第85話 カルケロとヤーン

「大分北の方に来たわね……バッソーの話だとこの辺りだっけ?」


 深い森の中、先頭を歩くフィーが振り返ってグリムナに聞く。彼らは賢者バッソーとの話の後、さらに北にあるという地母神ヤーベの古い神殿を目指して歩を進めていた。結局バッソーは彼らの仲間になることになったが、なぜか今は別行動をしている。この理由を正確に説明できる者は、いない。


「そうだな……近くにバッソー殿が情報交換をしていた考古学者の住んでる小屋があるはずだから、まずはそこを目指そう」


 グリムナがそう答えた。彼がバッソーから聞いた話だと、神殿は常駐している神官などはおらず、既に打ち捨てられ、朽ち果てた遺跡だという。そしてその近くに専門に研究をしている学者が小さな小屋に住んでおり、そこを拠点にするといい、と教えられたのだ。とうの昔にピアレスト王国の領域を出て、ここはもはやどの国の支配も及ばない領域である。寒さも厳しくなっており、野営をしなくて済むのは大助かりである。


「あれじゃないですか? 開けた場所がありますね……」


 ヒッテがそう小さく呟いた。彼女の言う通り、森の少し先に確かに木々がなくなって開けた場所がある。全員の足取りが軽くなる。どうやら今日は野営をしなくて済みそうだ、それだけでも冒険者にとっては嬉しいものである。

 彼らは足早に開けた場所の奥にあった小屋に駆け寄り、ドアをノックした。


「すいません、バッソー殿の紹介できました」


 そう言ってしばらく待つと、閂を外す音が聞こえてドアが開いた。中から出てきたのは50代くらいだろうか、中年の少し太った、白髪交じりの女性であった。


「あら? 今日はお客さんがたくさん来るわね。バッソーさんの紹介できたって?」


 笑顔で応対する女性にグリムナは少し安堵した。あのバッソーの知人と言うことでこいつもろくな奴じゃないんじゃないのか、そう思っていたのである。


「さあさ、中に入って頂戴。私の名はカルケロ。近くにある古い地母神の神殿の研究をしているの。学位はないけど、まあ、在野の学者ってところね」


 笑いながらそう室内に案内してくれた。バッソーの名を出したとはいえ、あまり警戒心を抱いてはいないようだ。グリムナ達は招かれて室内に入る。


「私はグリムナと言います。冒険しながら古い神のことについて調べています。こちらは仲間のヒッテと、フィーです」


「ヒッテです。よろしくお願いします」


 紹介されてヒッテがぺこり、と小さく頭を下げる。


「あ……、いや、ハハハ……」


 フィーは相変わらずホモ以外の話題になるとろくに喋れない。


「今お茶を入れるわ、座って待ってて」


 部屋に入ると、すでに先客がいることに気付いた。バッソーではない。彼はもっと後からこちらに向かうはずである。テーブルに一人、若い男性が着席していたのだ。紹介がなかったが、何者だろう、まさか情夫? とグリムナが考えているとカルケロが口を開いた。


「紹介が遅れちゃったわね。その子はヤーン。まあ、私の息子みたいなもんよ」


「ヤーンです。よろしく。まあ、席についてください」


 青年は柔らかい物腰でそう言ってテーブルの椅子を指し示した。カルケロと同じく優しそうな雰囲気の笑顔をたたえた青年である。着席を促されてグリムナ達はリビングの中央にあった大きなテーブルについた。テーブルの上には所狭しと資料や地図のようなものが散らばっており、いかにも学者らしい風情であった。グリムナ達はそれぞれ自分の着席した部分においてある小物や書類を少しどかして、お茶を置く分のスペースを作る。


「血のつながりはないんですが、お母さんは小さいころ逃亡奴隷だったヤーンを保護してくれて、面倒を見てくれていたんです。本当の親子のように接してくれて……」


 一人称を自分の名で話すその喋り方にグリムナは少し面食らったが、小さい声でそう話す青年の表情はとても嬉しそうだった。血の繋がりはなくとも、間違いなく親子なのだな、とグリムナは感じた。自分ももし冒険者として旅をすることになっていなければ両親と今もこの青年のように穏やかに暮らしていたのだろうか、と取り留めもないことを考えながら。


「最近は口うるさいばっかりだけどねぇ。もう年なんだからこんな人里離れたところで研究なんてやめたらどうか、とか」


 テーブルの上にお茶とクッキーを並べながらカルケロが笑ってそう話す。温かい雰囲気に、ヒッテとフィーも自然に笑顔になっていた。カルケロも席についてお茶に手を付け始めたところでグリムナが本題を切り出す。


「実は我々は、『死神の神殿』を探しているんです」


 この言葉にカルケロとヤーンはバッとグリムナの顔を覗き込むように見た。何か心当たりのある事でもあったのか。


「死神を調べるために地母神の神殿に? 見当違いじゃないですか?」


 ヤーンはそう言ったが、カルケロは真剣な顔で考え込んでいた。


「……実を言うとね、あの神殿には不審な点があるんだ。地母神以外の神の存在を匂わせる何かがね。あれは古い神殿だ。もしかしたら記録にも残らない古い時代、まだ神々の区分けが曖昧だったころ、地母神以外の神も一緒に祭られていたのかもしれない。いや、地母神が他の神の役割も担っていたのか……それが何の神についてかはまだ分からないけど、実はアタシは最近はずっとそれを研究していたんだよ……」


 正直グリムナがここへ来たのはかなり当てずっぽうの部分も占めていたのだが、ここに来て光明が差し始めた。案ずるより産むが易し。


「もしよければ、遺跡の調査に同行していただけませんか? 自分の目で、直接見てみたいんです」


 グリムナのこの申し出にカルケロは明るい表情を見せたが、一方のヤーンは反対の様だった。


「無理だよ母さん、今腰を痛めてるのにそんなの無茶だ、足を引っ張るだけだ。今はゆっくし静養してなきゃ!」


 この言葉にグリムナも少し考える。さすがに健康に不安のある50代の女性を引っ張りまわすわけにはいかない。彼は回復魔法が使えるが、こういったもの、特に神経系の持病は回復したように見えてもあとあとまで引きずることが多いのだ。さすがにそんなことに責任は取れない。

 それに、母の健康を心配する青年が目の前にいるのに同行を強要することなどなおさらできないのだ。


「代わりにヤーンが同行します」


 ヤーンが意外な提案をしてきた。これにはグリムナはもとよりカルケロも目を丸くして驚いていた。


「あんた考古学の事なんて何も分からないだろう? 急に何を言い出すんだい!」


「確かに詳しくはないけど、今は別れて暮らしててもずっと母さんがその研究をしてたことは知ってる。それに、何度か一緒に行ったこともあるだろう? 道案内くらいならできるさ」


 カルケロは反対のようであったが、しかし強く反対する理由も見つからないのか、呻くような声を小さく上げた後黙ってしまった。一方グリムナは若く、道案内もできるヤーンが同行してくれるとなれば願ったり叶ったりである。反対する理由などない。


「そうしてくれるなら助かります。早速明日遺跡に行きたいんですが、構いませんか?」


 グリムナがそう言うとヤーンはさわやかな笑顔で了承した。カルケロはまだ不満そうな顔をしているが、これでひとまずは交渉成立である。


 さて、その夜、グリムナ達はカルケロから食事をごちそうになった。急な来客で食材も足りなかったのでグリムナからも調理できる保存食を提供して、彼がカルケロと一緒になって料理をした。こういう時基本的にヒッテとフィーは一切手伝わない。長く勇者のパーティーで雑用を仰せつかっていたグリムナがこういった雑事は一番得意だからである。主人が一生懸命頑張っているのに奴隷がそれをただ食うだけと言うのもどうかと思うが。


 食事が終わって全員が水を飲みながら一服していると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。グリムナはこんな時間にだれだろう、もしかして後から合流する予定だったバッソーがもう来たのだろうか、とも思ったのだが、カルケロが嫌そうな表情で「またか……」と言って席を立ち、ドアに歩み寄った。小さなのぞき窓から外を見て、警戒している様子が見て取れた。


 カルケロが覗き窓から外を覗くと、そこには痩せ細った、小汚いローブを来た女が立っていた。両腕に大事なものを持つように、これまた汚い布に包まれた何かを抱いている。子供だろうか。

 何か異常な事態に気付いたようで、ヤーンもすぐに席を立ってカルケロのすぐ横に控えるように立った。腰のベルトに固定されているナイフにそっと手を這わす。ただの客人に一体何を警戒しているというのか。すると、表の女性が口を開いた。


「申し訳ありません、道に迷ってしまって……風が凌げれば贅沢は言いませんので、どうか中に入れてくれませんか……」


 そう言う女性にカルケロは今まで見せなかったような厳しい表情で言い返す。


「道に迷って? この先には打ち捨てられた古い神殿しかないよ! 一体どこに行こうとして迷ったって言うんだい! 中には入れない! アタシは『許可しない』よ!!」


 この言葉を聞くと、女性の顔はみるみるうちに怒りに歪み、聞き取れはしなかったが何やら呪い罵るような言葉を吐き捨て、渦に吸い込まれるように空中に消えてしまった。それを見てカルケロとヤーンはふぅ、と一息ついた。よく分からぬが、危機は去ったようである。

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