてられて狂ってしまったのか、ヒッテが心配して声をかけようとするがグリムナは止まらない。


「で、一緒に神殿を調査する、と。……そこでですね、まあなんやかんやで神様繋がりで死神の手がかりを見つける、と。これで行きましょう!」


「…………」


 重い沈黙が部屋を包んだ。この男、もはややぶれかぶれなのでは。


「いや、それで納得するんならそれでいいんじゃけど……後からなんか変な難癖付けないなら別にいいよ……」


 なんと、この意味の分からない提案にバッソーは乗ることにしたようだ。なんでもいいから早く終わってくれと言う感じである。ヒッテとフィーは微妙な表情で『本当にそれでいいのか』と思いつつも従うことにした。一応流れだけ見ると別に本来の道筋からは外れていないのだ。神殿同士というものは別の神でも何かしら繋がりがあることがある。神と言うのはいくつもの面があり、国生みの神が禍つ神になったり、別の神が後の時代で一つに統合されたりと言うことがよくある。地母神の神殿を調べてみて死神の痕跡を探すというのは、前から話していた予定とそう外れてはいないのだが、結果としては同じでも道筋に問題があるような気がする。


「儂からもお願いがあるんじゃけどいい?」


 今度はバッソーからの提案である。グリムナは「何ですか?」と気軽に返事をした。


「儂を……お主らの仲間にしてくれんか」


「!?」


 嫌だ


 全員がそう思った。特にヒッテが強くそう思った。そしてグリムナは彼女の3倍はそう思った。


 ヒッテはあの非常事態の中突然バッソーに「ケツを蹴ってくれ」と異常な性癖を披露されたのだ。結果としてはそれが功を奏して事態を丸く収めたのだが、それでもこんな変態じじいと共に旅をするなどごめんである。


 グリムナに至っては彼がなぜそんな奇行に走るのかも知っているのだ。そして、おそらくヒッテに蹴られた後、森の中で隠れて一発抜いて戻って来たということもほぼ把握している。


 彼と共に旅をするということは今後、彼が魔法を使うために誰かがオナネタになり続けるということである。そして『千の性癖を極めし者』と呼ばれるバッソーに至っては何がその琴線に触れるか、そのトリガーが未知数なのだ。


 もしかしたらフィーが脇の汗を拭いて、そのハンカチを捨てることがきっかけになるかもしれないし、ヒッテになじられた瞬間その悪魔が闇の中から垣間見えるかもしれない。はたまたグリムナが足をくじいてひょこひょこと歩く姿が発端となるかもしれないし、ヤギがコンクリートで足を固められて動けないことが彼のリトルバッソーを刺激するかもしれない。ネットは広大だわ。


「頼む……お主らと共に冒険をしていけば、新しい世界が見えるような気がするんじゃ……未知の扉を開けるために、この世界を旅したいんじゃ! 人を動かすのは未知への好奇心、これを否定されたらもうそれは人間とは言えん!」


 言葉だけ聞くと学問を志す者の含蓄ある言葉に聞こえるが、お前の開けたい扉は未知の性癖だろうが、グリムナはそう言おうとしたが、このバッソーの言葉に共感を示す言葉が発せられた。


「まあいいんじゃないの? そう言うの、ちょっと格好いいわよ。さすが学者ね」


 最初にこれを了承したのはフィーであった。彼女はバッソーの言葉を少し勘違いしているようである。グリムナは思わず抗議の声を上げようとしたが、外見こそ大幅に違えど、よくよく考えたらこの女も仲間に加わった経緯はバッソーと似たり寄ったりである。自分のどす黒い性欲を満たすため、ホモを間近で観察するためにグリムナに同行したのだ。


「いや、しかし……バッソー殿は高齢であるし……」


 何とかしてこれを拒否したいグリムナであったが、バッソーがこれに畳み掛ける。


「グリムナ君……星を掴みたいと思ったことはあるかね?」


 唐突な質問にグリムナは面食らう。しかし彼は「……ある」そう答えたのだった。今でこそ冒険者となってしまったが、彼は元々学者志望だったのだ。賢者の質問は彼の心を揺り動かす言葉であった。

 バッソーは手を上げ、掌を天井に向けてから、その自身の手を見ながら、ぐっと握りこぶしを作って言葉を続ける。


「手を伸ばして握ってみても、当然星は掴めぬ……しかしそれが人間の限界ではない。それで終わりではない。学問の始まりとは、まさにここなのじゃ。ここから始まるのじゃ」


「人はなぜ星を掴めないのかを考える。それは遠くにあるからだと気づく。では一体どれくらい遠くにあるのか、そこに行くにはどうすればよいのか? この疑問こそが人を人たらしめるものじゃ」


「今は人は星を掴めぬ。じゃがいずれそれを掴むじゃろう。天高く飛び、雲をぶち破り、あの暗闇の世界の水底にある星を、いずれ掴むじゃろう……」


 バッソーは天高く掲げた拳を下げ、自分の顔の前に戻し、それを見つめながら言った。


「人が人であることを止める事なぞ、何者にもできんのじゃ……」


 これが性癖の話でなければ、とてもいい話である。

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