第86話 知らずにはいられない

「今のは一体……? そんなにべもなく断らなくても……」


 今の異常な事態に不審に思いながらもグリムナがカルケロを咎めるような事を言う。彼の位置からは表の様子は分からなかったが、これまで人のいい中年女性にしか見えなかったカルケロが突如として見せた厳しい表情に驚いているのだ。そして、言葉をかけられた女性が、足音さえ聞かせずにその気配を無くしたことにも同様に驚いている。


「人ならざる者……それが何かは分かりませんが、最近こう言った手合いが急に増えているんですよ……ヤーンが最近よくここに顔を出すようになったのも、『アレ』を警戒して、のことです」


 ヤーンがそう言うとカルケロもまだ少し緊張した心をのぞかせながら口を開いた。


「神殿と何か関係があるのかもね……? とにかく、『奴ら』は家主が許可しないと中には入れないみたいでね。今のところ実害はないのさ」


 カルケロの言葉に、ヤーンは心底心配そうな表情を見せて言った。


「母さん……あの神殿にはやっぱり不吉なものを感じる。人の身で触れちゃいけない『何か』があるんじゃないのかな……お願いだからもうこんな危険なところは退きはらって、地元で一緒に暮らさないか……」


「そうは言うけどね……学位は持ってなくてもアタシはやっぱり学者なのさ……ここまで来て何も知らずに引き返すなんてできない。たとえこの命が危なかろうがね!」


 カルケロは笑って言うが、ヤーンは眉間にしわを寄せたままである。どうやら彼が母の身を案じてここに身を寄せているのは確かのようである。


「でも、ヒッテ達がここに来たときはそんなやりとりしませんでしたよね? なんでですか?」


 ヒッテが小首をかしげて、昼間の事を思い出しながら訪ねると、カルケロはアッハッハと笑いながら答えた。


「アンタたちはお決まりの『許可』を求めなかったし、奴らと同じにしては余りにも『怪し』すぎるからさ!」


「あ、怪しいって……」


 フィーが微妙な表情になってそう復唱した。


「そう、怪しい! 人を騙そうとするなら普通はもっと『怪しくない』ように装うもんさ! 若い男と、小娘、それにダークエルフなんて怪しすぎて逆に安心なのさ! 『なんかのっぴきならない事情があるんだろう』ってね!!」


 カルケロは大笑いしているがグリムナは思わず顔をしかめてしまった。自分はそんなに怪しかっただろうか、と。


「さあさ、明日出るなら今日はもうお休みだよ。あんた達は右の奥にお客様用の部屋があるからそこを使って。ヤーン、久々に来たんだから一緒に蜂蜜酒ミードを飲まないかい? なんなら小さいころ大好きだったアップルパイも焼こうか?」


「母さん、こんな時間からパイなんて食えないよ。それにそんなもの焼いたら匂いでグリムナさん達も眠れなくなるよ……」


 ヤーンは眉間に少ししわを寄せてやや困ったような顔をしているが、その瞳の奥には優しい笑みをたたえている。この親にしてこの子あり、元は奴隷だったと言っていたが、カルケロの優しい性格に助けられて、真っ直ぐな青年に育ったのだろうことがこの暖かいやりとりから垣間見えた。


「アップルパイ……」


 少しヒッテが名残惜しそうな顔をしていたが、グリムナはお言葉に甘えて部屋で休むことにした。彼らはそのまま明日の準備、何を持っていくかの荷物の選別などをしていた。彼らは野営を含め多くの荷物を常備しているが、神殿はこの近くであるから、その多くは今回は出番がないと予想されるからである。


 荷物をまとめてからしばらく、グリムナはボーっと考え事をしていた。明日神殿で探すべきもの、それは何なのかを頭の中でまとめていたのである。フィーはいつもの通り他の二人には見えないように手で隠しながらなにやらカリカリと書いている。おそらくグリムナをネタにしたBL小説なのだろうが、グリムナはもはやこれを止めようとは思わないし、実際誰にも止められないのだ。

 ヒッテは何をするでもなくベッドに座って足をぶらぶらと振っている。こういう仕草はとても12歳の少女相応の可愛らしいものだ。


 グリムナがそう言えばリビングの方が静かになったな、蜂蜜酒を飲むと言っていたが、もうお開きになったのだろうか、と考えていると、コンコン、とドアがノックされた。どうぞ、と言って彼は入室を促す。しかし先ほどのカルケロと外の『何か』のやり取りを思い出し「まずかったかな」と考えていると、カルケロが入室してきた。どうやら考えすぎだったようである。


「どうかしたんですか? カルケロさん……」


 少し神妙な面持ちのカルケロにグリムナが尋ねると、彼女は少し部屋の外を気にするそぶりを見せながら、小さい声で話し始めた。


「ヤーンの事……今は酔いつぶれて寝ちまったけど……少し気を付けてほしいのよ……」


 ヤーン? ヤーンがどうかしたのか? 仲の良い親子の姿にしか見えなかったが、とグリムナが考えていると、さらにカルケロが言葉を続けた。


「最近あの子の様子がおかしいのよ……ちょうど『あいつら』がこの家を訪ねてくるようになってからなんだけど……」


 『あいつら』とはもちろん、招かれざる訪問者、先ほどここを訪ねてきた人ならざる者共の事であろう。


「前はそんなこと一言も言わなかったのに、執拗に研究をやめるように言ってくるし、アタシがいない間に資料の位置が変わっていたり、メモがなくなったり……もしかして、神殿に何かアタシに知ってほしくないことがあるんじゃないか、って……」


「……それは、さっきの言葉通りあなたの身を気遣っての事なんじゃ……健康のことも有りますし、あんな訳の分からない輩に付け狙われているから……」


 グリムナは困惑しながらもそう言ったが、カルケロは少し強い口調で言い返した。


「それならそれでいいけど、アタシは不安なの! もし何か良からぬことがあるなら……アタシはそれを知らずにはいられない!!」


 「知りたくない」ではなく「知らずにはいられない」と発した。


「アタシは知らないことを知らないままにしておくことはできない。『知るべき』であって『知らない事』があるなら命に代えてもそれを知ろうとしてしまう! ……だからもし、あの子が何か良くないことを企んでいて、それが決して引き返せない物なのだとしたら……その時はアタシを殺して……」


 この言葉にグリムナのみならず、ヒッテとフィーも目を丸くして驚いた。それほどに強い渇望なのか、『知る』と言うことに命までかけるのか、そして『知って』も解決できない事なのなら、『知る』前に殺してくれと言ったのだ。


 一時部屋の中が騒然としたが、すぐにグリムナは落ち着いて、彼女に「そんなことは決してない、考えすぎだ」と宥めた。しばらくすると彼女もだいぶ落ち着いたようでまた静かなトーンでグリムナに話しかけた。


「取り乱しちまってごめんね。いい年こいて恥ずかしいよ。あんたらが神殿に行っている間に資料をまとめなおして、分かっていることをリストアップしておくよ。何か見落としがあるかもしれないからね」


 先ほどいたリビングは彼女の仕事スペースも兼ねている様で、ダイニングテーブル以外にも机があり、その上でなく周辺にまで本が山積みであった。あれほどの資料を当たるのは数か月かかっても難しいであろうとグリムナは少し思っていた。

 『死神』の視点を持ってそれに当たりなおしてみれば見えなかったことが見えてくる可能性もある。彼女は部屋を貸してくれるだけでなく資料をまとめてくれるというのだ。グリムナは彼女に丁寧に謝意を伝えて、その日はもう休むことにした。

 ここ最近、一度動き出すと一気に情報や出来事がなだれ込むように入ってくる。彼はベッドに入るとすぐに眠りについた。

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