第181話 さとり世代
「私だって本当は……もっと優しくしたいのに……この町で暮らしていると……心がどんどんボロボロなっていく……」
グリムナはメキと彼女の母の関係性については詳しくは知らないが、しかしメキの、最後のやり取りを見ておおよその察しはついている。どこにでもある、ありふれた、しかし救われない荒んだ親子関係。
彼は思わずつらそうな表情を見せる。それはともするとメキとその母親本人達よりも苦しそうな顔であった。
メキの母親が涙を流しながら、大きな水晶のような塊を抱きしめる。しかしいくら抱きしめたところでその氷のような結晶が溶けることはない。
「どうしたらいいの……私が悪いんじゃない……この町が、この町がみんな悪いのよ……」
目の下にクマを作り、幽鬼の如き表情で決勝を抱きしめながら呟くメキの母に、グリムナは……
「自分の素直な気持ちを彼女に話せばいいんですよ……怒るんじゃなく、深呼吸をして、自分の一番大事なものが何か考えて行動しなおせば……きっと気持ちは通じます」
嘘をついた。
メキは死んだ。メキの母親も死んだ。二人の気持ちが、誰かに届くことなど、もう永遠に無い。
グリムナは振り返り、再びドアの方に歩き始めた。
「ヤーンは……いったいどこにいるんだ……」
そう小さい声で呟きながら。
───────
ガチャリ、とやけに響く音をさせて、バッソーがドアを開けると、そこは荒れ果てた小さな小屋の中であった。月明りだけがさすその薄暗い空間には一面に物が散らばり、家具が倒れ、辺りには血糊が付着している。バッソーはこの光景に見覚えがあった。
「カルケロの家……?」
そう小さく呟いてバッソーは小屋の奥にゆっくりと、慎重に歩を進める。二歩、三歩と歩くと、テーブルの陰の床に誰かが座っていることに気付いた。何者かの面影がある。小さい、10歳くらいの子供に見えたが、それは確かにヤーンであった。彼は体育座りのような形で座しており、自身の腕を膝の上に乗せ、そこに顔をうずめていた。
「ヤーンなのか……?」
子供は答えなかったが、しかしバッソーの存在には気づいているようである。バッソーは彼を刺激しないようにゆっくりと歩み寄り、その隣に胡坐をかいて座った。
「つらい事でもあったのか……?」
何があったのか、察しはついている。彼は、バッソーはその『事件』の当事者であったのだから。グリムナ達に続いてカルケロの死体を発見した、張本人であるのだから。
賢者と呼ばれるだけあってバッソーはこういう事態にもどう対応すればよいかよくわかっている。ヤーンが子供の姿で現れたことは、彼が自分の力でどうしようもない心理状態と対峙していることを現している。彼が体育座りをして小さく縮こまっているのは、『自分を守りたい』という心理のありようなのだという事も分かる。
ヤーンはまさしく『どうにもできない』事態と向き合っているのだ。過去の事件、カルケロの死……もう変えようのない、解決のできない問題と向き合っているのだ。
古くより、荒れ狂う霊を鎮めるのは、強大な力でも、説得でもない。それは『慰め』であり、『理解』である。
ヤーンはまだ死んでいない。『霊』ではないが、すでに自分の人生を投げ捨てて、怒りのままに荒れ狂うその姿はまさに怨霊である。バッソーは続けて穏やかに語り掛ける。
「わしみたいな老いぼれた爺にできるのは話を聞いてやることくらいじゃが、それでも少しは楽になるぞ……? 話してみてくれんか?」
取り返しのつかない過ちを犯してしまい、そして今もまた過ちを犯し続けているヤーン。今の彼に必要なのはまさに他者の『理解』なのだ。ヤーンは、か細く、頼りなさげな声でゆっくりと語り始めた。
「ヤーンは……取り返しのつかない過ちを犯してしまいました……もう、何をやっても取り戻すことはできない……大切にしていた宝物を、壊してしまったような……」
その言葉を聞いて、バッソーは一言だけ返した。
「その気持ち……ワシにも分かるぞ……」
慈しむような、優しい表情であった。バッソーはすでに天涯孤独の身、家族などもういないが、しかしもし彼に孫がいたらこのようなやり取りをしていたのかもしれない、と思えるような、そんな会話であった。
「もう取り返すことも、許してもらうこともできない……だから、ヤーンは悪人になるしかなかったんです……」
バッソーはやはり優しいまなざしで一言だけ答えた。
「……分かる……」
「…………」
ヤーンは、何もしゃべらず、ちらりとバッソーの方を見た。バッソーは相変わらず慈しむようなまなざしでヤーンの方を見つめている。しばらく沈黙が続いたが、ヤーンはまた口を開いた。
「どんなに後悔しても、何をしても、お母さんが返ってこないことは分かってるんです……でも、このままじゃ前に進むことはできない……ヤーンは……どうしたらいいんでしょう……」
バッソーはその問いかけに、彼から目をそらし、まっすぐ前を見つめて口を開いた。
「お主の心の中のことは、お主の問題じゃ……ワシにはどうすることもできん……
……しかし、その気持ちは、分かる」
ヤーンはこのぼけ老人に悩みを打ち明けたことを少し後悔し始めていた。なんだか真面目に話しているのがバカバカしくなってきた。しかし、バッソーはそれが分かっているのか分かっていないのか、その場を動こうとしない。話が進まない。仕方なく、ヤーンはそのまま話を続けることにした。
「町で暴れて、多くの人を殺して、それが解決にならないことは自分でも分かっているんです……でも、暴れている間だけは、全てを忘れられる……」
「分かるぅ~……」
「自分がお母さんの望まない悪人の行動をしていることは分かっていても、それを止めることができない……誰かが止めてくれるのを……誰かが罰してくれるのを、待っているんです……」
「超分かる!」
「あの人……グリムナさんなら……もしかしたら、何か、答えを出してくれるのかもしれない、そう思って……」
「分かりみが深いわぁ……」
「いい加減にしろくそジジイ!!」
ゴッ、という鈍い音と共にヤーンの右ストレートがじじいの顔面に炸裂した。バッソーは白目をむいて床に吹き飛ばされた。
単に『分かる』だけであった。
なにも答えは出せない。解決はしない。確かに、人は問題の解決を求めてるのではなく、ただ話を聞いてもらいたいだけの時というものがある。しかしそれは時と場合によりけりだ。わざわざ危険を冒してまでヤーンの精神世界に説得するために入り込んできて、やっていることはギャルの雑談のように「分かるわ~」の連発だけならいったい何しに来たのかが分からない。何も解決せず、ただ『分かる』だけというのは逆に『分からない』のよりも問題である。これが『さとり世代』というものなのか。
バチッ、と何かに勢いよく弾かれるような感覚を受けて、バッソーは現実世界に舞い戻ってきた。その場で思わずしりもちをつき、驚いて辺りを見回す。状況はヤーンの精神世界にダイブするときとさほど変わってはいない。目の前には未だ木の根のような触手に覆われた『繭』が鎮座しており、ヒッテがそれに手を当てて固まっている。
ただ一つ違うことは、入った時と違ってフィーがリヴフェイダーと共にバッソーを見ていることであった。
「い……いったい何が……? ワシは、精神世界からはじき出されてしまったのか……?」
目の前の『繭』を見ながら焦った表情でバッソーがそう呟くと、ポン、と誰かが後ろから彼の肩を叩いた。フィーがニヤついた表情でバッソーの顔を覗き込みながらねっとりといやらしい声で語り掛ける。
「よぅこそ……役立たずゾーンへ……」
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